水底で太陽の光に反射してキラキラと光るそれを拾う。

バスケばかりをしてきたゴツゴツとした己が手にはあまりにも不釣合いな蒼い石。

それを見つめていたらどうしようもなく胸が締め付けられていく気がした。









水底の泪









目前に広がるは青い海。

快晴で雲一つない青空は真夏の暑さを忘れさせてくれる様な抱擁さを見せている。

夏の海。

バスケの事しか考えてない自分であっても見ていて悪くないし泳げばそれなりに楽しい。

隣に『彼女』がいなければ、の話になるが。



「…………」



チラッと横目で見ればやはりいる。

空にも、海にも、勝る蒼い髪と目を持つクラスメイト兼バスケ部マネージャーが。



「……」



 黙って海を眺めている横顔は無表情で、何を考えているのか検討付かない。

何か話そうかと思い口を開き掛けるが話題が浮かばず、陸にあげられた魚の様に間抜けに口をパクパクさせるだけで終わってしまう。



(……き、気まずい…………)



火神は兎に角ジャンケンに負けた事を恨むしかなかった。











事は今から遡る事三十分前。

突飛要旨もないリコの一言から始まった。



「よしっ、今から買い出しに行きましょう」



それは本当にいきなりの事であり、各々束の間の休息を楽しんでいた全員の動きが止まった。



「何よみんなして。買い出しに行くのよ、か・い・だ・し!」



眉間に皺を寄せるリコに日向は問う。



「買い出しって何をだよ?必要な物は事前に買ってきてあるだろう?」



そう、合宿前に一通り必要な物は全て買ってきてある筈だ。

それなのに改めて何を買う必要があるのだと皆が頷く。



「何って食料に決まってるでしょう?なんだか変に在庫が減っちゃってるのよね」

「お前が原因だろう!お前が!」



ついつい突っ込まずにはいられないと日向が言うとリコは反論をしてきたのだ。



「何よぉ、ちょっと料理失敗した位で。そもそもあんた達が食べ過ぎなのが問題なの!」



何という責任転嫁なのだろう。空いた口が塞がらない。

全員が呆れ顔でリコを見ている中、黒子は口を開いた。



「買い出しは別にいいですけど、誰が行くんですか?」



いいのかと突っ込む火神を横目にリコは答える。



「んーー…………そうねぇ、私は勿論行くけど荷物持ちがそれなりに必要だからジャンケンで負けた人が残って勝った人が買い出しに行く、でいいかしら?」



口元に人差し指をあてながら言っているリコは合宿所の方より歩いて来る存在に向かって大きく手を振りつつ呼ぶ。



「苗字さーーん!ちょっといいー?」

「うっわぁ…………名前ちゃん超不機嫌顔だよ」



ボソッと本音を漏らしてしまった降旗から名前へと視線を移すと確かにそう漏らしたくなる様な表情をしていた。



「…………帰って良いのですね」

「違う違う!てか来たばっかりでしょ!」



名前の発言の否定をしているリコの後ろで黒子はアッサリと言う。


 
「苗字さん騙されて来たから不機嫌ですね」

「騙してなーーーーい!」



地団駄を踏むリコを見ながら伊月がハッとした表情で口を開く。



「騙してくれだま……」

「伊月今は黙れ」



これ以上名前の機嫌を損ねたら本当に帰りかねないと日向が言い切る前に静止をかけながらに視線を移してみれば、口元に手をあてて笑いを堪えている名前の姿があった。



((( まだ全部言ってないのにウケてるー )))





