お前が不可視だと言う果て
チョコラータとセッコには近寄らないほうがいい。
親衛隊の人間が同じような言葉をぽろぽろと名前に零していくので、気をつけますなんて言葉は名前の常套句になっていた。
残機と呼ぶに等しい名前たち親衛隊は人数も少なく、名前は一人で行動することが多かった。ティッツァーノとスクアーロを邪魔するのは悪いし、となると暇を持て余した名前の捌け口はチョコラータとセッコである。近寄らない方がいいという言葉の意味は分かってはいたが、──ボスも彼等を最終兵器扱いをしていたので──鈍感な名前は彼等のその危険性に対し警告を促してるとはつゆ知らず、何となく危ない雰囲気がするので近寄らない方がいいよぐらいとしか捉えておらず、全く話さないかと言われればそうではなく、最近はセッコと言葉のやり取りをできるようになってきたのが無性に嬉しかったのだ。
上記の通り例の二人と今まで全くの接点がなかったわけではない。基本的にボスからの指示というのは名前にデータとして引き継がれ、それを他のメンバーに口頭で伝えていくのだ。あのバカップルはいつもくっついているのでありがたいと名前は思うし、カルネは基本的にアジトにいることも多かったのでこの三人については難なく引き継ぎが出来ていた。
問題は所謂ゲスコンビである。基本的に毎日外出しているので捕まらないのだ。不要な時にたまたまエンカウントして適当な話をするが、必要時には決まって外出しており会えやしない。
チョコラータの趣味は知っていたし、組織に入るまでの経緯も風の噂で耳にしていた。どうせまたどこかの病院に短期だか研修医だかと偽造をして忍び込み、しばらく好き放題してからチョコラータに白羽の矢が立った時には飛ぶ鳥跡を濁さず、一切の情報を残さず組織に戻り、数週間はえげつない動画を貪るのだ。その動画に飽きればまた組織を抜け出し病院を転々とする。その繰り返しである。
いつもチョコラータの傍で録画をしているセッコは、チョコラータの昔の患者とも聞いた。脳でも弄られてるんじゃあないかと、以前セッコと話した時に名前は思っていたが、何度か話すうちに可愛げが有るようにすら感じていたのだ。
そんなものはあくまで同じ組織で働いているという多少の仲間意識と、話してみれば吃音症のようなセッコに甲斐甲斐しく聞き耳を持つようになった名前の庇護心から来たもので、共通項とセッコにそのような症状がなければチョコラータが彼を愛護する気持ちは微塵も分からなかったことだと名前は思うのだ。
「今日もあの二人は見つからないか」
「ゲスたちならさっき帰ってきてたぞ」
そもそも、あの二人に関しては親衛隊という括りに収まっていない気がする。あくまでこの情報伝達も、緊急時にあの二人が状況把握できるようにするための訓練の様なもので、実際に名前が口頭説明している時だって特にチョコラータは聞いちゃいないのだ。一生懸命説明しているのに、名前に背を向けセッコに角砂糖をぶん投げ過剰なまでによしよしと愛護する姿には流石の名前も狂気すら感じる。
とはいえ、ボスは必ず引き継ぎデータの最後でチョコラータとセッコにも伝えるようにと毎度毎度ご丁寧に添えてくる。この一文を署名にでも設定しているのではないかと名前は思うくらいだ。
そうこう考えながら二人を探すも見つからず、根をあげどうしようかと考えていると耳馴染みのある声が降ってきた。
「名前、誰か探しているのか?」
「スクアーロ!あれ、いつも一緒のティッツァは?」
「昨日夜更かししたから、まだ寝ているよ」
「あ、そ……ありがと、二人の部屋行ってみる」
「もうお迎えが来てるみたいだぜ」
