傍らに在りすぎて
違和感を覚える程に



【限りなく、近く】



世間では今日バレンタインデーだという。
しかし、陛下の命令で三日前から魔法騎士団がエブラーナへ行っているが故にバロン城内にバレンタイン独特のあの、ピンクな気配はまるっきり感じられ無かった。

その理由はただ一つ。
毎年死人が出るんじゃないかと思われる程バレンタインデーが盛り上がるのは、ひとえにシェイの作るショコラタルトのお陰である。
それ故に、先方から直々にシェイに来て欲しいと依頼されたいうことで、断れるはずもない彼女を見送ってしまったカインは自室で一人、溜め息を吐いた。

朝、今にも泣き出しそうな表情をしたローザに、ニ週間前から三日前までずっとシェイに教わり続けたの、だからきっと食べられる筈よ。と上目遣いで言われてしまえば断るわけにもいかず、受け取ったミルクレープをさっきようやく食べ終えたのだが。
これほど自分の良心を恨んだことはない。
見た目は確かに悪くなかった。というか、その辺りにあるケーキ屋と"見た目"は大差無かった。
しかし問題は、味だ。


「胸焼けがする……」


これがとんでもなく甘かった。
生クリームが甘いだけならまだしも、クレープ生地から表面に艶を出すために塗ってあるナパージュにいたるまで言葉に出来ないほど甘かった。激甘好きのローザらしいと言えばそれまでなのだが。


「受け取らなければ良かった…」


ローザがセシルを好きだと頭で理解はしていても、惚れた弱みというものはどうにも恐ろしい。
そうかなり渋めに入れたコーヒーをすすりながらカインは胸中で不平をもらすが、甘い物はもうこりごりだと思う反面、何故かシェイの作ったショコラタルトが不意に恋しくなった。






一方その頃のエブラーナ。



「なぁなぁシェイ、今日バレンタインデー、とかいうやつなんだって?」
「………仕事の邪魔なのだけれど、エドワード王子」
「堅いこと言うなって!それにエッジで良いって言ったじゃねぇか」
「…………」


盛大に溜め息をついて手にしていたボードから視線を外し顔を上げる。呆れた表情で肩を竦めたシェイを見てもなんら気にしていない様子でエッジはにまにまと楽しげな笑みを浮かべていた。


「こんなところで油売っていたら、爺やに怒られるんじゃないのですか?」
「そんなん気にしねぇよ。だから、バレンタインデーってなんなんだ?」


ぐいぐいと詰め寄ってくるエッジを言いくるめるのは無理だと諦めたシェイは渋々といった感じに眉根を寄せてこめかみを押さえながらバレンタインデーの詳細を出来るだけ要点をまとめて簡潔に話し出した。


「……と、こんな感じでお分かり頂けましたか」
「おお!バレンタイン最高だな!!うちの国にも導入すっかなぁ…」


夢を見ているかの様なとろける視線でエッジは上空を見つめてにやけだす。その姿は端から見れば単なる怪しい人にしか見えない。しかしそんな事よりも簡単に国の行事を増やしていいものかどうかシェイは気になったが、つっこむ気力もなかった為敢えてそこには無視をし、苦笑しながら再び口を開く。


「ちなみに、貰った男性はホワイトデーにお返しをするのが礼儀です」
「……ホワイトデー?」


なんだそりゃ?
と包み隠さずエッジが思いっ切り表情に出すものだから、シェイは堪えきれずに小さな笑みを漏らした。


「なっ、なにも笑うことねーじゃねぇかっ」
「…、すみませ」


謝ったはいいものの、如何にも納まってくれない笑いを抑えようとするシェイを見てエッジもつられて苦笑を零した。
それからしばらくして、平常を取り戻した彼女の頭をぽんぽんと軽く撫で、エッジはふと浮かんだ疑問を口にする。


「今年は作らねぇの?」
「ええ、バロンにいたら皆の為に作りましたけど」


言いながらシェイは瞳を細めて遠くを見つめ、ゆっくりと瞳を閉じた。うっすらと口元に笑みの浮かぶその様は、どこか恋い焦がれる少女のようで。
エッジは何も言えずに、開きかけた口を閉じた。




そこでその話は終わり、暇を潰させろと言わんばかりのエッジとたわいもない話を部下がくるまで続けていた。
部下が迎えにきて、割り当てられた執務室に戻ろうとした私は、「頑張れよ」と不意打ち気味にかけられたエッジの言葉に驚いて後ろを振り返る。
そこにはいつものあどけない表情で笑う彼の姿。それに手を振って私は部屋を出た。大した話はしなかったのに、と内心で苦笑を漏らす。