どうしたら面白みの欠片もない伊月の駄洒落に笑えるのかと呆れていればリコは咳払いをしてから言う。



「騙してなんかないわよ!海、目の前にあるでしょ!」



ビシッと海を指差すリコに向かって皆口々に言い出す。



「でもバスケ部の合宿ですよね」

「海で遊ぼう〜じゃなくてマネージャー業務で呼んだのが本音だっけ?」

「正式マネージャーキタコレ」

「俺達ってかカントクに巻き込まれて未だに水泳部に顔出せてないんだよな?もう夏休み入ったが大丈夫か?」



そう。名前は実はバスケ部のマネージャーではない。

たまたま火神の隣の席に座っていただけのクラスメイト。

更に大の男嫌いである名前がバスケ部のマネージャーになどなりたがる訳がない。

あれやこれやと上手い具合にリコに丸め込まれて今に至る。

今回の合宿も水好きである名前はリコに海で好きなだけ泳げる、と言われて来たのだ。



「あーもうっ!好きなだけ泳いでていいのも事実!…………ただちょっと合間手伝ってもらいたいだけ」



遂に本音が漏れたかと誰もが思う中、名前の頭の上にポンと手を乗せて木吉が言った。



「人魚だもんな、海なんて言われたら行きたくなるよな」

「木吉…………受け入れすぎだ……」



あまりにも緊張感のない木吉の声に緊迫した空気が崩れる。

暫く黙って木吉の事を見上げていた名前だったが頭に乗せられた手を払いのけながらに言う。



「私に触るな」

「おお、すまん。そう言えば男嫌いだったのを忘れていた」



気の抜ける木吉の事を横目で見てから名前はやっと真面目に話を聞く気になった様だ。



「用事、何ですか?」

「あーー、うん!あのね、今からジャンケンで買い出し班と留守番班に別れるの。全員参加だから入ってもらってもいい?」



極力名前を刺激させない様に必要最低限の説明をすれば無言で頷かれた。

とりあえず帰ると言い出さない内に事を運ばなければ、と皆片手を前に出す。



「それじゃあいくよー。ジャンケン、ポン!」



リコの合図に合わせ、それぞれの手が動き形変わる。

そこまで大人数じゃないのだからジャンケンはアッサリと終わった。



「………………」



火神は自分の二本の指を見てからそっと名前の手へと視線を移す。

自分と全く同じ形をしている。

そして周りは、と言えば。



「火神君、苗字さん、留守番よろしくお願いします」

「なー、花火とか買わない?夜のお楽しみで」

「合宿だぞ、遊びに来ているんじゃないのだから」

「てか部費をそんな事には使えないに決まってるでしょ?」

「カントク、自腹ならオッケー?」



買い出しに出掛ける気満々である。



「んな大人数で行く必要ねェだろうが!」



物凄い勢いで異議を唱えるのだが騒いでいるのは火神一人だけだ。

同じく留守番班である名前など興味の欠片もないのかぼやーっと海を眺めている。



「仕方ないでしょー、ジャンケンなんだから」



出掛ける準備を始めるリコを見つつ、日向は火神へ言う。



「どうせそんなに遠くないのだしすぐに帰ってくるから…………頑張れ」



名前との留守番を、と言う単語が日向の顔にしっかりと書かれていて同情はしてくれているらしい。



「何も気にする事ないだろう。クラスメイトだし、苗字だし。火神」



ほんわかとした表情から一転、木吉は真面目な表情へと変わったので火神は生唾を飲み込んで次の言葉を待った。



「苗字に迷惑かけるなよ」

「あんただけには言われたくねェ











と、言う訳で二人で留守番になってしまったのだ。

クラスメイト、と言っても男嫌いである苗字は男子とは一切話をしない。

無論それは自分も同じであり、業務連絡以外で会話をした記憶が一切無かった。

バスケ部の中で名前との会話が成立しているのは女であるリコと一つ二つ抜けている木吉だけ。

今架け橋となる事が出来る二人は買い出し中。

それに自分は女子に対して気の利いた話が出来るタイプでない所か苦手な位だ。情けない、の一言につきる。

しかし名前が今後もマネージャー業務を続けるにしろしないにしろ数ヶ月でそれなりの関係が出来上がっているのは紛れもない事実。

この機会をモノにして木吉位の話が出来る、と言う関係になるべきだ。



(何か話題…………何か話題……)



名前と会話が少しでも続く話題を必死に考えると自然と木吉が言った言葉が口から漏れた。



「に、人魚ってやっぱり海好きなのか?」

「個々の性格次第」



返事が来るまでコンマ5。続く言葉も出てこない。

会話終了の知らせだ。僅か数十秒。



(何で木吉はこんな性格と普通に会話が成り立つんだ!)