お迎えとはなんのことだろうか。スクアーロは右手の人差し指を地面に向けた。そのしなやかな指先から地面へと視線を落とすと、地面から顔面だけ露出させたセッコが名前を見上げていたのだ。反射的にうわ、と太い声が出て、その声に驚いたセッコが泥になった地面を口に溜め込み名前に向かって発射準備をしていた。
「ごめん、プシュンはやめて」
「お、おお、おい!チョコラータ、が、呼んでるから、は、は早く来いよぉ」
「私を?珍しいこともあるものねぇ……なんて言ってた?」
「しらっ知らねぇよぉ!な、んで俺がっしっ知ってるんだ!」
そんなに怒らなくてもいいじゃあないかと思う名前はスクアーロに別れを告げ、依然として地と地下の境界線をドロドロ溶かしながら進むセッコと共にチョコラータの部屋へと向かう。ブツブツと文句を垂れながらもジャブジャブと、セッコはその地下で犬かきでもしているようだった。なんだか暗殺チームにもこんな風によくキレる奴がいたような気もすると名前は思い出そうとしたが、セッコの怒りによってそれは遮られる。
「チョコラータの、野郎〜!甘いの、一個しかくっくれなかったんだ!」
「あら、上手に撮影できなかったの?」
「うる、ウルセェぞ名前!俺は、チョコラータ、の、指示通りに録ってただけ、なのによぉぉ〜!」
それはひどいね、せっかくセッコが手伝ってくれたのにね。そう名前が嗜めればセッコはそうだそうだと怒りをあらわにしているようだったが、名前はそんな事よりたった今セッコが自分の名前を初めて呼んでくれたことに感動すら覚えていたのだ。
例えるならば、やっと仲良くなり始めた近所の野良猫が、ある日ついにおさわりの許可を与え腹を見せてくれた時の感動に似ているかもしれない。名前はそう考えずにはいられなかったが、セッコは自由気ままな人間であって猫ではない。あくまで人間である。
「帰ってきてたなら教えてよ、こっちは忙しいんだから」
「何言ってるんだ。暇だったからセッコとくっちゃべりながら此処まで来たんだろ」
「そういう言い方しか出来ないの本当、ヤブ医者が」
「ヤブ医者でけっこうだ。セッコ、よく名前を連れて来たなぁ、クソみたいな録画だったがご褒美だ。甘いの三つやろう」
さっきまで名前の後ろで不貞腐れていつまでも地面を溶かし続けていた男はその言葉を聞いた瞬間、さっさと名前の背中を通り越して忠犬の如く奇妙な化粧をした男の前で待機を始める。嬉しさのあまり声にならない声、というよりもはやうめき声を発しながらセッコは歯をガチガチと数回鳴らした。チョコラータが一瞬ニヤリと口角を上げた数秒後に結構なスピードで投げられた角砂糖は、もれなくセッコの口腔へと吸い込まれボリボリと音を立てやがて喉を通過したようだ。
「よ〜しよしよしよしよし、偉いぞぉセッコ」
「うぉっ、おっ!!」
「手のひら返しがすごいよセッコ……。あ、そうそうボスからブチャラティたちの近況ほうこ……な、に?それ」
「見覚えがないとは言わせないぞ、名前」
急に目の前に突きつけられたビデオカメラの小さな画面に、確かに見覚えがないことはなかった。数秒の沈黙の後、気色悪いと目を逸らす名前の表情を確認したチョコラータは実にいい顔をしていた。私はあくまでもボスからの伝言を伝えに来ただけだと名前が主張しようとも、この男は聞いちゃいないのだ。彼自身の崇高であり最悪な趣味に巻き込まれるのは、すでに決定事項らしい。
ビデオカメラからは絶えず地獄図絵のような光景が広がっていて、半年以上前の撮影ではあるがその強烈さにより一瞬で当時を思い出せる程には名前の脳裏にこびりついて離れず、時折不意に思い出してしまったりと、そのしつこさは宛らカビ同然であると感じていた。
「撮影の協力はしないって、前にも言った」
