踏みしめた、緑の大地。
芳しく香り咲く、花々。
一度崩壊した世界に置いても
此処は変わらなかった。


【さよならは言わないけれど】


コーリンゲン側に位置した時のフィガロ城から、少し南下した所。崩壊前はジドールまで続いていた街道沿いの山脈、唯一残った所。人目を逃れるかのように入り組んだ場所に、ひっそりとある洞窟にエドガーは足を踏み入れた。



手には白薔薇の花束。
どこか儚げな面持ちで足取りは重く、その様子から彼の躊躇いと自責の念と後悔が見て取れた。





*****





七歳になった頃のエドガーとマッシュはやんちゃ盛り真っ只中もいい所で、日々エドガーを主謀者として悪戯を繰り返していた。

「っ?!またお前かエドガー!!マシアスまで!」
「へへっ、ひっかかる方が悪いのさ!」
「悪いのさ!」

もっぱら悪戯の矛先を向けられていたのは、双子と歳の近かった近衛兵長の娘。歳が近い、という理由よりも彼女が幼いながらにも剣の腕が達者で、当時の双子の護衛を引き受けていたからかもしれない。

「逃げるぞマッシュ!」
「うん!」
「っこの!今日こそは逃がさないんだから!」
「捕まえられるもんなら捕まえてみろよー!」
「そーだそーだ!」

捨て台詞のように言い、エドガーとマッシュはきゃあきゃあと楽しげな声を上げて、その場から逃げ出す。エドガーの企んだ悪戯の所為で崩れ落ちてきた本に埋もれていた彼女は、乱雑にそれらを掻き分けて逃げる双子の背を追いかける。………それが飽きもなく続く、日常だと信じて疑わなかった。



―――そう、あの日までは。



八歳になった頃から身体の弱かったマッシュがダンカン・ハーコートに週二回ほど師事するようになり、エドガーは近衛兵長に剣の稽古をつけて貰うようになった。元々素質があった二人はめきめきと実力を上げていったが為に、所詮まだ子供だという事を彼らは理解したくなかったのであろう。

「エドガー様?!マシアス様?!」
「父上!如何なされました?」
「お二人が城内にいらっしゃらないのだ!!」
「なんですって?!」

あのやんちゃ盛りめが…!!!そう言って追いかけくる彼女を見たくて二人は城を抜け出して、彼女がお気に入りだと言っていた洞窟へと足を踏み入れていた。成人した事もあり最近は二人の護衛よりも、城の任務につくことが多くなった彼女。公式な場では仕方がないとしても、未だに分け隔てない態度で接してくれる彼女に、昔のように構って欲しいというのがエドガーとマッシュの本音だったのだから。

「あ、兄上…!」
「……っ…!」

洞窟というだけあって何事もなく通り抜けられるとは微塵も思っていなかったものの、唐突に暗闇から身を躍らせてきた大きな熊の魔物に足が竦む。かろうじてマッシュを背に庇いながら、詰め寄ってくる魔物からどうにか逃げ出せないかと画策するエドガー。しかし悲しきかな、リーチの違いを見せ付けるかのように魔物の腕は振り上げられ、たまらず二人は瞳を強く瞑った。


―――ギィン!

「逃げなさい!!」

鈍く鍔迫り合いの音と聞き慣れた声音の怒号が洞窟内に反響し、エドガーは閉じていた瞳を開け目の前に立つ彼女を見る。力負けしないように堪えているらしい腕は微かに震え、額には冷や汗が浮かんでいるようにも見えた。その時のエドガーには、どの行動が、何が最善かなど考える事もなく判ってしまっていて。

「早く!」
「……っ、行くぞマッシュ!」
「兄上っ!?」

急かす彼女の声を背に、マッシュの手を引いて、エドガーは一目散に洞窟の入り口へと駆け出す。


それでいい、と笑う彼女の顔が何故か脳裏を掠めた。





*****






長い、と感じていた洞窟は呆気ない程に短く。遭遇する魔物が昔より強くなろうとも、苦もなく倒す事が出来るようになった。

「……………変わらないな」

洞窟を抜けた先に広がる花畑。崩壊前と何ひとつ変わらないその景色に、エドガーはふっと頬を緩める。そのまま真っ直ぐに花畑の一角へと足を進めて、いくつか積み重ねられた石の前で膝を着き、花束を添えた。