会話が成り立っているかと言われたら少し違うが受け答えは紛れも無く出来ている。

誰にでも当たり前に出来ると思っていた事が本当は何よりも難しい事だったと身を持って理解した。



話が出来ないもどかしさ。コミュニケーションが出来ない気まずさ。





話をしたい訳でもないし親しくなりたい訳でもない。





だけど胸の中に小さなシコリが何故かずっとある。

そんな事を延々と考えていた中、無言の空気を壊したのは名前だった。



「泳いでくる」



返事も聞かず、名前は吸い込まれる様に海の中へと消えた。



「…………っっっはぁ〜〜」



名前がいなくなった事により肩の力がガクッと抜けて火神は大きく息を吐いた。

無意識に呼吸をする事さえ緊張していたらしい。



「『仲良くなる』以前の問題だよなぁ…………」



名前が潜り消えた方向を火神は見ながらそう小さく呟いた。

そもそも自分が名前に対してどうしたいのかが分からない。

正直コミュニケーションが取れない現状がそこまで自分の生活に支障を来たしているかと言われたら否であり、問題もなし。

業務連絡だけで良い気がしている。

仲が良いとは程遠いが木吉との関係が羨ましいとも思わない。





……思わない筈、だ。多分。





自分自身の考えがまとまらないと少ない脳みそをフルで使っていた所、火神はとある事実に気が付いた。

海の中に潜った名前が全く水面に顔を出さない。

中学までずっと水泳部の名前なのだからもしかしたら物凄い潜水が得意なのかもしれないと思ったし、自分が見てないだけで顔を出しているかもしれないし泳ぐ場所を移動しているだけかもしれない。

そう考えて自分自身を納得させた。



「………………」



それから暫くの間水面をじっと見つめ続けてみる。



「……………」



チラッと携帯に目を落とした火神は青褪めた顔で立ち上がる。

十分近くも姿を見ないとなると嫌な単語が頭を掠める。





ーーーー溺れている。





そう思った瞬間、考えるよりも先に足が動いていた。

ザブザブと水をかき分け胸元まで海水に使った所、ゆらりと水中に何かが見えた刹那それを掴んで引き上げた。





水中から出て来たのは海と、空と同じ青の髪の毛の名前。

珍しく驚いた表情をしていて。





火神が本能的に掴んだのは名前の上腕。

流石の名前もいきなりの事に目を見開いて火神の事を見上げていた。

何と言えばいいのか自分自身の行動に軽くパニックになっていた火神は彼方此方と視線を泳がせていると本来ならばあり得ないモノが目に飛び込んで来た。

鱗……とは違う、そうイルカやシャチの肌質だ。

いやいや、何があるんだと首を降り見る。





目の前にいる名前の下半身が魚になっている。





「〜〜〜〜〜〜 !!!!!!? 」



火神が声にならない悲鳴を上げているとその姿を見ている名前の目は酷く冷めていて突き刺さる。

ただ口で聞くのと実際に見るのでは雲泥の差。





目の前にいるのは正真正銘の人魚、だ。





未だにパクパクと口を動かしていると突然場違いの携帯の着信音が響き渡りそれにも驚き掴んでいた名前の上腕を火神はやっと離した。

火神から解放された名前は何事もない様に携帯の元へと向かい陸へと上がる。





そこには二本足がありヒレなど何処にも存在しなかった。





ぽかんと口を開けたまま名前を見つめていると嫌々な表情をしながら花奏は携帯に出た。



「何?…………そう、兄さんもう着くの」



電話の相手は名前の兄だったらしい。

必要最低限の会話を終わらせ電話を切った名前は特に表情もなく言い放った。



「溺れる訳ないでしょう?魚が」



擬音が実在してくれるならば今の火神にはボン!と爆発音が出ただろう。

溺れていると思い込んで慌てた事を知られた事は勿論だが、何よりも人魚である事実にパニックになった事を知られて今すぐにでも穴に入りたかった。



「しっ…………知るかっ!」



己の醜態を隠す為に兎に角水の中に潜って火神は逃げた。





ブクブクと水泡が水面へと上って行くのを肌で感じながら火神はとりあえず潜れる所まで潜り、頬の火照りを鎮めようとした。

その時海底の砂の中で何かが光っている事に気が付いた。

誰か何かを捨てたのかと手を伸ばし掴むとそれは綺麗な円形の石だった。

石と言うより天然石?宝石?と言った方が似合う程透き通った石でとても美しかった。
石を掴んだまま水面へと出て大きく酸素を吸い込んだ所、何時の間にやら買い出し組が戻って来ていて十人十色の反応を示していた。



















