急ぎ足で酒場の前まで駆けてゆけば、活気溢れる声が漏れる入り口の前にティナが立っていた。「酔っ払いに絡まれると大変だから」とロックに此処でアルトたちを待っているように言われたんだ、と言って彼女は可愛らしく微笑んだ。


【微かに残る面影と】


扉を開ければ、むせ返るような酒の香りが鼻をつく。慣れない匂いにティナが顔をしかめたが、酒場の奥にいる険しい表情のロックを見つけ「ごめんな」と耳元で囁いてアルトはティナの手を取り、先行くエドガーの背を追った。

「返事くらいしたらどうだ?」
「よせ」

今にも掴みかからんとしていたロックの肩を抑え、自らの方に引き寄せてエドガーは左右に首を振る。黒装束に身を包んだ彼の、頭を覆う布の隙間から覗く冷たい瞳に気付き、些か冷静さを取り戻したロックは顔をしかめた。

「どこかで見たことがある。確か……」

そう呟いて腕を組み、顎に手を当て考え出したエドガーの隣に、酔っ払いを振り払いながらティナの手を引いたアルトが歩み寄る。ただならぬ雰囲気で何かを思いだそうと考え込むエドガーと、険しい表情をしているロックを不審に思いアルトはロックの視線の先を辿る。その先にいたのは闇に紛れる、黒を纏った男。

「………シャドウ?」

小さな呟きを聞きとったのであろう、男の傍らにいた大きな犬が頭を上げエドガー達の方……否、アルトを見た。それに気付いた男はちらりとアルト達の方に視線をずらし、彼らを盗み見て溜め息を一つ吐く。そして無言のまま制するように犬の眼前に手を出し、犬が床に伏せたのを確認して再びカウンターへと向き直した。

「そうだ、シャドウ。…金のためには親友をも殺しかねない暗殺者だ」
「関わり合いにならない方がいいみたいだな」

エドガーの言葉を受けて、ロックは踵を返す。追うようにエドガーも踵を返し、酒場の出入り口へと足を進める。そんな二人について行こうと思いティナも踵を返しかけたが、繋いだ手のひらに引っ張っられ不思議そうにアルトの方を見た。

「…………アルト?」
「なんでもないよ、行こう」
「うん…」


そう言ってどこか寂しそうにアルトは微笑み、ティナの手を引く。しかしティナはシャドウと呼ばれた男に向かって、アルトが頭を下げているのを確かに見た。その理由を“どうして?”と問えば、優しいアルトはきっと答えてくれるだろう。そんな確信はあったけれど、何故かそう聞いてはいけないような雰囲気を感じ、ティナは繋いだ手のひらにほんの少しだけ力を込めた。

「王様、ロック」
「アルト、ティナ遅かったな」
「ん、悪ぃ」

酒場を出て、外で待っていた二人に大して悪びれもなくアルトはそう答える。どこか先程までと微かに違う雰囲気を纏うアルトに、エドガーは少し首を傾げる。しかし繋いだままのティナの手を一向に離す様子がアルトに見られないところから、一人推測を立てて口角をあげた。

「情報も集めた事だし、コルツ山に向かうか」
「だな。って王様ー?」
「…いや、なんでもないよ」
「そう…?」
「ああ」

訝しむように小首を傾げたティナの頭を撫で、エドガーはいつも通りの笑みを浮かべる。それを見たロックは「またか」という様に肩を竦め、アルトは仰々しく溜め息を吐いた。




*****




コルツ山に向かう途中、山裾に一行は一軒の小屋を見付けた。庭先には野菜が植えられており、人のいる気配が色濃く残るここで何か新たな情報を得られるのではないか。また、コルツ山とサウスフィガロの中間のここで登山前に少しでも休ませては貰えないか、と思いロックはその扉を叩いた。

「誰も…――いないのか?」

ノックに返事は無く、まさかそんな事はないだろうと思いながらドアノブを捻れば、不用心にも鍵は開いたまま。拍子抜けした様子でロックが玄関の扉を開け放ち、一行は家の中へと勝手にお邪魔した。

「ん? こ、このにおいは……?」
「え、王様まさか匂いフェチ?つーか変態?!ごめん、俺そこまで知らなかったよー!」
「あのなぁ……」

けたけたと可笑しそうに声をあげ、アルトはエドガーの肩を遠慮無しにバシバシと叩き、笑う。そんなアルトの反応にエドガーは額を押さえて盛大に溜め息を吐いた。自分でも口にしなければ良かった、と思うが故にアルトの言葉はかなり(例え冗談だとわかっていても)グサリときたのだった。

「大丈夫…?」
「ん?ああ、要らぬ心配をかけたね」

やたらエドガーの溜め息の回数が多い事を気にしたのか、不安そうな瞳で見つめてくるティナの頭を撫でエドガーは微笑む。つられてティナも小さく笑みを零したが、エドガー自身はロックの「溜め息ばっかり吐いてると幸せ逃げるぜ、エドガー」という言葉を聞いて、誰の所為だと思ってる!と怒ったように声を張り上げた。

