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芽吹く

コンクリートに囲まれた街。足早に過ぎ去る人々、それぞれの話し声、車が排気ガスをまき散らしながら道路を過ぎ去る音、大型テレビから流れる様々な広告の音声、街頭で演説する政治家の声、募金を求める団体の声…
何もかもが混ざり合い、創痍の頭の中にぐわんぐわんと響き渡る。不愉快だ。やはり街の中は性に合わない。彼は足早にその場から立ち去ろうとする。しかし、街を歩く人々は少なからず好奇の混じった目で創痍を見ていた。年若い彼が和装をしていたからである。
このご時世、着物を着る人間はほぼ存在しなくなってしまった。手軽に着る事の出来る洋服は、色々と手間のかかる和服よりも魅力的に彼らの目に映る。今や着物を着る機会など、人生に数度あるくらいだ。そんな世の中の人々にとって、和装をしている創痍というものは、すれ違うと思わず振り返りたくなるような好奇心を孕んだ存在だった。
創痍は、あまりその目に晒されるのは好きでは無かった。その目が不愉快なものでなく、むしろ好意的な目で見られているのは分かっているのだが、どうにもその視線に慣れることが出来ない。では、なぜ彼が和装をしているのか。

創痍の家は十数代と続いてきた着物店を営んでいるからだ。その着物店は街の喧騒から少し離れた場所にひっそりと建っている。創痍は小さい頃から周りの大人がそれを着ているのに慣れ親しんでいた。そんな創痍の家の営む着物店は普通の客ではなく、むしろ普通の人間では手を出す事の出来ないものを買うことの出来る客たちを相手にしているところだった。家を出入りするのは政治家から俳優から、棋士から何から…とにかく様々な業界人達である。小さい頃は分からなかったが、創痍が年を取るにつれて、自分の家は普通ではないということを自覚していった。
そうして創痍が大人になって、彼の父親が持病の腰痛を悪化させて現役を退いたことにより、創痍がこの店の店主となった。まだまだひよっこだと言う客もいるが、受け継いだ血は紛れも無く彼の家のものであり、落ち着いた物腰と、やんわりとした人当りの良さで、家の名に恥じない商売を創痍は行っている。

創痍がなぜ、街に赴いていたかというと、今日は特別な客が店を訪れる予定があったからだ。彼はその客が好んでいる和菓子店の包みを手に持って、足早に店への帰路に就いた。

「ただいま」

店の戸を開け、そう言った彼の耳に届いたのは思いもよらぬ人物の声だった。

「おかえり」
「!!!」

いつも返ってくるのは女性従業員の声であったが、聞こえたのは低い、渋みのある男性の声。思わずぎょっとして慌てて客間へと向かう。失礼します、と一言かけて障子を開けると、そこにいたのはあと一時間後に訪れる予定であった特別な客人であった。

「松永様…!」
「御機嫌よう、若。なんだ、私がいることに驚いているのかね」
「いえ、…とんでもありません。」

言葉とは裏腹に、創痍の心臓はばくばくと鳴っていた。この男は松永久秀という。著名な鑑定士であり、茶具や焼き物などが彼の専門の品である。創痍の父親の代からこの店に訪れている客人の一人だ。オールバックにした黒髪には白髪のメッシュが混じる。そして左右の口元の下に生やす顎鬚は、その年代の男性には到底真似のできない風貌だ。そして、彼の着ている着物は濡羽色のもの。よく似合っている。

「思ったより早く着きすぎてしまってね、先に上がらせてもらったよ」
「申し訳ありません、遅くなってしまい…」
「いや、気にしないでくれたまえ」

そう言って笑む久秀に、食えない男だと創痍は思う。毎度、彼は気儘で唯我独尊。今回のように早く着きすぎたかと思えば、約束の時間より遅れてやって来たこともある。年の割には随分と自由な人物だ。
持って帰ってきた和菓子店の包みがに入ったのか、久秀はふ、と笑う。創痍は従業員に茶のおかわりとその、和菓子店の包みを渡して用意して持ってこさせるように言いつけて、久秀の向かいに座った。