服を着たまま一人海に潜っていたと散々からかわれ、火神は不機嫌そうに一人砂浜に座りながら昼間拾った石を眺めていた。



「……綺麗な石だなぁ天然石…………」



月にかざすと更に色の深みがます様子に見入っていると突然背後から声をかけられた。



「おや、それは人魚の泪じゃないかね」

「ぶおぁ 」



心臓が口から出るのではないかと言う位の驚きに火神はバッと後ろを振り返った。

そこに立っていたのは一人の老人。ゆうに八十は超えていそうな老人に向かって火神は言う。



「いきなりびっくりすんじゃねーか!」

「すまんのぅ、若いの。珍しいのを久しく見かけたからつぃのぅ」



火神の威圧感に屈しないのは年の功が成せる技か、老人は相変わらずと言った笑顔を見せる。



「珍しいの…………ってじーさん今これを人魚の泪って言ったか?」



石を見ながら尋ねれば老人はしっかりと頷きながらに答えた。



「そうそう、それはワシ等船乗りの間では人魚の泪と呼ばれる代物でのぅ。持っていると成功に導くお守りになるんじゃよ」



ここ暫く見つかる事が無かったから運がいいから大事に、と話す老人に火神は尋ねた。



「じーさん。何で『人魚の泪』なんだよ」

「あぁ、それはのぅ…………」



















早朝、まだうっすらとしか日が出ていない中、火神は昨日と同じ場所に飛び込んだ。
夜に出会った老人が言った事が事実ならば……。それだけが火神の身体を動かしていた。

夏でも明け方の水は冷たい。

でもそんな事はどうでもいい。

確認したい、回収したい。





ただ……それだけ。





昨日人魚の涙を拾った辺りを見回す。少しずつ昇る朝日に水底が照らされていき、光る。

光る場所に手を突っ込み砂ごと持ってゆっくりと開く。



ーーーー在った。



キラキラと輝く蒼い石。人魚の泪。

後いくつ落ちているのだろう。

一度空気を吸う為に水面へ上がり肺一杯に酸素を取り込んで再び潜る。

そんなに多くはない光る場所に沈む石を全て拾う。

自分の手の平にある十の石。偶然にも火神の背番号と同じ数。

その数を見ると昨日老人が言った言葉が脳裏を掠める。





『何故人魚の泪と呼ばれるかは簡単じゃよ。その石は人魚の涙から生まれていると言われていてのぅ。陸を知ってしまった人魚は水の中で泣くと涙は美しい石へと変わるそうだ』



『陸への思いなのかそれとも叶わぬ恋をした代償なのか分からぬがきっとその気持ちを忘れない為に残るモノになったのではないか、とのぅ』



『まぁ人魚が実在するかどうか分からぬしあくまでも言い伝えの一つじゃよ』





人魚の泪に関しては分からない。でも人魚は実在した、目の前にいた。

もし人魚の泪が本当に人魚の涙であると言うのならば…………。



昨日の名前は一人泣いていたのだろうか、海の中で。



「……っくっそ…………」



ギュッと強く手の平にある石を握りしめて空を仰ぐ。

去り際の老人の言葉が心に響く。





『もし……もし言い伝えが事実だとしたならば、ワシは人魚の力になりたいのぅ。人魚の王子様にはれなくてかまわん、だから人魚の涙の意味を理解出来る友達(とも)にの』





理解しようとしなかった。関わろうと思わなかった。

名前が拒絶をしているのだから無理強いはするべきではないし必要もないと。

本当に拒絶をしていたのは花奏ではなく己の方だ。

名前の言葉を言い訳に使っていただけだ。

木吉が名前と会話が成り立っているのは木吉の性格が抜けているからではない。

男は嫌いだ、話かけるなと言った名前に対して木吉は笑顔で『分かった、でも仲良くなろう』と言った。

名前と言う人間を理解しようとしただけだ。だから話が会話がコミュニケーションが成り立っているのだ。





話をしたい

ーーーー何もなくても

知りたい

ーーーー人魚である辛さを

力になりたい

ーーーー孤独の籠から出る事に





もう完全に日が登った。朝が来た。皆が起き出し朝食の準備を始めるだろう。

空から海へと視線を落とし、もう一度だけ潜る。

ゴツゴツとした手には不釣り合い過ぎる美しい蒼が光輝く。

胸を締め付けられる気持ちをしっかり理解して合宿所へと戻る。

洗濯カゴを抱えながら歩く名前の姿を捉え口を開く。



「苗字!」









水底の泪を拾い上げよう。流した分だけ全てを己が手で。

水底の泪が必要なくなるその時まで。







 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

飛原さま、素敵な夢をありがとうございました!






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