「チョ、チョコラータは、俺が撮影して、も、いいいいつも名前の方がじょ、上手だって、褒め、褒めるんだ」
「お前は角砂糖いくつ欲しいんだ?」
「私が角砂糖ごときでつられるわけないでしょうが!」
ふん、と鼻で笑ったチョコラータは右手で三を示していた。報酬の掲示である。
「三百万リラって、小遣いみたいな数字出されても」
「バカか、ゼロ一個足りてないぞ」
となればかなり額が変わってくる、三時間ほどの拘束でビデオカメラを回すだけでこの金額なら文句はない。とはいえ、確かに殺しはもう両手じゃ足りないぐらいに行ってきた名前とて、あの地獄を撮影するのかと思うと気が滅入るのは事実である。
答えを渋っていたが、契約完了のサインと見なしたのか、チョコラータは名前にビデオカメラを預けさっさと身支度を始めてしまった。部屋の奥の金庫をいじったかと思えばあっという間に報酬を手渡され、今回も身悶えするような撮影を頼むぞと耳元で囁かれてしまった名前の手のひらには、札束まで握らされていたのだ。もう拒否権なんてものはない。
ボスからの伝言を伝えにきただけだというのに、何故こんなことに巻き込まれ、この最終兵器たちの娯楽に付き合わされなくてはならないのか。ということは、数時間後にはスプラッター映画の監督になっているチョコラータと撮影係の自身とセッコ、それに何もしならない役者が悲劇的結末を迎え世にも奇妙な死に方をするわけで、私たちはきっとろくな最期を迎えられないのだろうと名前は思いながら高級車に乗り込み、ホテル街へと出発した。
元患者のカップルがターゲットだ。数ヶ月前に男が足を骨折して入院し、彼女が毎日甲斐甲斐しく慈悲深く病室に通っていたところ私が声をかけたのだ。半年先まで有効なホテルの宿泊券、もちろんディナー付き。彼の骨折がマシになった頃に行くといい、行く日が決まったら声をかけてくれ。ここらからは少し遠いだろう。これは私からの、早めの退院祝いだ。私は数日後、他の病院に移籍してしまうのでね。
「……随分と前から仕込んでいたのねぇ、それでどうするの」
「若いカップルが高級ホテルのディナーを楽しんだ後に部屋ですることと言ったらなんだ」
「まあ、セックスじゃないの?」
「そうだろう、私も行為中に手を出すのは初めてだ。だが名前、性行為中こそ最高の表情が撮れると思わないか?」
チョコラータ曰く、絶望の対比は悦び及び恍惚、絶頂から絶望へ叩きつけられた時の人間の表情は至高とのことである。それゆえプランは、騙したカップルを高級ホテルに招き食事を楽しんでいる間にあらかじめ客室に潜んでいた名前たち一行は性行為が始まり暫くしたら登場し、スプラッター映画を楽しむらしい。
今更ではあるが無論、名前にはそう言った趣味はないし、金に釣られたのは正直なところではあるができることなら関わりたくないのが本音である。
何気なくワンピースの繊細なレースに触れる。普段着で車に乗り込もうとした際にチョコラータに引きとめられ、これに着替えろと渡された服はハイブランドのドレスワンピースである。なんでと名前が聞き返せば、私らもデートといこうじゃないかと肩を組まれたがセッコの視線を感じチョコラータの胸を押し返した先刻。高級車の助手席でふと考えたが、何故こんなにもサイズがぴったりの服やピンヒールがクローゼットに入っていたのか。チラリ横目で運転中のチョコラータを見ると目が合った。いつも揶揄われるので数秒後にはきっと『日本語でいえば、馬子にも衣装ってやつだな」なんて言い出しそうだと名前は何も言わず視線を戻す。
「お前にはその色が似合うと思っていた、想像通りだ」
「!?」
「なんだ、そんな驚いた顔をして……あそこに立っているのがターゲットだ。私たちは付き合っている体で話を合わせろよ、演技力に期待しているぞ」
