唐突にぐらり、と視界が揺れた。溶接中だった手を止め、修繕していた物の様子を確認して異常がない事に一安心する。
保護用ゴーグルを外して二三度頭を振ってみたものの、視界の揺れは収まらずアルトは目頭を抑えて溜め息を吐いた。


【一時の油断が命取り】


フィガロ城最深部、潜航に関わる重大な部分に損壊の兆候であるクラック(ひび)が肉眼で窺えた為、現在機械師団総出で大幅な改修修繕工事を行っている。過去に二度の潜航失敗の経験があり、その度に多大な犠牲を出した上で成り立っているこの神出鬼没な城の保全維持管理を一手に任せているアルトが、慌てて報告してきたのが四日前の昼。もうそれだけ時間が経っているのに終わらないのか、と長い間細かい所までメンテナンスが行き届いていなかった事を悔いてエドガーは溜め息と共に肩を落とした。

「公務してろと怒られたしなぁ…」

アルトからの報告を受けて、自分も工具を持って改修を手伝おうと思っていたのだが、タイミング悪く同盟国の帝国から届いた書類の山を目撃されてしまった。保全維持管理の責任者に任命しているアルトに“王様はそっち頑張って下さいッス”と言い切られてしまい、先程までしぶしぶ、くだらない紙切れと対峙していたのだった。

「様子見に行こうかな」

受理し終えまばらになっていた書類を整えて、椅子から立ち上がって伸びを一つ。定期報告に来た兵士の話ではアルトはここ二日ほど、食事も睡眠も取らずに作業を続けているらしい。職人気質なアルトの事なので時間を忘れる程調子が良いのだろう、と報告を聞いた際にエドガーは推測していた。

「さてと……」

机の上に置きっぱなしになっていた間食用のチョコレートをポケットに入れ、椅子の背にかけていたブランケットを手に執務室から出た。砂漠の真ん中で年がら年中暑いとは言え、暦の上ではそろそろ初夏に差し掛かるこの時期から日中と夜間の寒暖差がとても激しくなる。まだフィガロ王国に来て二年しか経っていないアルトには、食事も取らずに連続した徹夜は身体に触ると思ったのだ。

「アルト」
「…あ、王様」

クラックの特に酷い部分に繋がる城の最深部は夜である事もあって、ひんやりとした肌寒さを漂わせる。その一角に置いた椅子に座り作業をしていたアルトはエドガーの呼び掛けに、一呼吸遅れて気が付いたらしくヤスリ片手に顔を上げた。

「……書類、は?」
「ちゃんと終わらせたさ」

修繕の終わったと思われる部品に手を伸ばした自分を牽制するかのようなアルトの口調にエドガーは苦笑を漏らす。微細な削りだしを行っていたらしく、辺りに細かな金属片が散らばっておりそれが灯りの微かな揺れに合わせて小さく煌めく。

「相変わらず仕事が丁寧だな」
「そー?」
「ああ、面取りの出来も美しい」

滑らかに削られた角の部分を指でなぞり、その出来栄えにエドガーは微笑む。面取り用の工具も城にはあるのだが、アルトはこの工程を数種類のヤスリのみで完璧に行える。その見事な腕前にただただ感服しながらくるりくるりと部品を回し出来を確かめた。そんなエドガーを暫し眺めていたアルトは手にしていたヤスリをしまい、服についていた粉をぱたぱたとはらって立ち上がる。立ち上がった事でなりを潜めていた視界が再び揺れ、一瞬よろめいたのを誤魔化すように傍に立てかけてあった箒に手を伸ばした。

「そうだ、食事も取らずに作業していると聞いたぞ?」
「え。そんな時間経ってた?」
「本当に世話の焼ける……」

呆れたようなエドガーの声は聞かない事にして、アルトは手にした箒で手際良く金属片を集めちりとりで回収する。そんな何食わぬ顔で掃除を始めたアルトを前にしてエドガーは苦笑混じりの息を吐き、ごそごそとポケットから包みを一つ取り出して包装を外しながらエドガーは静かに声を発した。