「しばらく見ない間にまた一つ貫禄がついたようだな」
「左様ですか。勿体無いお言葉を…」
「卿がまだ幼かったときの事を思い出すと感慨深いよ」

久秀と会うのは数か月ぶりだった。季節が変わるごとに、彼は創痍の店に訪ねてくる。父親の代からもそれは同じだったらしい。創痍がまだ子供の頃、店をこっそりのぞいたりすることがあった。子供好きな客人はたまに創痍を相手にしてくれていて、久秀もその一人であった。子供だった創痍は自分を相手にしてくれるそういう客人たちが好きだったので、彼らが訪れるとすぐに店へと出てきた。

「私の周りをちょろちょろ歩き回る卿は可愛かったが…今はすっかり他人行儀になってしまって」
「他人行儀だなんて、そんなことは…あまりからかわないで下さい」

残念そうに、皮肉っぽくそう言って笑う久秀。創痍はいまだに子ども扱いをしてくる久秀が少しだけ憎らしかった。従業員が新しいお茶を汲んできて、久秀に先ほど創痍が買ってきた和菓子を出す頃も二人の話が尽きることは無かった。

それからしばらくして、創痍が切り出した。

「本日は何をお探しで?」
「羽織だよ、最近は冷え込んできているだろう」
「羽織ですか…!ちょうど良かった。先日新作が入って来たんですよ」

創痍は従業員に言ってその品物を持って来させた。そしてそれを、久秀の目の前に並べる。どれも深みのあるものばかり。久秀が好んで買っていく色であった。

「この深緑色のなんていかがでしょうか。今日着られているお着物にも合いますし…黒紅色も松永様にはきっとお似合いですね。お顔が映えますし、他の着物にも合わせやすいものですし…この間買われていたお着物ともきっと似合います。それにこの二人静のものも…」
「ふふ…」

創痍がべらべらと喋っていると、久秀は可笑しそうに笑っていた。

「いや、失敬失敬。よく見てくれているのだね、私を」
「なっ!」

冗談ぽく久秀は言ったが、その金色の瞳は創痍を捉えて逃さない。かっと頬に熱が集まるのを感じながら、創痍は消え入りそうな声で「は、恥ずかしいところを…」と決まり悪そうに言った。

「そう気分を害さないでくれたまえ。気に入っている者はからかってしまいたくなる性分でね」
「あ、あまりからかわないで下さい…」

先程までの饒舌っぷりはどこへやら。創痍はすっかり小さくなっていた。そう、創痍は他の誰でもない久秀を好いていた。しかし到底叶わぬ浅はかな恋である。その気持ちをひた隠しにしているつもりだったが、久秀はその思いにどこまで気付いているのか。こうやって創痍の触れて欲しくないところを突いてくることがある。

「ふむ、ではこれとこれをいただこうか。卿が私に見立ててくれた色だ」
「あ、ありがとうございます…」

久秀は支払いをしている間も、すっかり縮こまってしまった創痍を相手に相変わらず可笑しそうに笑っていた。


「さて…これで失礼するとしよう」
「ありがとうございました。……またのお越しをお待ちしております」

店先で別れを告げるたび、創痍は少し寂しそうな顔をする。季節の変わり目に、気の向いた頃にふらりと現れる久秀に再び会えるまでの時間は長い。それが創痍は心苦しかった。

「ふふ、そう悲しそうな顔をしないでくれ、若…会いたければいつでも言ってくれればいい。卿は自分の欲を抑え込みすぎだ。」
「なっ…!」

久秀は創痍に歩み寄る。久秀は創痍の耳元に唇を寄せて、囁くように

「私はいつでも待っているよ」

と言った。

「ま、松永様………!」

顔を真っ赤にして久秀の言葉に目を白黒させる呉服店の店主は、久秀が可愛がっていた創痍の小さい頃のあどけない姿とそう変わらなかった。


芽吹く