消息は融解を知らない
「どうして?」
名前が訝しげな顔で、目の前の金髪を見上げる。バツの悪そうな表情で、いや、えっとそのと言葉を濁らせるメローネには一切の落ち着きはなく、普段の飄々とした態度は全くどこにいってしまったのだか。言葉を濁した男の表情はころころ変わり、名前のキュッと結ばれた唇を見ていよいよ眉を八の字にし、今度は泣きそうな顔になってみせた。
「……メローネの雰囲気にぴったりだなって、思ったんだけど」
「そうやって俺のことを思って選んでくれたのはディ・モールト嬉しいんだ、それだけは誤解しないでくれ」
「じゃあなんで、受け取れないなんて言うのよ」
俺だって受け取りたくないわけじゃない、これは今後俺らの関係に関わることなんだと男が言えば、女はいよいよ苛立ちやら悲しみやら分からぬ不機嫌を言葉でぶつけた。
香水一つ受け取れないだけで大げさなのよ、本当にむかつく。せっかくの記念日に名前からメローネに送った香水は、訳の分からない理由で拒絶されてしまった。彼の為に選んだ時間、稼いだお金は一体何だったのか、付き合って三年目の記念日にこんな仕打ちを受けるだなんて思いもしなかった名前は、綺麗に包装された香水をメローネに投げつけてしまった。行き場を失った香水はメローネの腕に当たり、無情にも床に転がり動きを止める。
最近は会える時間も少なくなり、喧嘩も以前に比べ増えてしまったのは事実だ。せめて今日ぐらいは付き合いたての頃を思い出して和やかな一日を過ごそうと思ったらこのザマである。
「名前、……ごめん」
「もういいや、帰るね……どうせ、今日の夜も仕事なんでしょ」
「うん……なあ名前。これだけは真面目に聞いてくれないか?」
気の乗らない生返事をしながら、玄関に向かう名前の腕をメローネが掴んだ。
気に入らなかったならそう言ってもらえたほうが余程よかったのに、これだからイタリア男はと名前がかつて付き合ってきた男の顔を懐古しつつ不満気なトーンで返事をすれば、見たこともないような眼光をメローネに向けられた。
それは今までの名前のつっけんどんな態度を謝罪し、尻込みしなければならないような、鋭く狂気を孕んでいる何とも引用しがたい眼光で、名前の腕は少し震えた。
ああ、優しい優しいこの男もついに私の我が儘に耐えきれなくなったと名前は目を閉じる。
また同じ失敗を繰り返し、捨てられていくのだ。名前とていつだって気が強い女ではない、確かにイタリアに住んではいるが生粋の日本人である。いじらしく、弱弱しく儚い大和撫子だって多くのイタリア男に飛びつかれた名前は満更でもない痴情を楽しんできたのも事実だが、己の人生を振り返りそろそろ年貢の納め時だろうと、今目の前で自身を恐ろしく冷たい眼差しで見下ろすこの男とあわよくば永遠をだなんて。
思わず自嘲し、観念したと言わんばかりにメローネの瞳をしっかり見つめ返す。逃げ場などもう無かった。
「……な、に?」
「名前は、俺が普段どこで、どんな仕事をしていると思ってる?」
「なにそれ。電車を乗り継いで、身内がやってるバーじゃないの?」
「俺が一度でもそこに、愛する名前を連れて行ってその身内に紹介したことがあった?」
三年間のうちで、確かに彼の身内には一人も出会わなかった。両親が既に他界している話を聞いていたが、それならばそのバーの身内にでも紹介していただろう。名前はいよいよ、自分が三年間も遊ばれていたのかと大きく落胆した。
キッと名前がメローネを睨みつける。この局面はもう覆せやしないだろう。名前はいよいよ目尻を湿らせ、どんな悪態をついてやろうかと懸命に頭を回転させたが、思い返せばこの男との生活は今までの誰よりも楽しく、ロマンチックで、時に甘美でセクシュアルな時間を共有してきたのだ。そう簡単にそれらを否定できやしなかった。
「おい、名前。何か勘違いしているんじゃあないか?」
パッと表情を変え名前の顔を覗き込んだメローネの顔は、名前が好きでたまらない顔だった。
なんて狡い男なんだ。たった数分、数秒の出来事で名前は吐き気を起こすほどに、この男との終わりを考えるだけで異常な程の辛さを叩きつけられたのだ。それはもはや依存とも言える、一つの病気に違いなかった。
安堵はいよいよ名前の頬を濡らす。メローネは何も言わずに名前の頬を拭い、意外にも逞しい胸板に引き寄せる。
