迷子のための花圃の地図



※宗教的な内容を含みますのでご注意ください。


 名前が仕事の報告以外でアジトを訪れることはこのチームに所属した日と次の日以来のことで、談話室に集まっていた面子は昼下がり、突然の玄関の扉をこじ開けるような音とそれが直後ぶっきらぼうに閉じられた音に反射的にスタンドを出し息を潜めた。もしもアジトに襲撃があり、プロシュートがいる場合は、第一にガスを発生させることにしていたので全員が氷を手にしているという、滑稽なようで緊迫した空気が立ち込める。一人別の部屋で仕事に追われていたリゾットが、先ほどまで戯れるような騒ぎをしていた部下たちが急に静かになったことに違和感を覚え談話室に戻ってきた。
 当の本人の名前はひどくイラついていた。アジトに用事があって向かう際にはリゾットに連絡をし、極力他の面子とも顔を合わせないようにしていたのだがそんな余裕はほとほとなかった。そうしてアジトの鍵をどれだったか、キーケースから選ぶことすら面倒で、開いていたらラッキーなんて思いながら力任せにドアノブをガチャガチャとひねり倒した挙句、勿論当たり前のように開くわけもなく、スタンドで無理やり扉を開けてズンズンと談話室に向かっていた。
「……プロシュート、それにお前達、何をしている」
「何って、あんたが何言ってんだリゾットさんよォ。誰かが侵入した」
「誰も何も、この足音は名前だろう」
「……はァ?」
 プロシュートの肩をリゾットが叩き、スタンドを引っ込めるように指示する。足音ごときで、特に名前のものかなんて判断出来るほど名前はここ最近アジトを出入りしていないだろうがとプロシュートは言いかけてそれを止めた。リゾットの判断が間違えだったことなんて、今まで殆ど無かったのだ。
 警戒を解くわけではなかったが、プロシュートは一歩下がり、談話室の扉を開けたリゾットをここにいた面子全員が生唾を飲んで見守っていた。リゾットの判断とはいえ有事は無きにしも非ずだが、案の定それは杞憂となる。
「……連絡もなしに、そんな不機嫌そうにどうした」
「怪我した。血止まらないからなんとかして」
「それはもちろんだが、何があった」
「あとで話す。ちょっとメローネ、あんたのバイク貸してくれない?」
 レンタル料は払うわと付け加えながら目線をリゾットから逸らした名前は、中途半端に警戒が解けたものの物珍しいものを見るような男共の目つきに辟易とした。リゾット以外の面子と顔を合わせるもいつぶりだったか、そりゃそうかとも思い直し、どうなのメローネと名前が再び声をかける。
「レンタル料は母体になる、でどうかな?」
「冗談はよしてよ、あんたのスタンド気持ち悪いのよ」
「あっあっ!ベリッシモ最高だよその目つき!!レンタル料は今もらったよ、好きに使って!」
 感謝の言葉を口にすると、恍惚とした表情で飛びついてくる後輩の顔面を名前が片手で押さえつける。押さえつけられた手をベロベロ舐めまわされたので拳に変えてそのままメローネの頬に抉るかの如く一発入れた。それにも関わらず、相変わらず嬉々とした表情で横たわっている姿を尻目に名前は冷蔵庫に向かい、中から栄養ドリンクを一本取り出す。
「見ない顔がいるね」
「お前が来る日に此処に偶然いないだけで、随分前から加入していたぞ。ペッシ、ギアッチョ、イルーゾォだ」
「ふぅん。死ぬ前に会えてよかったわ」
「おい名前、おめーよォ玄関のドアノブどうしてくれんだよ、めちゃくちゃじゃあねぇか」
 タバコに火を付け始めた名前は煙をプロシュートに吹きかけながら、生ハムはうるさいねぇと呟く。男のこめかみ付近に血管が浮き始めればそこに触れ、短気は損気よなんて暢気なことを言いだすのを見てメローネがゲラゲラ笑いながら声をかけた。
「ところで、俺のバイク借りてどうするのさ?自分のバイクどうしたの?」
「この前色々あって廃車。家借りに行くのよ、さっき敵に乗り込まれた、風呂入ってるときに。全裸で闘う日が来ると思わなかったわ」
 フィルターまで半分残し、タバコを灰皿に押し付けた。



