軋む扉の音だけが響く静まり返った部屋。変な緊張感を呼び起こすかのようにその音は反響し、室内にいた人物へ来客を告げる。エドガーやマッシュよりもずっと濃い、豊かな金の髪と髭を蓄えた初老の男性は読んでいた本を閉じ、ゆったりとした動作で椅子から立ち上がって入り口の方へと視線を向けた。


【振り回されるのはいつも】


「バナン様。例の娘を連れてまいりました」
「ほう」

背筋が凍りつきそうな、抑揚の無いエドガーの声。久しく聞く事の無かったその声音に、アルトは姿勢を正してエドガーを見やる。普段の人当たりの良さそうな笑みはなく、一歩前に立つ彼の凛とした、バナンと呼ばれた男性と対峙するその姿に気後れしそうになった。同じような事を感じていたのか、僅かに力の込められた繋いだ手を引き、アルトはティナを自分の背後へと隠す。バナンがねめつけるような、品定めするような視線でティナを見ている事が酷く気にくわない。アルトの行動はティナと差ほど変わらない身長の所為で、余り意味をなさず、と傍目には見えており何事もなかったかのようにバナンはティナから視線を外してエドガーへと向き直る。

「この娘か……氷漬けの幻獣と反応したというのは」
「幻獣……?」

聞き慣れない単語に、ティナはアルトの背に隠れながら首を傾げる。そのアルトとティナが立っている場所の反対、つまりエドガーの向こう側でマッシュも同様に首を傾げていたのだが、先行すべき話はそこではないと言いたげにエドガーは再び口を開く。

「どうやらこの娘は帝国に操られていたようです」

慌てる様子もなく、ただ淡々と事実を報告していくエドガーが口にした言葉に小さくアルトの肩が揺れる。どうしたの?とこの場の空気に怯えた様子のティナが心配そうに問えば、アルトは小さく首を振ってなんでもないよと呟いた。

「伝書鳥の知らせで、おおよそは聞いておる。帝国兵50人をたったの3分で皆殺しにしたとか……」

その言葉に、冷ややかだった場の空気が凍った。固唾を飲んで行方を見守るバナン以外の誰も彼もが、何も言えない空気を発する静寂を打ち破ったのは皮肉にもティナがよろめき、崩れるように床にへたり込んだ音。

「い…いや、…――!!」
「ティナ!」

言葉にならない、余りにも痛惨な悲鳴。アルトの手を振り払い、駆け寄るロックを拒み、少しでもその場から逃れたいとティナは側にあった机に這い寄り、いやいやと子供の様に頭を振る。

「……ティナ」
「っ」

差し出された手の平を怖がってティナは一瞬身をすくめたものの、その手がアルトのものだと気付いて同じ視線の高さになるよう屈み込んだ彼女の、その胸に飛び込み抱きつく。怯えの混じった紫紺の瞳に、か細く揺れる彼女の肩を一度抱きしめてからアルトはティナの背をあやすようにゆっくりと優しく叩いた。

「バナン様酷すぎます!」

抗議する様に、エドガーが僅かに声を荒げる。ティナの記憶が戻っていないことを知っている上に、もともと女性に対して丁寧かつ繊細な扱いを心掛けている彼の事だから、それは余りにも自然な行動。その、誰もが彼女――ティナを庇護する態度をとった事に、バナンは呆れた様子で小さく息を吐いた。

「逃げるな!」

張りのある声で、一喝。凍りついた空気を砕くように、容赦なしに発せられた言葉に驚きティナは身を震わせる。何故、どうして、と恐るおそる顔を上げたティナの困惑に揺れる瞳とバナン様の強い視線が緩く、交わる。

「こんな話を知っておるか?
まだ邪悪な心が人々の中に存在しない頃、開けてはならないとされていた一つの箱があった。だが、一人の男が箱を開けてしまった。中から出たのは、あらゆる邪悪な心…嫉妬…ねたみ…独占…破壊…支配…だが、箱の奥に一粒の光が残っていた…希望と言う名の光じゃ」

先程とはうって変わって、孫と向き合うかのように優しくバナンは語りかける。言葉の真意を汲みきれず、首を傾げたティナにバナンはにっこりと微笑みかけて言葉を続けた。

「どんな事があろうと、自分の力を呪われたものと考えるな。おぬしは世界に残された最後の一粒。「希望」という名の一粒の光じゃ」

その言葉を、ティナがどう受け取ったのかは知る由もなく。バナンが話終わるのを待ってティナの意識はふつりと途切れた。気を失い、力無く自身に寄りかかるティナの頭を撫でてアルトは苛立ちを露わに溜め息を吐く。

「アルト?」
「パンドーラーの箱の伝承がどうしたって言うんだよ。結局はティナを良いように持ち上げて引き込みたいだけじゃねぇか」
「……そうとは、言っておらん」

ティナに語りかけた声音が嘘と思える程に冷たいバナンの声に怯む事無く、すごみのある視線をアルトは返す。一触即発、という雰囲気が漂うさなか、不意に肩に手を乗せられ弾かれたように振り向いたアルトは驚きに目を丸くして――…マッシュを見上げた。

「ロック」
「! 、どうした」
「ティナを、休ませられる部屋はあるかい?」
「あ、あぁ。それならこっちだ、ついて来てくれ」

呆然とたたずむアルトの腕を外し、ティナを抱き上げたマッシュは緩く彼女の頭を撫でる。苦笑とも困惑とも言い難い彼の表情に、アルトはばつが悪そうに顔を歪めて、俯く。

「お先に、失礼させていただきます」
「……うむ」

ティナを抱えたまま優雅に一礼をしたマッシュは、扉の前で待っていたロックの先導について居心地の悪い部屋を後にする。その道すがら、マッシュが器用に瞳を動かしちらりと視線をエドガーに向けていた事に残る二人は気付いていなかった。





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