今日で三年目だな、変わらず愛してる。安定剤は名前の上から降り注いだ。ああ、最悪だ。否、最高の悪循環だと名前はこの男に絆されることで生かされているのだと再認識した。無宗教の国で生まれた名前が崇拝する者がまさか自分の彼氏であるだなんて。
「面倒くさくて嫌になる、自分が」
「そんなところも俺好みだよ。……名前、理由聞きたいかい?」
「聞かせてくれるの?」
「名前が、俺と添い遂げる覚悟が出来ているならな」
メローネの表情が多少ほぐれたとは言え、重苦しい雰囲気に変わりはなかった。覚悟という言葉の意味を、反芻する。多少の理解では解釈に齟齬が生まれ、一瞬で一生埋まらない溝が出来かねない、そんな中途半端な覚悟では決して許されない雰囲気が漂っていた。
たかが香水でこんなことになってしまうだなんて、別の候補の物を買っておけばよかったと一瞬は考えた名前だが、香水を渡さなければこの修羅場は起きなかったのだ。この修羅場は、メローネと名前の今後のために明らかに必要なものであり、なければ何時までも上辺の付き合いを続けたことだろう。それだけは避けたかった。
メローネが本当はどんな職種に就いていて、どんな理由で香水を受け取れないのか。原因がわかれば、今後触れてはタブーなことも多少自ずと分かるだろうと、名前は愛する教祖の言葉をこれが私の覚悟だと、一ミリも零さず、吐き出さず、飲み込むことを誓った。
名前はいつも通り、メローネの瞳をゆっくりと見つめ返す。
「出来てるよ、覚悟」
「そのようだな、……耳を塞ぎたくなったり幻滅されてもかまわない」
ただもちろん、そうなったらお互いのために終わりにしよう。きっとメローネはこう続けようとしていたのだろうと、名前は理解していた。
スッとメローネが息を吸い目を伏せた。相変わらずまつ毛が長いなあなんて、こんな時まで呑気なことを考える余裕があった名前に、メローネは現実を叩きつける。一語一語に神経を使い、なるべく名前が動揺しないように、いつも通りの話し方であまりにも残虐な言葉を吐いていくメローネは、名前より先に自分がこの場から逃げ出してしまわないように、懸命に名前の手を握っていた。
自身がギャングのチームの一員であること。直接ではなくとも、生まれ持った能力を使い何人も人を殺してきたこと。日々自分も命を狙われている身であるからこそ、居場所がわかるような香水をつけられないこと。そうしてこれから、自分たちの上司へ下剋上を行うこと。つい最近、仲間が亡くなったこと。
この肉塊の溝から洪水している汗は、いったいどちらの分泌液なのか。名前の手を握る力が弱くなり、メローネの手が逃げてしまいそうになるたびに、それがどんな内容であろうが名前はメローネの手を握り返した。一方で、非現実的な言葉がメローネの口から洩れる度に、震える名前の手をメローネはきつくきつく、握りしめた。
簡潔な内容であった。時間で言えば十分程度のことである。だがそれは、二人にとっては今までで一番苦しく、悔しく、またどこかで清々しさを覚えた長い長い十数分の出来事であったのだ。
「悪い癖、一人で全部抱え込む」
「犯罪者だ、ポリツィアに突き出すなら今しかないぜ」
「……異常だって思われるだろうけれど、今日から私も共犯者だよ」
もう、手遅れ。あまりに現実味のない内容のくせに、ああそうだったかもしれないなんて思わされるような雰囲気の中で、噎せ返るほど強いタバコを口に含んだのはいったいどちらが先だったか。
あまりにも無防備な秘密じゃあないか。こんな話をしてよくも平気な顔をして、人の皮を被って当たり前のように生活をして。だがどうだろう、名前はそんな渦中にいた彼をより一層愛おしく思えたし、依存を超えた憧れだけでは満たされていなかった何かに十分すぎるほど潤いを与えたのは、不真面目すぎる度を越えた御伽話である。
一度なら、名前の夢を叶えてあげられることは出来る。そう困り笑いをしたメローネによりラッピングされた紐は長い指により解かれ、箱から取り出された液体は男の肢体に控えめな霧となり降りかかる。
「名前にとって、俺はこんな匂いの印象であってたかい?」