 名前にとって、信仰というものは至極退屈なものだった。明確な見返りのないものに祈りを捧げ、安否を委ねたり加護を願い十字を切ったり、聖書を読み上げる時間があるくらいなら便所の掃除をしている方がよほど退屈しのぎになるとさえ考えていた。だからと言って信徒たちを卑下するわけでもなく、少なからず彼らの存在も認めてはいた。それ以前に、自分がしていることを掲示したうえで神の加護を受けのうのうと生きるということは、罪もなく日の光を存分に浴びることができ、毎日を必死に生きて、人生を謳歌している前者に対しあまりにも失礼なことだと自負しており、自分の仕事や身分を気にせず図々しく教会に出向くような姿を例え話として想像するだけで、異常な吐き気を催すほどであった。
「ロォォド」
「……あんたからは想像できないほど可愛いスタンドよね」
「名前、家はどうするんだ」
 目の前で無数のメタリカたちが切れた皮膚の修復をしてくれていた。一匹小突いてみると、なんとなく困ったような顔をした気がしたのでおそらく頭部といえる部分を謝罪として撫でる。
「適当に借りるよ、今日は此処に泊まらせて」
「……名前、隣に座れ」
「昼間から性急ねぇ、あんたたちの本体は」
 そう発した途端、メタリカは姿を消した。デスクチェアから立ち上がり、簡易ベッドに腰をかけるリゾットの隣で同じようにマットレスを沈めた。タバコに手をかけようとして、此処は禁煙だとその手をリゾットに制された名前は、その黒目が極度の心配を孕んでいることに気づき、そうだっけと惚けながらすぐに目をそらした。
「もう少し危機感を持ってくれ」
「そんなこと言われても、私のスタンドがこれじゃあね」
「……この前の美術館の騒ぎはお前か?」
「そうよ、また一つ居場所を失った」
 名前のスタンドは暗殺者のためのものと言っても過言ではなかった。ターゲットを認識したうえで、彼らの行きそうな場所や入り浸っている場所に足を運ぶ。そうすると彼女のスタンドがその場にある痕跡を残す。痕跡を残してから五時間以内にターゲットと名前が同じ場所にいた事実が成立した瞬間、操られたようにターゲットは自ら武器を捨てて名前の元に自ら足を運び殺されに行くことになる。操られているような状態なため、スタンド使いも精神力を保てずそれも無力だ。
 画期的なスタンドが発現してくれたと喜んだのもつかの間、何に対する信仰心も無くそれに嫌悪している名前にとっては耐え難い苦痛を得ることになる。ターゲットが名前の元にたどり着きさあ殺されるといったときに、必ず名前に縋るように、うわ言のようにマリア様、マリア様と言いながら血走った目を名前に向けるのだ。
 初めてスタンドで人を殺したときに、たまたまその相手がマリア崇拝者だったのかと思ったらそれは違かった。もう殺した人数は覚えていない。他国籍で、他宗教信徒と思しき相手もいた。それにも関わらず、全員が跪いて「マリア様」と覚えたての言葉を反芻し楽しむ幼子のように口を揃えるのだった。
「それに、出来ることなら、私だって信仰したかった」
 パタンとベッドに倒れ込む。硬いマットレスは背中に馴染まず、地面に横たわっているようだと思ったし、ここでよく寝ているリゾットの神経すら疑った。
「また美術館に行っていたのか。今日といい、お前のスタンドなら相手から傷つけられることはないだろう?」
「今日と美術館の日の相手は、私をよく思わない同業者からの一方的な狙撃よ。私の能力とは別の話」
「……自傷している気分にはならないのか、聖母マリアの絵画をわざわざ観に行くなんて」
「教会になんて行けるわけがないし、美術館の宗教画の前が一番よ」
 赦された気分になる。そう付け加えると無言の時間が訪れた。
 マリア様と口をそろえ死んでいったターゲットたちがキリスト教を信仰していたかは分からないが、その宗教ではマリア崇拝を禁じている。ターゲットたちの中に信徒が居たとしたら、禁を冒しながら死んでいくことになるのだ。しかしながら、この国で生まれ育ち普通に暮らしているならば幼い頃からその宗教の片鱗に触れることもあるだろうし、昔からの家系ならほぼそれに染まっているだろう。スタンド使いかつ同業者の人間はやはりどこか頭にでも欠陥があるからこんな仕事をしているわけで、少なからず名前も例外ではない。私たちの中に信徒はいるのだろうかと、名前はたまに思うのだ。
「公に自分は信徒と言える人間が、最後には禁を冒しながらそれを嫌う私に殺されるとかさぁ、……きっつい」
「お前がマリアになるなら、俺はお前を崇拝しよう」
