白布の下に片腹痛い健やかな笑み



 白に軟禁されつつも、歩いたり座ったりは自由だった。ただ私にはどうしても、どうしても目の前のカレンダーを捲ることは出来ない。どうやらその行為だけは許されていないらしかった。きっと彼が気づいてそのうち変えてくれるとは思うけど、私は今、次の月の写真が見たいのだ。
 彼の提案で何となく、二人だけの、あるいはチームとの写真を使って作った今年のカレンダー。結局月毎に一枚選べなくて、半月めくりなんて贅沢にしたカレンダーの、その最後のページをめくるのは私でありたかった。
 病室のベッドに腰を掛ける、目の前で彼が大人気なくわんわんと、それでいて淑やかに泣いているのだ。
 私の死顔を見ながら、もう三十分も。


「おはよう名前、調子はどう?」

「名前、今日の天気はモールト・ベネだよ!」

「それでな、プロシュートのやつあのとき…」


 貴方の声、全部聞こえてた。聞こえていたのに、手脚は動かないし、声帯を震わすことも出来ないし、頭も使いものになりやしないから涙を流すことだって出来なかったの。ごめんね、何としてでも応えたかった。何も言えない私に、三年間もずっとずっと話しかけ続けて、祈ってくれていてありがとう。
 一般人の私に対して、かたやアサシンの貴方。貴方の能力の餌食になるところだった私。初めて声をかけられた直後に、こちらも直ぐさま貴方の名前を答えたおかげでスパイかと思われたようでとてつもない警戒をされたけど、貴方が入り浸っていた酒屋で働いていた私だから、すぐに分かったよ。そんな最悪な初めての会話をしたくせに、先に好きになったのは私だったっけ。肩書きの違いから、貴方のチームから反発を受けた私たちだったし、そんな彼らから聞いてた貴方の遊び癖はちょっぴり不安だったけれど、心配無用だったね。



「名前、今日はギアッチョもきたぜ」

「プロシュート、寝てる女を口説くなよ、俺のだぜ」

「……リーダー、俺はどうしたら……」

 子犬のように甘え上手で、拗ねて見せるところも愛おしくて仕方なかった。変態的な一面もあったけれど、私だけは何があっても護ってくれたよね。こんな仕事しかできないから、私に迷惑かけるからって離れようとしたこともあったよね。最初からわかりきっていたことだからって言えば、今の様にまでとはいかなくても何時までも泣きながら謝られて、きっとあのとき誠実な覚悟と一生の懺悔を背負うつもりだったのでしょう。優しくて、へらへらしてるように見えて脆い貴方のことだから、私たちに関する色んなことを考えて、形にしてくれて、そんな様子を見ていたチームのみんなも私たちを受け入れてくれたんだったよね。

 足を引っ張ってごめんね。貴方の弱点になるつもりはなかった。いくら愛し合っていても、貴方の仕事が全くの悪であっても、私は貴方の彼女として、一人の人間として、他人の人生に差し支えるような行動や結果を遺したくはなかったのに。こんなにも今、貴方を苦しめてる。きっと、自分が暗殺を仕事にしているから、だとか、もっと慎重に立地を考えて家を借りるべきだったとか、あのとき一緒にアジトにいればよかったんだとか、そもそも俺と出会わなければ私はこんな目に合わなかったんだ、とか。分かるよ、メローネの考えてること、分かるよ。私も同じだよ、貴方に出会わなければ、あのとき大人しく貴方に殺されておけば、愛する貴方を私のせいでこんなにも苦しめて、そんな顔させることはなかったのにって。

「名前、婚姻届、書いててくれてたんだな」
(見つけるの、遅いよ。捨てちゃってね)
「ここに来る前、提出してきたよ」
(こんな植物状態の私相手だよ、何してんのバカ)
「そうだ!ほら、前に言ってたカレンダー出来たんだぜ」
(ああ、あのときの写真だね。いい笑顔だねメローネ)

 そろそろ決断をしなきゃいけないんじゃあないか。
 メローネはときどきリゾットとともお見舞いに来てくれた。その二人組のときは、あまり私に話しかけようとせずに、私の直筆の手紙をいつも握りしめて肩を震わせているのだ。彼のことだから、私がこんな風になってしまった後もアジトでは気丈に振る舞っていたのだろう。
 私は彼と付き合い始めてすぐに、遺言書を書いた。それでもそんなかしこまったものじゃないせいで、戸惑わせているのかもね。日に日に増えていく遺言書の項目、というより、私がもし死んだときのお願い事程度のものだったんだけど、それになんとはなしに追加した【私がただ生きているだけの状態になったら、三年以内に諦めること】のタイムリミットが刻々と近づくたびに、貴方は一人でお見舞いにきて、朝から夜まで私につきっきり。
 それでとうとう、その日を迎えた。丁度主治医の先生にもそろそろ私を休ませてあげましょうなんて言われていたのでしょうね。

 貴方の仕事は暗殺。殺しのお仕事。目の前でこんなにも衰弱した、容姿も変わってしまった女を想い償い続けた膨大な時間、懺悔の言葉の数々、零した涙の測りきれない量も、やっとやっと、清算される。今日は私の命日、貴方が私から解放される日。逃げることも大事だもの、何のために離婚届も書いてあったと思うの。ちゃんとそれ、使ってよね。

「ごめん、ごめッ…やだよ、名前。つらかったよな、ごめんな、楽にしてやるから、そっちで、待っててよ…ッ…!」

 病室に鳴り響く無慈悲な一定音、時刻を確認する主治医、メローネの肩に手を置くリゾット、泣くもんかって顔してるギアッチョとプロシュート、二人を見習ってよね他の男どもったら、仕方ないんだから。ねぇ、ちょっとぐらいは分かってるよね、女一人死んでそんなんになっちゃうんだから、殺す相手にも家庭があること。身を呈して痛感してもらいました、なんて言ったら怒られちゃうかな。
 メローネ、ありがとう。直前になって、声をあげるもんだから、やっばり延命なんて言われちゃうかと思った。生命維持装置の解除、俺にさせてほしいって先生に頼んだところ、嬉しかったな。よく頑張ったね、えらいねメローネ、さすが私の見込んだ男だよ。

 頭を撫でてあげたかった、触れられなかった。もっともっと、側にいたかった。欲を言うと、ウエディングドレスとか、憧れだったんだけど、わがままは言えないね。
 ねぇメローネ、そうだよ、そう。ああ、カレンダー捲ってくれたんだね、ありがとう。その写真、大好きなの。チームのみんなに囲まれて、真ん中に私とメローネ、変な構図だったよね、付き合って一年記念日だってのにチームのみんな二人きりにしてくれないんだもんね、もう、あんなに反発してたみんななのにさ。
 メローネ、愛してくれてありがとう。愛させてくれてありがとう。何度も護ってくれて、励ましてくれて、認めてくれてありがとう。何時までも見守ってるから、呉々も無理だけはしないでね。来るべきときが来たら、私が迎えに行くから、そうしたらいつもの様に抱きしめて、ただいまとおかえりを交わそうか。

「メローネ、またね」


(16/10/01)



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