もちろんだ。何度も候補の中から比べて自信をもって一番を選んだつもりだ。そう名前が胸を張ればあっという間に彼女の身体は宙を舞い、何度も肌を重ねたベッドの上に運ばれた。
いつも通りの愛情表現を行い、いつも通り特別なこともなく委ね合う互いの中に今更芽生えたこの感情になんと名前を付けようか。ああでも今は、今暫くは別の喜びを含んだ自身の嬌声をどうか甘受してほしい。名前は何度も確かめるように、目の前の愛する男の人生を自分が、自分だけが赦してあげられる存在なのだと、これは最早自惚れにも等しいと思いながらメローネの背中に傷をつけ続けた。
名前の思惑はもちろんメローネには十二分に伝わっていたし、メローネにとっては今日が誕生日のようなものだと思わずにはいられなかった。生まれて初めて自分の人生と体質と、仕事を打ち明けられる最愛が、今も自分のためによがり狂ってくれているのだ。今まで生きてきた中でこれ以上に嬉しかったことはない。そうしてもちろん、これ以上の喜びを今後自分が生き続けて得られるとは、この仕事をしている以上そんなことが起こることがないと分かっていた。
だからこそ、至上の喜びを名前から与えてもらえたことに、思わず涙が出るほど嬉しかったのだ。
「結局いつも通りの三年目の記念日ね」
「俺には十分すぎる一日だ」
情事を終えた男女は、どこにでもいるカップルと同じような会話を繰り返す。
「仕事、気を付けてね」
「心配するな」
名前が眠りにつくまでは、ここにいるから安心して眠れよ。今までで一番優しい口調でメローネがそう伝えれば、名前は微笑み瞳を閉じる。
数分後に規則的な呼吸を繰り返すようになった名前に、メローネは最後の言葉をかける。だがそれは愛の言葉や感謝の言葉でもなく、忠告や助言に等しいものだった。愛の言葉は三年をかけもう何度も説いてきたつもりだったし、きっとそれを名前も理解してくれているはずだと考えたうえでの、メローネの遺言に等しかった。
「一か八かだ。そうでなきゃあ、俺たちは栄光を掴めやしないんだ。でも名前、俺にとってはお前も俺の栄光の一つに今日やっとなり得たんだ。ベリッシモ最高なことだとは思わないか?……まあ、聞いちゃいないよな、それでいい」
アイマスクをつけ、グローブを付けた手で名前の頬を軽く撫で上げる。
「数日後、この街はよくも悪くも変化し始める。俺らにもしもがあったとて、全てが悪に転じるわけではない。安心してお前は仕合わせになって、俺が居ない当たり前の生活を送るんだ。どうしても苦しくて仕方なくなったら、そうだな。きっと俺と闘うであろう男に俺なら賭けるな、なんたってこの俺を倒す奴がいるかもしれないんだ、そいつに出会えたならその蟠りをとってもらえばいいさ」
眠りから目を覚まし、慌てて腕時計を確認しても僅か十五分程度しか経っていなかった。五年前の月日を巡る夢が、たった十五分で済んでしまったのだ。十五分の中で、メローネは二度も名前の中で死んだのだ。
腕時計をぼんやり見つめていると、間もなくこの番線に電車がやってくる時間だった。育児に追われる生活の中で、今日ぐらいは僕がバンボロッタの面倒を見るから羽を伸ばしておいでよと、旦那と愛する娘に笑顔で見送られた名前は今日いきなりそんなことを言われても逆に困ったと、とりあえずローマのとある駅に足を運んでいたのだ。
まずは新しいヒールでも購入して、たまにはマードレから一人の女に戻る瞬間があったっていいじゃないかとお気に入りの靴屋に行き、仲のいい店員との会話を楽しんだ。どうせなら履いていったらいいと言ってもらえたので、ベネと一言返し新調したヒールで店を出て、再びローマの駅に戻ってきた。
そうして次の電車を待つわずかの間、日頃の疲れが出たのか眠りに落ち、こんな日に見ても誰からも慰めてもらえない夢を、こんなに落ち着かない場所でフラッシュバックさせることになろうとは。
徐々に五年前の記憶が明るみになってきた。
当時の私は異常だったのだと、今の私なら思える。そう名前は、かつて狂うほど愛した男の数々の言葉を思い出す。いまだ私はきっと、あの男の中では十分な共犯者であったはずだ。あの日あの頃、私たちを支えてきたのは私たち以外何もなかった。何度も必要以上の言葉を交わし、何とか毎日を生き、共依存と互いを教祖と崇めたようなあの日々を思い出すだけで、名前はゾッとしたのだ。