「はいはい、お金もらってるからにはやりますよ」
一瞬でも凶悪兵器である男にときめいたのは気の迷いである。名前はそう言い聞かせ、これからのことはチョコラータに依頼された仕事と割り切ろうと心を切り替えた。
車を道端に停車させたチョコラータも、医者の顔に切り替えたらしい。カップルと久々に再会した彼は両頬に一回ずつキスをし出迎えた。バーチを済ませたカップルは非常に嬉しそうであったのでこの後を考えると多少気の毒になった名前だが、そそくさとチョコラータの横に立ち同じくバーチを行う。先生にもこんな素敵なベッラがいたんですねと頬を緩ます青年に若干嫉妬に似た表情をするその彼女。チョコラータが喜ぶのでそんな顔はなるべくしないほうがいいと名前は思わずにはいられなかったが、ともあれ二人を後部座席に座らせ此処から車で二十分ほど走らせた先のホテルへと向かう。
車内では彼の足を心配する医者の顔になっていたチョコラータ。名前の太ももに触れたり片手運転で手を繋いだりと存分にカップルに見せつけ、煽る手段らしい。絶対に彼らがホテルで行為をするかと言われたら断言はできない。それならば人の五感を使った挑発を行うのが一番である。私が何をしても文句を言うな、合わせろと事前に伝えられてはいたものの、チョコラータに対しそんな気を起こしたことがない名前は合わせるより堪えるのが精一杯であった。
談話を楽しみながら車を走らせれば予定より早く例のホテルに到着した。支配人とやらとチョコラータが話をした後に、支配人は笑顔でカップルを受け入れリストランテに案内をしたところでカップルとは一時的な別れである。さっさと部屋に移動するのかと思えば先ほどの支配人が名前たちの元に戻ってきた。
「相変わらず人使いが荒いな、あんたは」
「……え!!!ティッツァ…!?」
「なんだ名前、気づかなかった?」
ティッツァーノは名前にカップルの部屋のキーを握らせながら、チョコラータと会話を続けていた。個人的に名前は、ティッツァーノだけは汚い話には乗らないと思っていたのにと落胆しキーを思わずひったくる。驚いたティッツァーノは特に名前の機微には敏感で、普段から名前の不機嫌をうまく解消させる役目になっているので今回のこの態度についても理解できた。とはいえ、此処に揃う名前とティッツァーノはチョコラータから平等に金をもらって一肌脱いで仕事をしているだけだし、一番たちが悪いのは自分の趣味につきあわせているチョコラータだ。
「名前、仕事、でしょ?」
「………Si」
「元気、出せよぉ。お、俺の、取っておいた、あまい、のやるから」
「セッコ……」
ありがとう、の前に本音を言えば、セッコいたの?の一言に尽きるのだが、やっと仲が深まってきた此処最近だ。そんな空気の読めない一言でセッコの稀に見る優しさを踏みにじることはできない。名前はようやくありがとうを伝えた後に、それはセッコが稼いだ甘いのだから気を使わなくていいと口にした。
ティッツァーノに別れを告げた名前たちは合鍵でもってスイートルームへの侵入に成功した。チョコラータでさえ感心した部屋で思わず名前はふかふかのキングサイズのベッドに飛び込みそうになったが、此処でシーツをシワシワにしてしまったら絶対にチョコラータに怒られるのは目に見えていたので、我慢し違う部屋を覗きに行こうとした時だった。
「ひゃっ……あ、え、なに!」
「キングサイズなんて、お前はこの先使えることもないだろうと思ってな」
「そ、そんなことないけど!え、なになになに!!」
「Stai zitto……その色気のない声はなんとかならんのかね、名前」