「(しかし……花といい、お茶といい……)」
「おい、……ティナ?」
「…ぅん…」
「……ティナ?」

一人思案に耽るエドガーをそっちのけにして、ロックとアルトはティナの行動を目の当たりにして眼をしばたたかせる。二人の怪訝そうな、驚いたような声を聞いてエドガーは考えるのを止め、くるりと背後に立つ二人の方に向き直った。

「……ティナ、一体何を」
「なんだか眠く……なって……」

室内にあるベッドの一つに潜り込んで、うとうとと舟を漕ぎ出したティナに、エドガーも驚きを隠せずに眼をしばたたかせる。現在の時刻は夕方。自分の意志を取り戻して間もないティナが、外界から受ける影響を処理するのが手一杯になり、眠る事でそれを解決しようとしているのならば、その行動には納得がいくのだが。

「ティナ。服、離してくれないかな…?」
「んぅ…アルトも一緒に寝よう…?」「…え?ああ、別にいいよ」

駄々をこねるティナを無碍に扱う事も出来ず、ぐいぐいと力任せにベッドの方へ引っ張られ、アルトは仕方ないなぁといった調子で言葉を返す。家主もいないのにいいのかなぁ、と至極真っ当な考えは頭の片隅にあったものの、それは背後からの刺すような視線によって掻き消された。

「「(アルトの奴…ッ!!)」」
「(あっちゃー…)」

明らかに嫉妬とわかる二人の表情を目にして、アルトは冷や汗を浮かべて頬を掻く。本来ならば二人に嫉妬されるような理由はどこにもないんだけどな、と心の内で自嘲して、悟られないようにアルトは不敵な笑みを浮かべて帽子と作業着の上を脱ぎ、中に着ていた黒いTシャツ姿になる。

「おいアルト!」
「ティナのご要望。騒ぐんじゃねーよ、ロック」
「………信頼してるからな」
「わかってるって、王様」

誓って手は出しません。と大袈裟にポーズを取って、アルトはティナの寝ているベッドに潜り込む。自分の要望が通った事で嬉しそうな声をあげ、腕枕をせがんでくるティナに苦笑しながら、アルトは腕を差し出して彼女をの頭を撫でた。ふわふわとした柔らかい髪を何度か梳いているうちに、ティナの呼吸は緩やかで深い吐息に変わる。結局ここに泊まる事に決めたらしい二人のどちらかが、室内の明かりを消した為に辺りは暗闇に包まれる。安からな寝息を立てる彼女を眺めていたアルトもまた、睡魔に誘われるままに瞳を閉じた。



そうして夜は明け、東の空が白み出した頃。ぎぃ…と蝶番が軋む音で、アルトは珍しくすんなりと目を覚ました。隣で眠るティナは、依然として夢の中のよう。そのあどけない寝顔を眺め、二、三度頭を撫でてからアルトは腕からティナの頭を外し、彼女を起こさないようにベッドから出た。

「珍しいな」
「俺も、そう思う」

小屋の外に出て、伸びをひとつしながら傍に歩み寄ってきたアルトに、エドガーは些か驚いた様子で声を掛けた。何せフィガロでは知らない者がいない程、アルトは寝起きが悪い。明日は雨かな、などと不謹慎な事を考えている時に不意にマントの端を引っ張られ、エドガーは遠く一点を見つめているアルトの方を向いた。

「ん?」
「………誰か来る」

その言葉通りに、ひょこひょこと一人の老人が歩いてきており、アルトとエドガーの姿……主にエドガーを見て不思議そうに首を傾げた。その老人の反応を見、何かに感づいたらしいエドガーは自分の顔を指差して老人に問う。

「おいこんな……男を知らんか?」
「ほいほい。しっとるよ。二、三日前にお師匠のダンカン様が殺されてね。その直後に山に登ったよ。ダンカン様の息子、バルガスも行方知れずでねえ…。ここもこんなにあれちまって」

そうかそうか、お前さん別人か。と老人はひとしきり笑ってエドガーの肩を叩く。対応に詰まり、困ったような笑みを浮かべるエドガーと呆気にとられているアルトに向けて、山に登るのであれば気を付けなされよ。との忠言を残して老人は早々と帰ってしまった。

「……無事に過ごしているなら、良しと思っていたんだが」

心境穏やかならないといった声音でぽつり、と呟かれた言葉にアルトは掛ける言葉を見つけあぐねてエドガーの背を軽く叩く。その行動の真意を察しきれず、首を傾げたエドガーにアルトは口元に笑みを浮かべ、親指でコルツ山を指差して言う。

「どうせ行くんだろ?」
「……そうだな」

お前に諭されるなんてな、とぼやいてエドガーは、帽子を被っていないアルトの頭を手荒く撫でる。その表情は非常に楽しげで、そんな調子の良いエドガーに対して肩をすくめ、アルトはやれやれといった様子で息を吐く。早いところロックとティナを起こさないとな、と二人は視線で頷きあって、降り注ぐ朝日を室内に入れるかのようにゆっくりと小屋の扉を開けた。





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