「何を迷う必要が、今更あるの」
嫌な汗が全身を濡らした。今更こんな夢を見るだなんて、自分だけが仕合せになってしまった罰なのだろうか、どこかで懺悔し続け忘れたほうが楽なのかもしれないと、共犯者になるという覚悟を放棄しようとした自分への重い重い足枷が、五年たった今足首を掴んで離してくれない恐ろしさに、名前は呼吸すらまともに出来なくなった。
「ベッラ、大丈夫ですか?」
「ああ、どうも……」
「日本人でしたか、僕も日本で育ったんですよ」
「あの、私具合がわる……?」
急に呼吸と気分が軽くなった気がした。やっとまともに見上げた男は綺麗な金髪で特徴的な前髪の、名前よりいくつか年下の青年だった。メローネと関わってきたおかげで敏感になった危機感から覚えるに、直感的にこの男も不思議な力を持っているように思えたのだ。
「急に手を取ってすみません、ひどく貧血を起こしているようだったので」
「ええ……、何故だかわからないけれど、ましになったわ」
「それは良かった。これから知人の墓参りに行くんですよ、ご一緒にどうですか?」
なぜ赤の他人を墓参りに誘うのか。奇妙な男だと名前が一瞬ひるむと、適切ではなかったと今度は謝罪である。この青年は自分にどんな危害を加えるつもりなのだろうか、そろそろ離れるべきだろうとベンチから立ち上がり名前が青年に背を向けると同時に、こんなヒールを履いてしまっては逃げられないではないかと思わされる言葉をかけられるのだ。
「名前さん、……今の僕があるのは、あなたの愛した人のおかげです」
「あなた、誰なの?」
「ジョルノ・ジョバァーナといいます、まあ、ギャングのボスです」
「こんなところで眠っていたのね、メローネは」
「あなたを探すのに苦労しました。……ここには、彼の同僚らも眠っています」
ローマの駅から電車に揺られ、青年と共にやってきた田舎駅から徒歩十分。いくつかの墓石が並んだそこは実に殺風景な小高い丘の上だった。
「……綺麗ね、ここは」
「血なまぐさい男たちには不釣り合いかもしれませんが」
そう薄く笑うジョルノの手の中から、色とりどりの花が咲き始める。名前は驚いたものの、恐怖したりすることはなく、ジョルノの手先を真剣な眼差しで眺めていた。
この丘には彼ら以外の墓石はなく、訪れるもの者も皆無に等しいためか自然現象ゆえに乱れたそこら一帯はある程度荒れていた。どこからか飛んできた紙切れや大量の落ち葉をかき集めるジョルノは、それらを花に変え墓石一つずつに供えていたのだ。
「……定期的に、来ているの?」
「ええ、年に二回ぐらいですけどね、掃除も兼ねて。ところで」
ジョルノが一つの墓石の前に腰を下ろす。後ろからその姿を見ていた名前は、墓石に掘られたイタリア語を目で追い、それがメローネの墓であると認識した。それにしても彼の墓はなんというか、名前は思わず笑うしかなかった。
「まったく、どうしてなのか」
ジョルノが首をかしげながらメローネの墓石に手を触れる。
メローネの墓石にだけ、これでもかと言わんばかり細い蔦が何本も何本も絡んでいたのだ。遠目から見ればまるで彼の墓石だけ苔が生い茂っているようにも思える。それにこの蔦、ところどころに棘が生えていて何も考えずに触れようものなら簡単にその指を傷つける代物だ。
「こんなの、こんなのまるで」
メローネを愛していたころの、私じゃないか。
思わず名前は苦笑と共に、鼻の奥を痛めた。しゃくり声をあげながら肩を震わせる名前を見上げたジョルノは、今まで名前を此処に連れてくることを躊躇っていた時間を思い出す。
自身がギャングのボスとして登りつめたとき、今までのディアボロの部下たちをどうするかに頭を抱える期間が多少あった。その仕事をミスタに任せ数日かけジョルノが調べ上げた男は、メローネの他ならなかった。ベイビィ・フェイスにより初めて本当に命の危機を覚え、死闘により成長した我がスタンドはその飛躍があってこそ、レクイエムに達することが出来たのだ。そして何より本体である男の姿を一度もこの目に焼き付けないまま、あの数日間を過去のものにするつもりはほとほと無かったのだ。
「彼は非常に仕事にストイックな男です。もちろん私情を挟んだりしたことはなかったと思いますが、少なくとも名前さんが居てくれたから乗り越えられたこともあったはずです」