チョコラータが名前の手を引き、シーツにシワを作りベッドを沈めたのだ。想定外の展開に名前はただただ、チョコラータに言われた通りの色気のない声で逐一騒ぎ立て、黙れと言われてしまい思わず萎縮する。
別に男性経験が一切なかったわけではない。とは言え、同僚の男に、それも今日はスーツなんて着ちゃって、奇抜な髪型も化粧もオフしているのだ。普段のチョコラータにこんな扱いをされたのであれば笑い話で済むのだが、先ほどのデートという言葉を不意に思い出し名前は赤面し、急にしおらしくなってしまったのだ。
「なんだ、練習だぞ。もっと余裕のある顔でもしてみたらどうだ」
「……そんな顔したら、あんたはもっとその顔を歪ませたいって思うんでしょうね!」
「よくわかっているじゃあないか!嬉しいぞぉ、名前」
「普段から髪も下ろして化粧も薄くすればかっこ……いい、の、に」
口走った後で自分はなにを言っているんだと尻すぼみした名前ではあるが、チョコラータは聞き逃さなかった。茶化さずにしっかりと、名前の耳元で名をささやけば、名前はますます沸騰しそうなほど赤面させた。もう少し、もう少しだけと思わずにはいられなかったが、約束の時刻がいよいよ迫っていた。
「続きは帰ってからだな、名前。セッコ、頼んだぞ」
「うぉ、名前、俺に、つかまって」
「は、え、はい!はい!カメラもあります!」
「……大丈夫かお前。……!!」
名前がセッコの指示通りの呼吸でオアシスに飲み込まれる。謎の多いスタンドだが、セッコが許可すればオアシスに飲み込まれても窒息死することはないらしい。実は名前はこの体験は二度目であり、柔らかい地中の感触が実に心地よいらしく機会があれば是非もう一度体験したいと常日頃思っていたのだ。今回はセッコのオアシス体験が再度できることも仕事の決め手でもあった。
内鍵をかけ直し、合鍵を引き抜き部屋のライトを消し身を潜めるチョコラータ。カップルの歩き方による音階を聞き分けるために、カップルの足音を地中からずっと聴いていたセッコはチョコラータに合図を送る。
ひどい演目の始まりである。
思い通り、食欲を食い潰したカップルは仕合わせそうな顔で部屋の広さや内装を堪能し、一緒に風呂場へと消えた。その間一度空気を吸ったほうがいいとセッコに諭された名前は一瞬地面から顔を出した。脱ぎ散らかされた洋服をたたみたくなる衝動を抑え、再びオアシスを堪能する。そう言えばチョコラータはどこに隠れているのか。セッコに聞けば、わからないけど身体までは分解してないとよくわからないことを言われたので、名前がそっかと疑問符を浮かべながらも相槌を打った瞬間、カップルたちが戻ってきたのがわかった。案の定すでにおっ始めているらしく、徐々に女の嬌声が聞こえ始める。
部屋は男が電気を消したため、暗い中で始まったそれはあるプレイを機に急展開を迎えた。
映画監督であるチョコラータがいよいよ動き始めた。不意に明るくなる部屋、きょろきょろとあたりを見渡す男が彼女を見下ろせば、今まさに男のブツを咥えている彼女の喉元にサバイバルナイフが突きつけられ、すでに数ミリ皮膚を破り血が滴っていた。セッコから電源の入ったカメラを受け取り、二人で地上に戻り問答無用で撮影を開始した。
「食事はどうだったんだぁ?うまかっただろう」
「せ、んせい、これはなんの、マネですか?」
「だが彼女はまだ食べ足りないらしい!どうする?今口に咥えているものを食いちぎってくれれば、私はこのナイフを手放そうじゃないか」
必死で首を横に振る彼女は、男よりもこの状況の飲み込みが早い。だが、彼女はチョコラータの提案にすぐには乗らなかった。ああ、そこでさっさと食いちぎってしまえば、どれほど楽に死ねただろうか。名前は彼女の絶望した顔を取るためにもう少し二人に近づき、さらにズームする。名前の撮影は私の趣味趣向を十分理解しているとチョコラータが普段から喜ぶのを聞いていたセッコは、名前の撮影力を学ぶべく隣に立つ。