「口を開けなさい、アルト」
「は? ……っ」

どんな命令だよ。と続けたかった言葉は形をなさず、アルトはきょとんとした表情で口の中に入れられたコロリとした甘いものを舌で転がす。そんなアルトの様子を見て、エドガーはいたずらの成功した子供のように笑った。

「チョコ?」
「ああ。少しは腹の足しになるだろう?」
「……むしろなんか、腹減った、かも」
「そっちか」

的外れなアルトの返答がツボに入ったらしく、エドガーは声を立てて笑い出す。余りにも遠慮の無いエドガーの笑い方に気恥ずかしくなったアルトは、ちょっと小突いてやろうと一歩足を動かして振り向く。
……その時だった。

「っ、」
「アルト?!」

眩暈といえる程に大きく視界が揺れて、バランスを崩したアルトはぐらりと床へと倒れ込む。すんでのところで気が付いたエドガーの腕がアルトの身体を抱き留め、結果としては何事も無かったのだが。

「おい」
「……ナンデショーカ」
「熱、出てるだろう」
「……………………」

返答もせずにぷいと顔を背けたアルトに向けて盛大な溜め息を吐いたエドガーはアルトの身体を起こしてやるのではなく、脇に挟んでいたブランケットをアルトの胸元辺りに乗せ手際良く横抱きにした。

「?! 王様降ろせって!!」
「軽すぎじゃないのか…?」
「おい、無視かよ!」

喚くアルトの声を聞き流しつつ、エドガーはその場を後にして階段を上り足早に機械師団の詰所に向かう。幸いにも交代の時間だったらしく、姿を見せた団員にアルトが作業をしていた場所を掃除して欲しい事と氷枕と飲み水を用意するようにと頼んでアルトの部屋へと足を進めた。詰所から離れる際に団員が気を利かせて乗っかっただけになっていたブランケットをかけたが、集中が途切れたからかアルトはぐったりとしてエドガーの肩口にもたれ掛かっていた。

――昔から何かと無理をする子でしたので…

アルトが城にやって来た日の、大臣の言葉が不意に頭をよぎる。本当にその通りだよと胸中で苦笑混じりに一人ごちて、たどり着いたアルトの部屋の扉を開けた。こざっぱりとした室内にあるのは最低限の生活用品と、数多くの工具の山。なんともアルトらしい部屋だなと思いつつ、奥のベッドへと足を進めて掛布を捲る。

「上着…は、流石にまずいか」

ヤスリ掛けもしていたしな、と呟いてエドガーはアルトをベッドに腰掛けさせ、上着を脱がさせる為にその胸元に手を伸ばす。ファスナーを下げ、手際良く上着を脱がせていくエドガーをアルトは意識が朦朧としているのか、うろんな瞳でただぼんやりと見つめていた。

「…これでいいな」

ズボンの表面を軽く払い、ブーツを脱がせてアルトの身体をベッドに横たわらせながらエドガーは優しく微笑む。体調管理がなっていないと怒りたいところではあるが、それは元気になってからにしようと決めてアルトの額に張り付いた前髪をはらう。

「ん…」
「………ゆっくり、おやすみアルト」

深く緩やかな寝息を立て始めたアルトに掛布をかけ、エドガーは静かに部屋から出る。タイミングよく氷枕と水差しを持ってやって来たメイド頭と鉢合い、部屋を指して小声で言う。

「丁度、寝付いたところだ」
「かしこまりました」

一言、小声で返事をしてメイド頭はエドガーに一礼をしてから静かに扉を開け、アルトの部屋へと姿を消す。それを見届けてからエドガーはマントを翻して、その場を後にした。


「…俺もヤキがまわったかな」


ぽつりと呟き、困ったように頬を掻いてエドガーは口元を抑える。よもやアルトの、男の熱に浮かされた表情にそそられただなんて、とてもじゃ無いが口外出来そうにない。




―――――――――――
エドガーが、アルトは男だと信じて疑っていなかった頃のお話。






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