夜分遅く、なんてものではない。
太陽こそ昇っていないものの、それこそ明朝が間近な時間。
知らせを受けたシェイは二時間前に入ったベッドから飛び起きて、救護室へと駆け込んだ。

「シェイ様!」
「重傷者は」
「あちらです!申し訳ありませ」
「気にしなくていい」

些か涙目になっている白魔導師の肩を軽く叩いてシェイは小さく笑って、仕事に戻るように指示した後、むせかえる薬品と血の匂いが充満する室内を彼女が指した方へと行き来する人の合間を縫って進む。
さして広くない部屋の一角に近付くにつれ、だんだんと濃くなる血の香りにシェイは整った柳眉を寄せ顔をしかめた。

「げほッ…シェイ隊長、あの」
「喋るな。今、治す」

一番部屋の中央に近いベッドに横になっていた兵士の身体に手をかざし、シェイは有無を言わさずに回復魔法を唱える。淡い翠の輝きが兵士の身体を包み、儚く空に溶ける頃には彼の傷は完全に癒えていた。

「次、は……どうした?」
「先に、カイン隊長を」

次の患者へと動きだそうとした所を、今さっき回復した兵士に片手を掴まれ止められる。刻一刻を争う時に何事だ、と些か険しい表情でシェイが振り返れば彼は震える声音で言葉を続けた。「隊長は酷い怪我を隠してらっしゃいます」と。

「あの馬鹿…!」

重傷者が集められている一角にカインの姿は無い。彼のことだ、表向きは怪我を負った部下達の身を案じて手当てする側に回っているのだろう。そう目星を付けたシェイは、その場全体を覆う広範囲に回復魔法をかけてから、足早に薬品庫へと向かった。

「…シェイ?」

救護室から隣接する薬品庫内の奥、一番薬の匂いが充満する場所にカインはいた。その場を占める薬品の匂いに混じる、微かな血の匂いを嗅ぎとってシェイはカインに気付かれないよう、そっと溜め息を漏らす。

「怪我は」
「たいして酷くは無い」
「…嘘を吐くのも、大概にしろ」

薄暗い室内、お互いの顔なんて良く見えたものではない。酷く冷えた抑揚の無いシェイの言葉に、僅かにカインの身体が揺れた。

「っ!?」
「馬鹿。でしょ…こんな傷、薬で足りるわけないじゃない」

ぐっと距離を詰めて動揺するカインに抱き付き、彼の胸元に顔をうずめてシェイは背中に手を回す。べったりと指先に付着した濡れた感覚に彼女が呆れた吐息を漏らせば、申し訳なさそうにカインの腕がやんわりとシェイの身体を包む。

「……すまん」
「同行した白魔導師はローザと、もう一人なのね」
「ああ」

判りきったカインの答えに胸が痛い。こんな行動を彼が取る理由を知っているからこそ、シェイは余計にカインを放っておけないというのに。

「次は真っ直ぐ私の所へ来いよ」
「…わかった」

シェイの手の平から発される淡い翠の光が薄暗い室内を明るく照らす。いたわるように優しく、背を撫でるように動く温かな手の平が心地良くてカインはそっと瞳を伏せた。

「ありがとう」
「…どういたしまして」

シェイが持ってきていた真新しいワイシャツに袖を通しながらカインは静かに礼を言う。魔力を消費したからか、単に時間帯の所為かはわからないが眠たげに欠伸を零してシェイは目を擦りながら言葉を返して頷いた。薬品庫の外、救護室の喧騒も幾分か落ち着いてきており、長い、長い夜が明けようとしていた。

「………そう言えばシェイ」
「なに?」
「お前、今日の朝から外交に出立するんじゃなかったか」
「え、ああ。そうだけど」

それがどうしたの?とシェイは瞳を瞬かせて首を傾げる。そんな彼女を見てカインは大きな溜め息を吐き、若干怒った様子であっさりとシェイを横抱きにして抱え上げ、さっさと薬品庫を後にする。

「ちょっとカイン…!」
「煩い、お前こそしっかり休むべきだろう!ほらみろまた隈が出来てるじゃないか!!」
「…う」

ずかずかと救護室を通り抜けてカインは彼女と相部屋の自室へと足を進める。隈が出来やすい体質なんだから気をつけろといつも言っているだろう!と、道すがら散々カインに怒られてシェイは小さな子供のようにしょげ返りながらも、愚痴を漏らす。

「だったらカインこそ、変な意地はらないでよ」
「………それは善処する」

何に対して、とは言わなかったものの、シェイの言葉の意味するところを察したカインは苦笑気味に言葉を返す。兜を外しているために、その端正な顔立ちに浮かぶ表情を真っ向から見たシェイは胸中でだけ嘆息を漏らして、顔には笑みを浮かべた。

「じゃあ、二時間後に起こしてね」
「わかった。ゆっくり休めよ」

部屋の扉の前でシェイを腕からおろして、カインは彼女の頭を撫でてから、踵を返して救護室へと再度向かう。その背を暫し眺めてから扉を開けて室内に入り、すっかり冷え切ったベッドに横になったシェイは、誘う微睡みに身を委ねながら戯言のようにぽつりと言葉を零して眠りについた。



あなたを幸せにしたい
(…………それは、
伝えられない愛の言葉の意訳にすぎず
真意は彼女の胸中に眠る)






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