「ごめんね。君の気持ちは嬉しいけど、ボク、今は誰かと付き合うとか考えたことないんだ」

ボクがそう告げると、目の前の彼女は泣き出しそうに顔を歪めた。

「そう、ですか。あの、なら、せめて友達から、とか…」
「でもボクは君のことを知らないし。友達になる子は、ちゃんと趣味があって一緒に居て楽しいって思える子がいいんだ」

小さな希望にすがろうとする彼女をバッサリと切り捨てる。今度こそ、彼女の瞳から涙がこぼれた。

「っ…!」

何も言わずに走り去った彼女の背中を見送りながら、さて彼女の名前はいったいなんだっただろうかと考える。
同じクラスで、ボクのファンクラブとやらに入っていたことは覚えているけれど、名前までは思い出せない。
一度聞いたことがある気もするけれど、もしかしたら聞いたことないのかもしれない。ただ、同じクラスという事実が面倒だなあと感じただけだった。


案の定、クラスへ帰ると彼女の机のまわりには小さな人だかりが出来ていた。
人の隙間から見えた彼女は、両手で顔を覆い、いかにも今にも泣いていますというアピールをしていてそれが更に鬱陶しい。
嫌だな、これじゃあまるでボクが悪者みたいじゃないか。
勿論そんなこと口にすれば、それこそ本当にボクが悪者になってしまうから心の中だけに納めて、ボクは自分の席へ向かった。
泣いている彼女がボクのファンクラブだったことはみんな知っているし、彼女が帰ってきてから少ししてボクが教室に帰ってきたものだから、誰もがなんとなく事情を察していて、教室の中はどことなく居心地が悪い。
遊戯くんたちも、ボクに気を使っているのかそれとも声をかけるのを躊躇っているのか、近づいてくる様子はない。
ボクだけが悪いわけではないけれど、この雰囲気を作ってしまっている原因の一端としては心が痛んだ。
けれど、仕方ないじゃないか。ボクは何もしていないのに、向こうが勝手にボクを好きになって勝手に傷ついているだけなのに。ボクはただ巻き込まれてしまっただけなのに。
被害者面で、これ見よがしに泣けるあの子が羨ましいとさえ思って、自然とそちらへ目を向けてしまう。
ふと、その輪から一歩外れた所で所在なさげに立っている女子が目についた。
輪の中心にいる人物を心配するような表情をしながらも、積極的に声をかけようとはしていない。たぶん、繋がりはあっても仲はさほど良くないんだろう。
なぜかその子が気になって、じっと見つめていると視線に気が付いたのか、その子がボクの方を見た。
一瞬、視線が交わる。
けれどすぐにふい、とそらされてしまい、その後一度も合わさることがないまま予鈴が鳴り、教室に入ってきた教師に急かされてばらばらとみんなが席へ戻る。
どこかで見覚えのある顔だった。少し考えてから、そういえばファンクラブにあんな子がいたなと思い出す。
きゃいきゃいとボクに群がる女の子たちから、常に一歩後ろの離れた場所で、困ったような顔でそれをじっと見つめている子だった。
ファンクラブなんてものに入る子は殆どが自己主張が激しく自信に満ち溢れているような人ばかりだったから、そんな態度はむしろ印象的で、だからこそ記憶に残っていたんだろう。

「えー、じゃあ今日は90ページから読んでもらおうかな。苗字」
「はい」

タイミングの良いことに先生に指名されて、立ち上がったのは件の少女。
苗字さん。頭の中にその情報をインプットする。
想像通りの落ち着いた声で朗々と教科書を朗読する姿はやはり大人しい文学少女といった態で、それとファンクラブというものが結びつかない。
どういう子なんだろう。少しだけ興味がわいた。


次の授業は移動教室で、教材を手に立ち上がると見計らったかのように女の子たちが集まってくる。
その中に告白してきた子の姿はなかったけれど、誰も気にしている風ではなかった。ついさっきまで、あんなに心配そうに机を囲んでいたというのに。

「獏良くん、一緒に行ってもいいかな?」
「うん、別にいいけど」

そう言ってにっこり笑えば、きゃあっと歓声が上がる。すぐそばを歩いていた男子が女ってコエーとつぶやくのが聞こえた。ボクもそう思う。
そしてやっぱり、少しだけ離れた場所に苗字さんは居た。彼女だけが、未だに机に座ったまま下を向いて俯いているあの女子を気にするように、ちらちら様子をうかがっていた。

「名前ー、先行くよー?」

集団の中から声をかけられ、はじかれたように苗字さんがこちらを向く。

「何してるの?早く!」
「う…うん」

申し訳なさげにあの女子を一瞥して、それでも急かされ苗字さんは小走りで近づいてきた。集団へ合流したのを見てから、ボクは苗字さんに声をかけた。

「苗字さん?」
「え、」

いきなり名前を呼ばれた苗字さんはとても驚いたようだった。大きく開かれた目にボクが映っているのが見える。

「…どうしたの、獏良くん?」
「苗字さんみたいな、大人しそうな人って珍しいから。えっと、苗字さんもボクのファンクラブ?に入ってるの?」
「この子ね、私の友達なんだけど、私が誘ったの!ほら獏良くんかっこいいから入りなよって!」

ボクの質問に答えたのは苗字さんではなく、今さっき苗字さんを呼んだ気の強そうな女子だった。

「へえ、そうなんだ。じゃあ、苗字さんもボクのこと好きなの?」

一瞬にして空気が凍った。周りの女子がみな、睨むように苗字さんを見つめた。抜け駆けは許さないでも下手なことを言うのも許さないと、言葉にならずともその視線の意味するところは見て取れる。
苗字さんもそれには気づいているようで、困惑した表情のままボクをじっと見つめた。その目は、どうして今こんなことを聞いてくるのと非難しているようにも見えた。

「えっと…、獏良くんのことは、憧れてる、よ。かっこいいなぁ、って」

当たり障りのない回答に、ふっと空気が緩む。どうやらこの答えは及第点だったようだ。

「ねえ獏良くん、早くしないと授業始まっちゃうよ?」

別の女子がそう言って、誰かにほら早く、と背中を押される。半ば強引に次の教室まで連れて行かれるうちに、苗字さんは後ろの方へ移動したらしく視界から消えていた。
苗字名前さん。彼女は嘘つきだ。
憧れているといったとき、彼女の目はまるで硝子玉のようにボクを映しているだけだった。本当に憧れているのなら、そこには何らかの感情がこもるはずだというのに、彼女の目はどこまでもボクに対して無感動で無関心を貫いていた。
彼女はボク個人に対して何の感情も抱いていないのだと、ボクは確信する。彼女にとってボクは、そこらに存在する有象無象の一人なんだろう。
それこそが彼女に抱いた興味の要因だったんだろう。今まで、ボクのまわりにはそんな女子はいなかったから。
あの子が欲しいな、単純にそう思った。それはまるで、珍しいおもちゃを見つけた子供のような感情だった。



(嘘をつかない唇をください)