「……ふふ、既婚者を口説くなんてやめた方がよくてよ?」
「吹っ切れましたか?あの駅で貴方を見つけた時に比べて随分顔色がよくなってますね」
「ええ、笑っちゃうくらいにね」
当時の自分は異常で、その過去に言い知れぬ嫌悪感を抱き、メローネを記憶の中で疎ましい存在として仕立て上げようとしていたこの五年間を名前は思い出す。
先ほど見たあの夢は紛れもない事実の内容だったのだ。年の瀬の出来事、そしてあの夢のように肌を重ねた後に名前は眠りにつき目を覚ましたころにはメローネはそこにいなかった。危険な仕事をしていることを知った後とはいえ、フラッと帰ってくるだろうと呑気に考えていたあの数日間。年を跨いで数ヶ月経っても、メローネは名前のもとには帰らなかった。
四月某日、とある新聞のごくごく小さい欄に簡素に書かれた記事で知ったメローネの死を当時の名前は受け入れられずにいた。当時の名前にとって頼れる人間はメローネで、自分の教祖もメローネであったのだ。名前はあの瞬間恋人と縋る宗教二つを同時に失くした。
ひたすら赦せなかった。あの日自分だけがメローネを赦せる存在だと自称しておきながら、当時の名前は自分一人を置いて逝ってしまった存在を絶対に認めたくなかった。
墓石がどこにあるのかも調べず、自分だけ仕合せになってやろうとしたこの五年間。もちろん今の名前にとっての一番の仕合せは旦那や娘と危険のない日々を当たり前のように過ごすことである。その事実を否定するつもりはないが、全てがメローネの死を認められず当てつけのようになんとか生きてきた結果だということを、此処にきてようやく気付き、認めずにはいられなくなったのだ。
「こんな棘を生やして束縛して、私はきっとメローネのこともまともに愛せていなかったんですね」
「……どうでしょうね。ベッラにいうセリフでは無いかもしれませんが、僕も男として言わせてほしいのですが」
愛する女性には仕合せになってもらいたい。自分がいなくても、笑って過ごしてほしい。新しい人と永遠の愛を誓って、家族が増えたなら陰ながら応援したい。そして男は寂しがりで我が儘だから、その仕合せな日々の中で一瞬でもいいから自分を思い出し、僅かばかりでも微笑んでもらえる思い出を与えることが出来ていたのなら、冥利に尽きる。
「名前さんが笑ってなくちゃ、あの男は報われないですよ」
「ッ…そう、かなぁ…私はッ、私だけがしあわせになって、ッいい、のかな……」
「こうしましょう、名前さん」
ジョルノがメローネの墓石の前に座り直す。蔦に軽く手を触れると、全ての棘は色とりどりの花へと生まれ変わり、枯れて固くなりしがみついたままの蔦は、再び生命のエネルギーを与えられ青々と蘇った。
朽ちてなお、誰にも気づかれないこの場所でひっそり執拗なまでメローネを絞めつけていた蔦にもう棘はない。名前がメローネの分まで、メローネのために仕合せになった事実を花に変え、多幸をおすそ分けするのだ。
何故憎しみに程近くメローネを思っていたのか。彼は五年前も今も、自分の仕合せだけを考えて貪欲に生きろと言ってくれていたというのに。名前は軽く目を閉じる。メローネに与えてもらった喜怒哀楽という大事な感情を、必要な時には我慢せず表現して大切な人とぶつかること。当時の名前がメローネをたった一人の愛する彼氏とだけ認識出来ていれば、そこに彼を信仰する気持ちがなければ、もう少し彼と幸福な時間を過ごせたのかもしれない。なんて、もう遅い。
「随分センスがいいのね……ジョルノ、グラッツィエ」
「プレーゴ……もう、二度とここにはこないでしょうね、名前さんは」
「ええ、なんせ愛する旦那と娘がいるから」
それじゃあもう帰ったほうがいい。このあと少しばかり降るみたいですからとジョルノが名前に声をかければ、名前はじゃあ失礼するわと、背筋を伸ばし胸を張り、いよいよ丘から背を向けた。
きっとこのヒールで帰ったら、マードレ!カリーノ!と愛娘ははしゃぐのだろう。彼女の好きな動物のぬいぐるみを土産にでもしようか。そう名前は考えながら、二度と訪れることはないこの街を後にした。
消息は融解を知らない(再録)
2018年8月19日 SCC関西24 夢道楽
ジョジョ夢アンソロ「夢でもし会えたら」寄稿