「お、おい、なにやってんだこいつらは」
「セックスをする前の前戯というやつよ。セッコには見て欲しくなかったなあ」
背後に回る名前に気づいた男は助けを求めるも、名前はその表情も問答無用で撮影した。その間もチョコラータは女に咥えさせたまま尋問を続ける。
監督の熱い指導は役者たちを本物の恐怖へと叩きつけた。女がガクガクと震えだし、遠に顎は限界を迎えているはずなのに彼女は尚も男のそれを噛み切ろうとはしなかった。
ふと名前がチョコラータを見れば、女の屈強な態度と表情にはち切れんばかりに彼も勃起していた。変態だと思わずにはいられなかったし、ふと先ほどの『続きは帰ってから』の言葉を思い出す。あながち嘘ではないのだとこの瞬間に悟った名前は、せいぜい今までチョコラータが抱いてきた女の中で一番つまらない女を演じてやろうと心に決めたのだ。
何故名前自身はこんなにもチョコラータに頭が上がらないのか。考えものであると思いつつも、カメラワークを変えつつ任務はしっかりと遂行し最高の映画を作ることに徹する。『普段は噛みつきながらも仕事は健気に行う名前は可愛らしいものですね、チョコラータが密かに彼女を独り占めしようとする気持ちはわからなくないです』そうティッツァーノがスクアーロと、酒の席で潰れた名前を見ながら話していたことは名前は知る由もない。
そうこうしている間に、いよいよその瞬間は訪れた。男の断末魔の叫びは部屋中に響き渡る。途端にシーツは血の海となり、無論女の口周りは赤子に口紅でいたずらされたように鮮血がこびりついていた。ショック死でもするかと思ったが、かわいそうに失血死にはあともう一息らしい。焦点の合わない目は何度も彼女を追おうと必死だった。
「どうした、飲み込めないのか?そうかそうか、彼氏が心配かね。でも残さず食べなくちゃあだめだろう?」
「あ、っかハッ……やめ、やめて、お願い、お願い!お願いやめてやめてやめてやめっ……」
男はうまそうにたくさん食べる女性が好きだからな、そうだろう?彼氏に確認をするチョコラータの手元は手術用のメスが握られ、切開された女の腹の先にある胃にも丁寧にメスを入れ、噛みちぎったブツを詰め込んだ。グチョグチョと残忍な音が響き、いよいよシーツは血液を吸い上げ飽和し、ぼたぼたと地面に血痕を残す。
白目を剥き泡を吹いて絶命した彼女を見て、男は完全に狂った。泣き叫び、嘔吐し、彼女の顔を何度もさすり家に帰ろうと囁くのだ。ああそんな、チョコラータが喜ぶようなことをこのカップルはずっと行うのだ。きっとチョコラータが目をつけた時から、彼らはチョコラータの妄想の中で何度も何度も不穏な死を重ね、今夜いよいよ妄想を現実にしてしまった映画監督の餌食となったのだと、名前は思わずにはいられなかった。もちろん男の様子は名前とセッコのカメラ二台で撮影された。
「素晴らしい演者たちだなぁ、名前、セッコ!しっかり撮影しただろうな!」
「もちろん、あんたのサイコパス具合もしっかり写り込んでるので再生して一度客観視したほうがいいわ」
「ふん、見せてみろ、セッコ!……いいじゃないか、いいぞぉ、上手に撮れている。甘いの大サービスだ、五つやろう」
過剰とも取れる程の賞賛を受けたセッコは目を輝かせながら白いキューブをめがけた後、そのままオアシスに沈んでいく。常時スタンドを装着している彼にとっては地中が一番居心地が良いのだろう。ずっとスタンドを使用し続けて疲れないのかとも思う名前であったが、セッコの身体能力はもはや異次元レベルである。心配も杞憂に終わることだ。