「隊長どうかしました?」
「…いや、なんでもないよ」


苦笑しながらそう返せば部下は私を見ながら不思議そうに首を傾げた。あの王子様が、妙に聡い事を忘れていただけだよ。と心の中だけで呟いて、部下の肩を軽く叩き執務室へと足を進めた。
その表情はどこか満足そうで、またどこか切なくも見えた。






******





とうに日は暮れ、夜も更けた頃。
竜騎士団隊長カイン・ハイウインドは自室で未だに胃もたれと闘っていた。
聞いた話によれば、今日ローザの作ったミルクレープの餌食となったのは自分を含め計三十名。誰一人余す事無く、もれなく全員自分同様胃もたれに悩まされているらしい。

……ちなみに当然セシルもローザから受け取っているのだが、彼はあの激甘ミルクレープワンホールを1人で平然と平らげた後、遠征に向かった。偶然通りがかった時に『カインも食べる?』と勧められたのを丁重にお断りしたから間違いないだろう。


「酒でも…飲むか」


胃もたれに酒は身体に悪いと思ってはいるけれど、如何せんこのままでは全く眠れる気がしない。
前もこの時期に寝酒を呷ろうとしたな。と思い出し苦笑気味に独りごちてカインは戸棚へと手を伸ばす。


「……ん?」


しかしそこに目当ての物は無く。
一通の手紙があるだけだった。



白地の封筒と、微かな金木犀の香り。そして自分の名を綴った見覚えのある筆跡にカインはその送り主に気付く。


「…シェイ?」


外交官として染み付いた癖なのだろう、律儀に封筒の裏に記述された日付によって、その手紙が彼女がエブラーナに行く前に書かれた物だと知った。
封を開け、手紙を取り出せばさっきよりも芳醇に香る金木犀の香り。慣れた彼女の香りが鼻腔をかすめ、不意に胸の奥が微かに痛む。



カインへ

お前がこれを読んでいるなら、
ローザの作った菓子は失敗したか
甘すぎたのかのどちらかだろう。
何事もなければお前はお酒を飲まないし、この棚に手を伸ばす事もないからね。
実際、練習している最中にもローザは
砂糖を入れすぎることが多々あったから、心配していたんだ。
悪気は…流石に無いと思うから、責めないであげて欲しい。

でも、流石にお酒は良くないと思う。それに、お前15日早番だった筈だしな。
だから――……





謝っているのか、心配されているのか。
書き連ねられた文字を追うごとにシェイの優しさが見え、カインの口元に知らず知らず笑みが浮かぶ。
相変わらず先を見越して行動する奴だな、と感心しつつ手紙に記された場所へと向かう。


「ベッドサイドテーブルの引き出し…これか」


入っていたのは小さな箱。『色の濃い方は珈琲のエスプレッソを使っているから、夜に食べるなら色の薄い紅茶の方がいいと思う…』と、メモが添えられていたので、間違いなくこれだと確信する。


「飴だというのに、ほろ苦いくらいだな」


ひとつ箱の中からつまみ出して口に含む。舌で転がして味わえば、ほんのりと優しい甘さと紅茶の渋味が逆立っていた神経と心を溶かしていく。
ひとつ舐め終わる頃には、胃もたれに負けて姿を消していた眠気がじわじわと顔を出し始めた。


「……寝る、か」


自分のベッドに移ろうと手を着いたシェイのベッドは腰掛けた時に感じたよりも冷え切っており、唐突に彼女が此処に居ない事を思い知らされたような気分になる。任務に出ているだけで、自分が置いて行かれたわけではないと頭ではわかっているのに、未だ掛布に微かに残る彼女の香りがカインの胸の内を小さく締め付け、無意識のうちに掛布を握り締めていた。


「早く、帰ってこい。シェイ……」


小さな小さな声がぽつりと零れる。いつだって彼女はシェイは自分の傍らに居て、居ないことの方が少なくて。
先程からずっと胸の中にあったわだかまりが口をついて漏れた。
…それは彼女に届くことは無く。
呟いたカイン自身の中に静かに響いて、溶けていった。


……to be continued 3/14

――――――――――――――
3/11の東日本大震災の為
完結までに時間がかかっています。
ただいま遅筆ながらも執筆中。
2011.2/14 風見 星






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