「それじゃあ私、リゾットを殺さなきゃね」
 自嘲の笑みを浮かべる名前の目は低い天井を見据えたままである。自身のスタンドに則り、我らがリーダーの死刑執行を宣告すれば勘弁してくれと、リゾットは横たわる名前の額を手の甲で撫でつけた。その瞬間、名前は目尻を湿らせた。それから何筋か涙をこぼしながら、口を開く。
「私、アサシーノなんて向いてないんだよ。毎回毎回殺した直後に、本当は私が一番の信仰者なんだって思わされる」
「お前は真面目すぎる。同業者にも信仰者はいるぞ」
「分かってるけど、顔向けできないよ。日曜日に教会に向かう人たちを見ると腹が立って仕方ない。嫌いなんじゃなくて妬みってわかってる。私のスタンドは幻覚でも見せる能力もあるのかしら。何で私をマリアなんて言うのかね、それすら嫌味としか思えない」
 リゾットは何も言わなかった。その代わり、名前を抱き起こし目元にティッシュを宛てがった。そのまま名前を膝の上に向かい合う形で座らせ、大きな黒目で彼女の顔を覗き込む。
 昔から自分の職業を基準に考え、俗世間の中で異質な存在だと思い込み、人をなるべく寄せ付けないようにしてきたお陰で、その飄々とした態度と非の打ち所がないスタンドを妬む低レベルな同業者の狙撃をよく受けていた。転居を繰り返すのはこれで何度目か。他のメンバーのことを思いアジトにも寄り付かず、それに加えてこんな苦悩と戦っていたとは。リゾットは、名前の暗殺者としての仕事ぶりを買っていた。誰に何を言われようと動揺せず任務を遂行し、一般人を巻き込むのも殆どゼロに等しいことや、ナイフや銃の扱いもかなりのレベルであるところは、他のメンバーにも見習って欲しいと思っていた。そんな彼女の弱いところと、自分ではどうにもフォローしきれぬ悩みを叩きつけられ、リゾットは歯痒くてたまらなかった。
 名前の背中に手を回し、規則的なリズムであやす。普段の名前ならやめてと素っ気なくするだろうに、借りてきた猫のように大人しく腕の中に収まり、未だにメソメソと小さくなっている姿が見られる日が来るだなんて、リゾットは思わなかった。
「名前、確かにこの仕事をしているうちは、お前はスタンドを使うたびに苦しむし日曜日になる度に気が沈むだろう」
「うん……」
「ならば堅気になれる日を待つしかない」
「無理だよ、だって」
「ああ、お前のことだから堅気になった途端、過去の行いを懺悔し始める。したいだけすればいい、苦しくなったら俺に縋ればいい、八つ当たりをしてくれて構わない。教会がお前を赦さなくても、俺はお前を赦す」
 だからこの仕事を手放すかどうか選択ができる日が来たら、一緒に堅気に戻ろう。汚した手は二度と拭えないしどれだけ清めてもお前は汚いと嘆くだろう。それは俺にもどうにも出来ない。だから、だから。
 名前がリゾットの頬を両の手で包み込み、ふふと小さく笑った。
「ちょっとぉ、あんたの方が重症だよ」
「……お前の泣いたところは初めて見たもんでな、慰め方がなんとも」
「小さい子供じゃあないんだから、もう大丈夫よ」
 でも、確かにあんたと堅気になるのは悪くないね。あのメンバーの中で言えばの話だけど、と名前がリゾットの肩を押し、ベッドに一緒に倒れこんだ。
「家は、アジトの近くにする」
「今から探しに行くんだろう?俺も行く」
「うーん。まあ、一人ぐらいは私の家知っておいたほうがいいよね」



「メローネ、キーどこ」
「はーいどうぞ!リーダーとの愛の巣でも探して来なよ!」
「余計なお世話だよ、クソメロン」
 名前ったら辛辣!と言いながらヘルメットを渡してくる後輩に今度こそ手を舐められないようにさっさとグローブを手に嵌める。リゾットが準備できるまで、メローネに自分のことを少しだけ教えよう。なんてったって、彼は私の名前ぐらいしか知らないのだからと、名前が口を開こうとしたときだった。
「名前、もっと俺らのこと信用してもいいんだよ」
「!……そうだね、あんたを信用できるようになるまで生きてりゃいいけど」
「そんなぁ!」
 待たせたとリゾットがヘルメットを受け取る。夜は仕事あるからそれまでには帰ってきてねとメローネが手をひらひらさせながら家に戻っていく様子を見届け、バイクに跨る。リゾットに手を取られ、腹に腕を回すよう誘導させられた。
「飛ばすぞ」
「お願いしますよリーダー」
 名前にとって、初めて憂鬱にならない日曜日となった。


(16/12/07)



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