極彩色で窒息してくれ
「うん、うん……はーい! また遊ぼうね、オネーサン! …………で、お前はいつまで此処にいるの」
「別人すぎてウケる」
「ウケねぇし、答えになってないし……はあ」
事務所のソファに両足をあげて座り人の飴を貪る女を一瞥する。俺の話には全く持って聞き耳など立てず、やたらとでかいキャラクターカバーのついたスマホとかれこれ三十分はにらめっこだ。
俺も俺でスマホは鳴りっぱなし。一時間で三人の女との電話をはしごし、時計を見れば深夜零時を回るところだった。なかなか器用なもんだと自分を褒めてやりたいぐらいだ。名前も間違えずに前の会話を思い出しウンウンと相槌を打ち話題を振る。これも後の仕事へと繋げる為の種蒔きである。
遊ぶのは気晴らし。皆んなから愛されるシブヤディビジョンの飴村乱数を確立させる為の手段だし、中でも仕事に繋がりそうな相手ならこの一時間のようにアフターケアを行い、そうでないなら彼女らのステータスのために一夜と言わず気の済むまで相手をしてやることもある。それは食事であったり、ショッピングであったり、文字通りの同衾を含んでいた。
「お前終電間近じゃないの」
「っぽい、でも此処からじゃ駅まで間に合わないしさぁ、皆んなみたいに泊めてよ」
一時間ぶりに目が合った気がする。漸くあげたヘラヘラした面に濃いめのメイク、どの女よりも見てきたその顔は強請るように眉尻を下げ、あからさまに猫なで声でデスクに腰掛けた俺に投げかけた。
「だめ。職場には絶対泊めない。ていうか幻太郎と帝統以外泊まらせたことないけど」
「じゃあ、その奥の部屋! 乱数の部屋でしょ?」
「お前バカなの?」
プライベートルームは、幻太郎と帝統すら入ったことのない場所だ。そもそも男が男の部屋に入って楽しいものなんて何もない。男子高校生ならベッドの下をこっそり見て騒ぐようなことをしたかもしれないが、よもやそんな歳でもなければそんなくだらないことで騒げる連中でもない。一瞬の盛り上がりではなく、俺たちはあの一件からもっと楽しい余生を過ごす為の宣戦布告をお国に叩き付けようとしているのだ。
それに、あの部屋は皆んなの知る飴村乱数の部屋ではない。
事務所のように目を刺激するような色味もなければ、勿論クマのぬいぐるみなんてものも置いていない。キッチンは事務所側にあるし、私物の洋服を収納するクローゼットもこの事務所側だ。
つまり、大した物はないけれど俺が俺でいる為の大事な空間なわけだ。
「へー、乱数くんはぁ年下の女の子をこんな時間に追い出すのかあ!」
「金渡すからホテルでも満喫でも行きなよ」
タバコに火をつけ、鞄の中から財布を取り出す。ルブタンじゃんと後ろではしゃぐ声が聞こえたが、深夜になんて調子のいいでかい声を出すんだと呆れさえ覚え始める。
シブヤのどこにでもいそうな頭の弱そうなこの女に、俺のこの一面を見られたのは恐らく一生の不覚だろう。
本物のチームを手に入れたあの日の前から、延命のための飴が少なくなり支給すら危ういような気がして最低量しか摂取していなかった俺は、事務所に帰る直前で不意を突かれ一方的な野良バトルを仕掛けられた。デザイナーの仕事が立て込み徹夜をした日で、外出用の飴も尽きた最悪のタイミングだった。普段ならかすり傷程度のリリックでさえその時の俺にダメージを喰らわせるには十分だった。もちろんバトルには勝利したが、事務所まであと少しの夜道でズルズルと座り込んでしまった時に、水を持って駆けつけてきたのがこの女だ。
そんな調子でいつもの飴村乱数で居られるはずもなく、差し出されたペットボトルを払って触るなとつっけんどんな態度を取ったような気がする。最悪だろうけど、バトルには何ら無関係な、手を差し伸べてくれた彼女に訳も分からず罵声まで浴びせた気もする。それでも俺の介抱を諦めず、今日とは打って変わって無言のまま指示したこの事務所に連れてきれくれたのだ。
「あの日は泊めてくれたのに、事務所でも」
「あれは……俺もあまり覚えてない、けど」
