清濁の展開図



 これはフェアリーテイルじゃない。いま身の周りで起きている凡ゆる事象は起こるべくして起きた結果に過ぎない。ポケットを叩いたらビスケットが増えるようなことも起きなければ、ある日いきなり全世界を敵に回すようなことだって起きやしない。
 私は今までだってそうやって割り切って生きてきた。汚い女と周りに言われても、それは目的の為の過程にすぎない。欲しいものは何をしてでも誰を傷つけてでも手に入れてきたし、自分に素直に生きてきたと胸を張ってしまうぐらいだ。
「鍵、ポスト入れておいてよ」
「わーったっての!」
 それで手に入れたのが、甲斐性無しのギャンブラーとは笑える話じゃないか。
 今までどれ程の罵声を浴びせられ、後ろ指を刺されながらもここまで悔いのない人生を送ってきたつもりが、こんな男に惑わされてしまうだなんて。
 絆されたつもりは今でさえ無いと言い切れる。この男が私の家に転がり込んできたのは運の尽きかそれとも。所謂ダメ男は墓に入るまでダメな場合もあるし、大成する可能性を秘めている場合だって大いにあった。この男もその例外では無い。
 私の生活圏は全てFling Posseの、有栖川帝統のもので間違いない。ディビジョンラップバトルに進出するにあたってシブヤ代表になった瞬間、この街は彼らが覇権を握っていると等しい。それ故に、帝統をダメ男と一括りにするには些か不誠実である。
「今日もスロット?」
「いんや、ちげーよ」
「着飾っちゃって」
 帝統が袖を通したジャケットも、真っ黒なタイトスキニーも私が働いた金で購入したものだ。
 数日前に珍しく服が欲しいなんて言うものだから、瞠目してしまった。服に一切のこだわりもなく、一張羅を大事に或いは雑に着回し生活をしてきたこの男が、ブランドを指定してまで欲しいと強請ったのだ。勝った日に自分の金で買えと突き放したが、ふとそのスマホの画面に映された衣類を着て一緒に出かけるところを想像してしまった。気付いたら翌日、レジでカードを切った始末だ。
 この服を着て、自分の隣を歩くFling Posseの有栖川帝統を揣摩すれば、既に私の優越感は充たされた。現実のものにするために、私の理想を実現するために、私の賃金が犠牲になる。それだけの事だ。
「……あんた、誰と出かけるの」
「誰でもいーだろ」
 私とのデート服として買い与えたつもりの洋服を、私がこれから仕事に行く日に初めて袖を通しているこの男を見ると得もいえぬ敗北感に似た何かを感じた。
それを初めて着て出かける相手は、私であったはずだろうに、香水までつけてどこの女と何処へ行き、何をするのだか。
 せめて私が家を出てから、私の知らないところで身支度をして欲しかったのだ。出かける相手について糾弾すれば、面倒くさそうな顔ではぐらかされる。
「そうですか、じゃあサヨナラ」
「拗ねんなっての、仕事がんばれよ」
 何が頑張れだ。お前のせいで、私の情緒は出勤前に既にぐちゃぐちゃだ。
 私はフェアリーテイルの中で一生自分の理想を実現し、自分のためだけに他を蹴落としてでも生きていきたかったのだ。この私を煩雑に扱った報いを受けてほしい、電車に揺られながらこんなにも物騒な感情を宿していることに気づき笑いが込み上げてきた。
 どうして、どうして有栖川帝統は自分の思い通りに行動をしてくれないのだろうか、私の傲慢さを受け入れたからこそ珍しいものを見つけたような気で傍にいるのではないのだろうか。
 プツと音がして唇から血が滲む。悪い癖だ、直さなければ。



「おかえり」
「ただいま、早かったね」
 定時に会社を後にし、朝と同じように電車で揺られ帰宅をしている最中も、なんなら仕事中にも今朝の出来事が反芻されて気分が悪かった。普段ならしないようなミスをしても、今日は全部心の中で帝統のせいにした。そのくらい赦されるだろう。
 洗面所で手を洗いピアスを外し、夕方の手洗いぶりに見た自分の顔は酷い有様だった。自分のこの顔つきに厭悪すらしてしまいそうなほど、私は今朝の出来事に揺さぶられ固執していたらしい。まさかこんな顔で帝統に向き合う訳にはいかない。なんせもう八時間も前の出来事に対する不機嫌をいい大人が未だ払拭出来ていないだなんて、年下の男でさえ呆れるだろう。其れだけは、自分に甘く生きてきた私でも赦せなかった。
 リビングに戻ると、ソワソワした帝統がソファを沈めていた。グラスに麦茶を注ぎ、同じように隣に座りソファを沈めれば、男はおずおずと小さな紙袋を差し出した。
「これ」
「なに?」
「プレ、ゼント……世話になってるし」
 驚いた。思わずグラスを落としそうになったが、逸る鼓動を必死で抑え、取り繕うようにあえてゆっくりとした動作をしてみせる。
 紙袋を見た瞬間、中身がこの年代の女性が憧れるブランドのアクセサリーということは一目瞭然だった。まさかこの男が私にこんな大層なものをプレゼントするとは思わなかったのだ。
「帝統、これ」
「乱数と出かけたんだよ今日は、俺全然わかんねーからこういうの」
「……乱数ちゃん、と?」
 本当に、本当に乱数ちゃんと出かけたの?そう念を押して確認すれば、あいつのインスタ見りゃ分かるだろと返された。
 小さな箱を開ける。デザイナーの彼が選んだだけあって、女性が身につけやすく、其れでいて可愛らしいデザインの指輪が輝きを放った。隣で帝統が、だから今日は下手な服を着ていけなかったのだと、デート用の服を身につけて出ていった理由を説明したが、最早そんなことはどうでもいい。
「高かったんじゃない?」
 内心、大興奮していたが抑制して声のトーンを落としながら伺う。
「値段とか気にするなよそういうの」
 んで、どうなの? と、それは気に入ったかどうかの話なのだろうか。
 いよいよ私が感謝を口にする出番がやってきた。ああ、今日この日まで頑張ってきてよかった。辛い仕事もあったし、なんなら図太く不躾に自分のためだけに生きてきたこの人生が報われると思えるほど、私は本当に嬉しかったのだ。
「帝統、ありがとう……!」
「おう……その、これからも、よろしくな」
 勿論だ。今朝から考えれば手のひら返しもいいところだと第三者は言うかも知れないが、それでいいじゃないか、人間臭くて、泥臭い感情でもいいじゃないか。
 早速指輪を嵌めて、感極まって帝統に抱きつく。
 ああ、本当にありがとう。帝統、Fling Posseのメンバーでいてくれてありがとう。乱数ちゃんと関係を持っていてくれて、ありがとう。乱数ちゃんが少しでも私を考えてくれたという事実だけで、私はもう暫く仕合わせで居られる。帝統、至上の悦びを運んできてくれてありがとう。私はこれからも、自分のために誰を傷付けてでも、欲しいものを手に入れるね。



(200304)



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