これにて、主治医による巡回は終了である。未だ絶望の海と永遠の不在と化した彼女を抱きかかえボソボソとうわ言を繰り返す男にチョコラータは一瞥もくれず「飽きた」と一言呟く。
周りを巻き込み半年ほど前から計画していた撮影会も大団円を迎えた。女の惨殺死体と男と血濡れたシーツ類はセッコが地中に戻る際に一緒にドロドロに溶かしてしまったので、痕跡すら残さないのだから本当にこのコンビは恐ろしいと思わずにはいられない名前だった。先ほどの悲劇を迎えた現場は急激に温度が下がったように、ヒンヤリとした空気が名前の頬に触れる。悪寒を覚えた名前はチョコラータに早く帰ろうと言いつけバッグを手にした瞬間、現実に引き戻される。
「名前、グラッツェ」
「……うん」
「……どうした、こんな体制になって暴れもしないで。何を考えている?」
「チョコラータ、変なところ優しいんだなと思って」
再び名前はチョコラータに手を引かれ、いよいよ組み敷かれる。先ほどまで男女がペッティングを楽しみ、死んでいったその場所で、いよいよチョコラータが興奮していたのはわかった。覚悟を決めていた名前としては、その行為がどこで行われようがもはやどうでも良いことである。
「あまりというか、ほとんど言われたことがないが。なぜそう思う?」
「なんか私、もしかしたらあんたよりひどい部分があるのかなと思って」
「話してみろ」
チョコラータのことだから、きっとあの男もあの後しっかり自分で手を下し、彼女と一緒に殺してはくれないのだろうと名前は思っていたのだ。飽きたという発言の後、自ら手を下し、その目でしっかりと男の痛み苦しさを見届けご満悦するものとばかり名前は思っていた。それが、チョコラータにとっては当たり前であり、いわば普遍的行為だと名前は認識していたし、それはチョコラータでなくとも同じような特殊性癖を持っている者ならばそうするのだろうと確信じみていた。
しかしチョコラータはそうしなかった。最後こそ、ど真ん中の絶望ではなく、絶望の淵に叩きつける優しさがあった。男が女を抱きかかえたまま、あとはオアシスの力に託したのである。せめて死ぬときは一緒にしてやろうと思ったのだろうか。名前にはその優しさが一瞬足りとも頭をよぎらなかったのだ。
「自分が、怖くなった。ごめん、もう二度と手伝わない」
「そうか。いい助手を見つけたと思ったが」
チョコラータが悲しそうな顔をしたのは一瞬である。腕を引かれ起き上がり、名前に背を向けたチョコラータがどうしても上げずにはいられない口角を隠すように手で口を覆う。後ろからその様子を見上げた名前はまさかチョコラータが泣いているのかとも思ったが、唐突に現れたセッコによってその好奇心は嫌悪に変わる。
「ウォ?!ちょ、ちょちょコラァ、タ!そんな笑ったか、顔!初めて、見た」
「……あんた何、喜んでるの?」
「喜ばずにはいられないだろう名前!お前もそのうち自らビデオを手に取るようになる素質を持っているってことだからな!」
「絶対!もう!手伝わないからね!二度と話しかけるなバカチョコ!」
名前の咆哮を一切無視し、「私は計画的で、執拗な男だぞ?」と名前の耳元でねっとりと囁くので、名前は反射的に耳を押さえチョコラータを睨みつける。
男の断末魔のおかげで二名の足音が近づいてきたことを、セッコは報告しにきてくれたしい。
チョコラータに手を引かれさっさとドアまで向かう途中、「今夜の約束、忘れるなよ」とチョコラータは振り返り名前を見つめる。この捕食者に逆らう事は赦されず、自ずとそれを認め始めている名前自身がいることに気づくのは、そう遠くない未来のことである。
(2019.09.07)