ソファに転がっていたぬいぐるみを抱え口を尖らせたこいつは結局、翌朝俺が落ち着くまで勝手とはいえ側にいてくれたのだ。
その日は助けられた身にも関わらず、口の軽そうなタイプの女にこんな姿見せたからにはマイクを使うしかないかとも思ったが、存外杞憂に過ぎなかった。連絡先を交換し、暫くエゴサーチもしてみたがこいつの投稿らしきものは見つからず、僅かに安堵した覚えがある。飴村乱数が怯えてエゴサーチだなんて、シブヤの女たちにとっては壮絶な解釈違いだろう。
それから、何故か事務所に入り浸るようになった。助けられた身なので強く拒絶もできず、仕事の邪魔をするわけでもなく、何なら女性もののサンプルの時はモデルをしてもらうことも何度かあったぐらいだ。とはいえ自分よりも年下の女を匿うような真似は出来ることなら避けたいのが本音だ。何度も事務所にはもう来るなと口すっぱく言い聞かせたものの、やっぱりこいつは人の話なんか聞いちゃいないようだ。
「ほら、二万渡すから。お前の事情は知らないけど、ホテルなら三日ぐらい泊まれるだろ」
「……ほんとに、いちゃだめ? 家、帰りたくなくて」
「あのね、此処職場なの。泊まらせてくれるやつとかいないの?」
「いるけど、……泊まるってのは、そーゆーことしなきゃじゃん」
不貞腐れながらソファの背もたれに向かい合う形でいよいよ足を伸ばし横たわってしまった女は、つまりそういう男友達しか周りにいないらしい。開口一番の屁理屈がそれなのだから、同性との交友関係もつまるところ馴れ合いでやってきて希薄なものなのだろう。
オーバーサイズの洋服は、重力に従い横たわる女の頼りない背中のラインを露わにした。小さく、頼り甲斐もなく、どうしようもない寂しさを感じさせる背中だった。ああ、シブヤの夜はこういうものだよなと宙ぶらりんになった札をとりあえずスマホの上に置いてやる。
明日は仕事も休みだし、現段階では予定も入っていない。俺だって毎日好きなことをして過ごしているわけではないのだ。
あのムカつく女からの指令とご機嫌取り、クローンのカモフラージュと情報収集のしやすさと世間の目を向けてもらう為の仕事、チームミーティング。目の回る日々を過ごしているのだ。
こんなことならもっと感情を抑制して欲しかった。俺だって、好き好んで自由に生きているフリなんてしたくなかったし、こいつを同じ穴の狢なんて、思いたくはなかった。俺は足掻いてもがいて必死にそこから抜け出して生きようとしているのに不可抗力でそれが叶わないという現実を突きつけられた身だと、今ならそうやって自分を可哀想だと認めてやることができる。
それに対し、こいつは怠惰を理由に自分には色んなものが手に届かないという欺瞞を施した。そうすることで気づかないふりもできるし、傷つくことだってない。現実を見る必要も勿論ない。
何度だって言ってやる。自己解決から逃げ出すようなガキを同じ穴の狢だなんて思ってやりたくない。それほど、俺の苦労はでかいし仕事量だって多い。今すぐにでも過労死しそうなんだ。
いいチームメイトを持った。ギリギリで生きることの充実感と言葉遊びによる多幸感。俺が死に物狂いでやっと手に入れたものだ。
「親と仲悪いの? まあ、聞いてやらないこともないけど」
「……うち、父子家庭なの。お父さんが最近彼女をつくったんだけど、気が合わなくて」
「言っちゃ悪いけど、よくある話じゃないそれ? 他は悩みあんの?」
「自分が、ワカンなくて。決まった女友達いないし、男友達とはなんか、そういう事断れなくてシちゃうし。なんか、全部面倒くさい。しんどい、小さい頃は早く大人になりたかったのに、ジンセーやり直したい」
乱数はそんなこと、思わないよね。そう小さい背中が呟いた。
巫山戯ないでほしい。これでも年上だから、話だけでもと聞いてやれば人がどんな苦労をして、何度感情なんて要らないと思い、一方で大事にしてきたか。守ってきたか。やっと今、俺なりにやり直す方法を探しているのに。
細い手首を引っ掴めば驚いたように俺の方に身体を向けた。怯えた目の奥に諦観を感じた。
「痛ッ、痛いよ乱数! 離して、私なんか、言った?」