「…………リリアス」

あの頃の自分を思い出す度に、己の浅はかな行動に嘆きたくなる。近衛兵長、彼女の父を連れて戻った時には魔物は倒され、リリアスは酷すぎる負傷の所為で虫の息だったにも関わらず、彼女は戻ってきた自分とマッシュを心配して、怒って、最後に笑って、抱き留めたこの腕の中で息を引き取った。

「………私は、君の言う、いい男になれただろうか」
「………なれたんじゃないのか?」

背後から唐突にかけられた声にエドガーは目を見開いて、慌てて後ろを振り返る。高く結い上げられた亜麻色の髪に気の強そうな黒曜の瞳、記憶にあるよりもずっと…――そう今の自分と同じ年数を生きたであろう格好のリリアスが、そこにいた。

「……何故」
「げんじゅー……フェニなんとかってのが」
「幻獣フェニックス、か?」
「ああ、それそれ。“消え行く私ではあるが。後悔と自責の念に捕らわれ天へ行けない哀れな魂に、幾ばくかの時間を与えよう”って言われてね」

覚えのある仕草で笑う彼女へと、伸ばしかけた手のひらを引き戻してエドガーは緩く笑みを作る。彼女の奥には山肌が見えているのに気付いてしまったから。

「……エドガー」
「なんだい?」
「なんで、泣いている?」
「………え?」

すっと伸ばされたリリアスの指先がエドガーの頬を撫で、目尻を拭う。ほのかな温もりが肌をかすめて、ようやくエドガーは頬を伝う濡れた感覚に気が付いた。

「おかしいな、泣くのは止めた筈なのに」
「ばか。それは堪えてるって言うんだよ」

くすくすと笑いながら、リリアスは少し背伸びをしてエドガーの頭を昔と同じように撫でる。その懐かしい感覚にいたたまれない気持ちになって、エドガーは彼女の細い腰に手を伸ばして抱き寄せた。

「すまない……本当に」
「……いいや、謝るのは私の方だよ」

幼いお前たちの心に傷を付けてしまって、ごめん。とリリアスはエドガーの腕の中で頭を下げる。甘く香る花々の芳香が切なさを一層駆り立て、エドガーの頬に雫がまた一筋の跡をつける。

「こら。一国の王が、そう何度も涙してどうするんだ」
「そうは言われてもなぁ」

微笑むリリアスにつられてエドガーは泣き笑いする。変わらない、変わらない彼女の態度が酷く懐かしくていとおしい。そうエドガーが心内で思っていたら、ぺし、とリリアスに額を指先で弾かれた。

「…痛いじゃないか」
「私に対する後悔も自責の念ももういらない。今お前の心を占めている子にその愛は注いでやるべきだ」
「どこかで聞いたような台詞だな」
「そう?じゃあフェニックスは見捨てておけない性質なんだろうな」

自分の所為で前に進めなくなっている人を想う、死者を。と言って彼女は再び笑う。ついこの間の、まだ記憶に新しいあの二人のやり取りを思い返して、エドガーはぐっと目元に滲む涙を拭い、抱き寄せていたリリアスを離した。

「それでいい、エドガー」
「リリアス……」
「私はお前たちに出会えて幸せだった……――ありがとう、     」

言葉尻は風に掻き消され、声はエドガーには届かない。あの時脳裏に浮かんだ笑顔よりも晴れやかな、彼女の顔が目の前を一時、掠めて。

「ありがとうは、私の台詞だよ……」

とけるように空に消えた彼女に贈るように、そっとエドガーは呟いた。



さよならは言わないけれど
(もう会えないのは理解っている)






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