暗い井戸の底。私とメルだけの世界。今日も私は愛しい人の腕に抱かれて優しい夢を見続ける。

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メルの膝に乗って、メルと話している時間が私の幸せ。誰にも邪魔されない、至福の時。メルのふわふわとした髪を弄りながら、唄うように問いかける。

「メル、愛シテル?」
「愛しているよ、エリーゼ」
「ウフフ、嬉シイ!私モ愛シテルワ!」

ぎゅうっと、メルの腰に抱きついた。

「メル、コレカラモズット一緒ニ居マショウネ」
「そうだね。復讐が終わらない限り、ずっと一緒だ」
「嬉シイ?」
「勿論さ」

人間が誰かを恨む限り、私たちの復讐は終わらない。そして、復讐を続ける限り私たちは存在していられる。
人間たちが恨みをなくすことなんて永遠にありえないから、つまり、私たちは永遠に居られる。なんて分かりやすい方程式。
人間達は本当にお馬鹿さんで、私は大っ嫌いだけど、でも私とメルのためになるから許してあげる。
メルとの甘ったるい時間を過ごしていると、またどこかで、復讐が生まれる気配がした。恨みを持って殺された屍人が私たちを呼んでいる。

「行こうか、エリーゼ」
「エエ!」

私を腕に抱いたまま、メルが立ち上がった。

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寂れた教会は、復讐の舞台としてはこれ以上なくふさわしいものに思えた。
磔にされた聖女様。美しいその彫像を感情のこもらない瞳で見上げるメルの横顔に、なぜか胸騒ぎを覚えて、メルの服の裾を握る。

「どうしたんだい、エリーゼ」

メルの質問には答えずにせがむように両手を差し出すと、メルは私を抱き上げてくれた。いつもと変わらない優しい腕。
冷たいメルの身体にすがるように、その首に手を回した。大丈夫、何も変わらない。

「これじゃあ、屍揮ができないよ」
「ウン…分カッテルワ、メル。デモ、少シダケコウサセテ」

甘える私をあやすかのように、頭を撫でられる。少しの間、そのままメルに抱きついていた。
そのうちに気分も落ち着いてきて、私はゆっくりとメルから降りる。
ふっと笑ったメルが、指揮棒を振り上げた。その指揮に合わせて屍人が歌う。いつも通りの光景。
これからもこうやって永遠に続けていけば、私たちは永遠に一緒。大丈夫。まるで自分に言い聞かせるかのように、私はそう心の中で唱え続けた。

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「ヤッパリ、人間ッテ愚カネ。セッカクノ復讐ノチャンスヲ無駄ニスルナンテ」

あの聖女様は結局、復讐を果たさないまま自ら消滅してしまった。
妙なことを言ってメルを困らせたことと、私のメルに抱きついたことは正直許せないけど、まぁ、もういないんだから怒ったって仕方がない。

「ネェ、メル?」

そう言ってメルをふり仰ぐと、予想に反してメルは難しい顔をしていた。

「…ドウシタノ、メル」

不思議に思って問いかけても、何も返ってこない。
何か、おかしい。直感的にそう思った。だってメルは、今まで私のことを無視したことなんて一度もないから。メルはいつだって、私のことだけを考えていてくれたから。
ざわりと、恐ろしい予感がする。再びあの胸騒ぎを感じ始めた。

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メルが私の前を歩く。私は必死に声をかける。なのに、メルはこっちを見ない。夢かと思って、目を閉じる。開ける。やっぱりメルは私を置いて先へ行く。やめて、置いていかないで、私を、私だけを見て、メルには私がいるんだから、メルには私だけがいればいいんだから、そして、私にもメルだけがいればいいんだから、ねぇメル、聞いてるの、返事をしてよ、こっちを見てよ、メル、私はここに居るのよ。メルは私を振り返らない。いくら自分で動けるとは言っても、所詮人形の私とメルでは、歩幅が違いすぎる。歩いていくメルを走って追いかけても、距離はどんどん開いていく。メルの背中が遠くなる。待って、メル。

「メル、チョット待ッテ!」

もうなりふりなんて構っていられなかった。叫ぶように声を張り上げる。やはりメルは振り返らない。走る足にドレスが縺れた。転びそうになるのを耐えて走る。メルが遠い。手を伸ばしても届かない。嫌だ、置いていかないで、メル、お願い、待って、ずっと、ずっと一緒って言ったのに、どうして置いていくの、嫌、メル、嫌よ、そんなの絶対に嫌。

「――メル!」

求めるように、両手を伸ばした。メルが振り返ってくれることを願って。いつもならこうすればメルが優しく抱き上げてくれるのに、私の手はむなしくも空をかくだけだった。ずっと一緒だって言ったじゃない。嬉しいって言ったじゃない。全部嘘だったの?ううんそんなはずない、だってメルは今まで私に嘘をついた事なんて一度もないもの。そうよね?メル。そうだって言って。笑って。触れて。抱いて。囁いて。愛して。

愛してるのメル。私が、私だけが、今までもこれからも永遠に何があってもあなたをずっとアイシテル。



(世界、あるいは自我の崩壊。)



――ピシリ、何かが罅割れる音が響いた。