お前がお望みの俺の部屋で、お前は俺に絶望すればいい。そうやってちゃんと怯えることもできるのに、なんで諦めるんだよ。俺は、お前のその欲張りな感情が羨ましくて、妬ましいばかりだ。
そのまま自室のベッドに放り投げた。電気もつけていないのに迷うこともなく、何かに躓くこともなく彼女の体はベッドに受け止められた。それほど俺の部屋は何もない。ベッドと、ものが書ける程度の大きさのローテーブルと絨毯。それだけだ。
人の人生を、なんだと思っているんだ。なんでここまで怒りがこみ上げてくるのだろうか。あの日もきっと彼女に、同じような感情を罵声として浴びせたのだろう。
俺は組み敷いたこの女よりも年上であって、人間になってまだ日が浅く幼いのだろう。
「乱数、なら、いいよ」
「ッ自惚れんなよ、ほんとさぁ……俺はただ、お前に無性に腹が立って仕方ないんだよ! なんで、なんで俺は……」
クローンなんだよ。
言葉にしたらきっと、どんなリリックよりも俺を揺さぶり殺されかねない。人間なんて全員俺が手にかけてやると息巻いていた日々の俺が見たら抱腹絶倒するだろう。
生きる。それだけのことがどうしてこんな難しくて、恐ろしくて、妬ましく、羨ましいことだろうか。
ハッとして女の顔を見れば、赤い目が俺を見上げていた。それと頬に、涙。どちらともなく鼻をすする音が部屋に響きいた。
「先に泣いたの、乱数だよ」
「なんでお前も泣いてるの」
「ンー、好きな人が泣いてたら、泣いちゃうっしょ。なんか私のせいっぽいけど」
こんな状況でヘラヘラ笑えるのは、どういう感情からくる現象なのだろうか。最近、皆んなの飴村乱数ではなく、今の俺は喜怒哀楽という大きな枠組みについて臆することなく表現と理解は出来ていた。
今彼女は、好きな相手にぞんざいに扱われた上で、それを許し、笑っているのだ。困った時にヘラヘラ笑う奴がいるが、そういうことでもなさそうだ。大きな枠組みの中で、その感情はどこに当てはまるのか。怒りしか知らないのに、なぜか安堵している俺の感情は、何に当てはまるのだろうか。
人間として生きるためには、こんなにも煩瑣な感情にも揺さぶられなきゃいけないらしい。
「興醒め。俺はお前のこと、嫌い」
「はは、どっちの乱数も私は好きだよ」
「どっちってなんだよ」
「私以外の女の子と接する時の感じと、私とメンバーしか知らないこの飴村乱数、どっちも乱数じゃん」
ああ、帝統にもお前の素ってどっちなんだと茶化されたし、幻太郎にはどっちも乱数だと言われたっけ。自分のことは諦めるくせに、人の機微には敏感で居られることは美徳というやつだろう。
お前は、俺の欲しいものをたくさん持っているんだな。
「私、まあ見た目もこんなだしバカだし、ダウナー系ってやつかもだけどさあ。好きな人が苦しんでるってのはしんどいよ」
「お前もう、黙ってて」
抱きしめられたのは、どちらだろうか。
今後、招いてもあの二人ぐらいだろうと思っていた俺の部屋に真っ先に足を踏み入れることになったのが、彼女だとは思わなかった。
少なくとも補填し合う関係というのは、男同士だけでは賄えないものがある。営業スマイルを貼り付けたままでは、明渡せないものがある。
空きっ腹になるまで腹の底を見せ合って、喜びの元手を共有し、怒りの所在を露わにし、哀しみの削減に努め、楽しいことも忘れずに。それが出来る相手を見つけるのは骨が折れることなのだろう。
「私は今の状態の乱数しか知らないけど、感情ぶつけてくるところとか、すごいなって思う」
「それ恥ずかしすぎるから二度と口にしないでほしい……まあ、悪かったよ。腕、ごめん」
「私も今度、お父さんと私と、彼女さんの仕合わせのために自分の思ってることとか、バーってぶつけてくるね。ありがとう」
離れた身体で冷静に見た彼女の顔は生き生きしているように見えた。ああ、また貸しを作ってしまった気がしたが、つけあがりそうなのでそれに関しては言わないでおこう。何でもない日の夜中に救われてしまったのは、俺の方なのだから。
(200525)