ムスカリ



 植物園の隅で咲いていた花をみつけたのはいつだっただろうか。その花を、慈悲深くも諦観を織り交ぜた眼差しで世話を続けている後ろ姿を、もう何度も見てきた。当初、声はかけなかった。今では、それが正解だったのか間違いだったのかは不毛なことだ。
 昼食後にラギー先輩にお遣いを頼まれた。レオナさんを見つけてきてくれという内容だ。多分植物園にいるけど、俺は他にやらなきゃいけないことがあるんでと困り顔で言われてしまって断れる私ではない。
 レオナ先輩がオーバーブロットしたあの一件を通して、サバナクロー寮に対し思うことはそれはもちろん山の如しだった。それでもこの学園の生徒の境遇を目の当たりにし介入したことで、私自身が傷つけられたと思うことはない。そこを線引きしなくてはいけないと思えたのは、レオナ先輩含めオーバーブロットした生徒を全力で護ろうとした他の生徒を目の当たりにしたからだろう。
 それは彼ら自身が抱えてきた苦しみももちろんのこと、恐れにより対等に向き合えなかった周りの人間にも責任がある。それに私も、含まれている。学友同士少しでも気持ちを明け渡し共に歩いていくことが、この学園には必要なのだとジャミル先輩のオーバーブロットを経験した夜に特に思い知らされた。
 外から来た私を当初は訝しげに、また揶揄う人たちも多く心が折れそうになったが、学校行事を通しグリムとともに受け入れ始めてくれる人が増えてきた。今はただ、その機会をより増やしてどうせならこの世界を楽しんでいくつもりだ。
 植物園に着いた。起こし方を間違えると獲物を捕らえた獅子の様な顔つきで凄まれるので探し求める声はあげずに探すも、どうやら植物園で昼寝はしていないようだ。
 検討のつく場所を考えていると、隅の方で青い花を前にしゃがんでいる人物が視界に入った。
 後ろ姿でも分かる。美の化身と言っても過言ではないヴィル・シェーンハイト先輩だ。寮服と似たその青い色の花は、どこか近寄りがたいオーラを放つヴィル先輩を物ともせず誇らしげに咲いていた。写真に収めたいほど、恐ろしく美しい光景に身震いし、両腕を撫りながら逃げるように後ろに足を引く。
「あら、居たの? ……いやね、そんな怯えたような顔をすることないでしょう」
「びっくりしちゃって、あんまりにも綺麗な光景だったので」
「そう。……こっちにいらっしゃい」
 苦手意識はないのだが、如何せん自分とは別次元の色香を目の当たりにし僅かな恐怖を覚えたのだ。だが掛けられた声は意外にも優しく、隣に腰をかけ一緒に花を見ながら話すうちにその緊張は解けた。
 エペルが萎縮している姿が脳裏に浮かんだが、それほどのプレッシャーというものを今は感じることはなく、都合のいい私は紅一点の学園生活の中で女性特有の悩みや相談を持ちかけても欲しい答えをくれそうだなんて、あまつさえそんな楽観的な考えまで持ち合わせてしまったぐらいだ。
 花は、ヴィル先輩を見返すように凛と咲いて居た。
「綺麗な色ですね、ポムフィオーレの寮服に似てます」
「ムスクに似た強く甘い香りも気に入ってるわ」
「こんな隅に咲いているのが勿体ないです、気づいていない生徒も多そう」
 ヴィル先輩は、ええと一言だけ返した。花の名を確認しようと思ったが、ヴィル先輩がちょうど名札の前に屈んでいるため確認が出来ない。なんていう花なんですかと声をかけようとして、その言葉を喉の奥にしまい込む。
 気高く、強かで、優美な彼の顔が一瞬歪んだのを見逃さなかったからだ。胸の最奥でずくんと何かが蠢いた感覚に襲われる。この嫌な鬼胎が芽吹いてしまう気がしてならなかった。
 焦慮する私は何か声をかけようと先ほど締め上げた喉を緩めるも、うまい言葉が一つも見つからなかった。何に不安を抱き、杞憂しているのかもわからないのだから当然だ。
「ちょっと、なんて顔してるのよアンタ」
「ヴィル先輩、あの……この花、なんていうんですか」
「ムスカリよ。この花は、暖色系の春の花を引き立たせるの」
 静かな口調でそう答えてくれたヴィル先輩は表情を変えずに、その花穂にそっと触れる。ムスクのような香りがまた、私とヴィル先輩を包み込んだ。
 強い甘い香りは、ヴィル先輩の香水の香りと混ざり途端に顔色を変えた。噎せ返るような香りが肺に侵食し、追い出そうと必死になる。たまらず立ち上がり咳き込めど、ヴィル先輩はそこから微動だにせずにただ呆然とその花に目を奪われていた。  
 足元から、大丈夫と抑揚のない声が這い上がってくる。ようやく落ち着き突然すみませんと謝罪をすれば、使えそうねと、的を得ない反応が返ってきた。
 あれだけ繊細に慈しんでいたその指先は、ムスカリを手折る。ひどく冷えた目つきは恐ろしいほど美しく、まるで浮世離れしていたせいでその行為に口を出すことすら出来なかった。
 よく考えれば植物園は実験で使う花々を育てている場所だ。その行為は何ら咎められることではない。それでも彼の目に灯っていたのは、その目的以外の感情に違いなかった。
「実験に使うんですか?」
「そうよ? じゃなきゃこんな素敵な花を手折る真似なんて、このアタシがするわけないじゃない」
「ですよね……ヴィル先輩、ムスカリの花をずっと気にかけてましたもんね」
 見ていたのね、嫌な趣味。と苦笑したヴィル先輩を見て、胸を撫で下ろす。
「それよりアンタ、何で植物園にいるの?」
「! レオナ先輩探さなきゃだったんだ……ヴィル先輩、またお話ししてください!」
「そそっかしいわね、まったく」
 本来の目的を思い出し腕時計を確認すれば、昼休みが終了する十分前だった。中庭で見たというヴィル先輩の言葉を頼りに思わず植物園を飛び出す。ラギー先輩のユニーク魔法で遊ばれるのはもうこりごりだ。駆け出す前に、ヴィル先輩は何かを発したが、私の耳には届かなかった。

「こんな花、大嫌いよ」


 ムスカリ──花言葉「夢にかける思い」「失望」「絶望」


(210117)



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