人前でなんて絶対に泣かないと決めていたのに結局もらい泣きしてしまい、HRが終わるころには泣きすぎて目は熱くなっているし頭はぐらぐらするしで最悪な気分だった。
晴れ晴れしいはずの卒業式なのになんなんだ一体。
HRが終わったとはいえ、教室内にはまだまだたくさん人が残っていて写真撮影をしたり部活のお別れ会に行ったり思い出話に花を咲かせたりと忙しい。
普段は用がないなら長居するな、なんて口うるさい先生も今日ばかりは生徒の意思を汲んだのか、完全下校までには帰れよと言い残して教室を出た…後すぐに廊下で卒業生に捕まっていた。
かくいう私もそんな皆の輪の中に加わりたいのは山々だったのだけれども、残念ながら明日に迫った引越しの用意が未だに終わっていないので今すぐにでも帰って荷造りを済ませなければいけない。
仲の良い友達とは、今日の朝十分に話したし、卒業旅行に行く約束だって取り付けている。
お世話になった先生の挨拶も終わらせたし、もう帰ろうと鞄を肩にかけて席を立った。

「あ、もう帰るの?」
「うん。引越しの用意しなきゃだし」
「そっかーもう気軽に会えなくなるんだよね。寂しー」
「私だって寂しいよー」
「休みになったら遊び行くから!そっちも来てよ!」
「行くよ!絶対行く! じゃあねー、また旅行の日に!」
「旅行の日に!」

扉の近くに居た友達とひとしきり悲しみを分かち合ってから、人でごった返す廊下に出た。
この人ごみを抜けるのすら一苦労そうだ。
気合を入れて、人ごみを掻き分けながら歩いていると、突然「おい」と腕を引かれた。
びっくりして振り返ると、なぜか不機嫌そうな顔の幼馴染(腐れ縁とも言う)が立っている。

「もう帰るのか」
「うん。引越しの用意」
「まだ終わってねぇの?」
「煩い。私は帰るけどまだ用事あるんでしょ?残ってていいよ?」

家も近い上にお互い帰宅部ということで、高校三年間私達は特別なことがなければ一緒に下校していた。
そのことで色々と冷やかされたこともあるけれど、私自身恋愛対象として見たことはないし、向こうだってそうだろう。
まあそんなわけで、今日も一緒に帰るつもりなのかもしれないけれど、早く帰らなければならないのは私の都合であって向こうには全く関係ないことだし、友達と男同士積もる話もあるだろうと思って気を遣ったにも関らず、なぜか不機嫌そうな顔は崩れることは無かった。

「別に、用事ないから」
「えー、友達とかと話さなくて良いの?」
「一生会えないわけでもあるまいし、特別話すことなんてそうないだろ」
「うっわー友達甲斐のない男だわ」
「勝手に言ってろ」

帰るぞ、と昇降口に向けて引っ張られる。
制服が伸びるでしょと抗議すると、もう着ないんだから関係ないと言い返された。
それもそうだとは思うけれどその態度がなんとなく気に入らなかったので、ちょうどいい位置にある膝をかくんとしてやった。もちろん怒られた。


自転車を押しながら、人もまばらな通学路を二人で歩く。
基本的に話し始めるのはいつも私からで、向こうが会話を提供することはあまりないのだけれど、それでも今日はいつにもまして寡黙だった。
なんとなく沈黙が苦手な私は次々に話題を変えるのだけれどかえって来るのは「ああ」だとか「そうだな」だとかそんな生返事ばかりで、いつしか会話の種も尽き果ててしまった。
すると自然に辺りは静寂に包まれることになって、聞こえるのは車輪の回るからからという音だけになる。
この沈黙がなんだか居た堪れないのだけど、かといってもう話すことなんて思いつかない。
やっぱり私と帰るより学校に居たほうが楽しかったんじゃないだろうかなんてぼんやり考えていると、突然向こうが口を開いた。

「なあ」
「なに?」
「お前、引っ越すんだよな」
「何を今更。この前家のお母さんと一緒に挨拶に行ったじゃん」
「そうだな」

そこで一度会話が終わる。
当たり前のことを聞いてきて一体どうしたんだと首をかしげていると、再び「なあ」と声をかけられた。

「今日、卒業しただろ」
「そうだね」
「俺も、卒業しようと思う」
「…あんたが落第でもしてない限り私と同じく今日が卒業式なんじゃないかと思うんだけど」
「馬鹿そうじゃねーよ」
「じゃあなに」
「俺とお前は幼馴染だろ。その関係を卒業しようと思う」
「は?」
「好きだ」

予想すらしていなかった言葉に、思わず立ち止まる。

「え…、なにそれ初耳なんだけど」
「初めて言ったから」
「えっ、えーと……いつから?」

混乱のあまり我ながら馬鹿のような質問をしていると思ったけれど、本当に、全くもってそんなそぶりすらなかったのだから驚くのも仕方がないと思う。

「…意識しだしたのは、お前の引越しが決まってから」
「すごい最近じゃん」
「だから俺だって吃驚してるんだよ」

「で、返事は」と問いかけられて、はっと我にかえる。
今まで意識したことが無かったけれど、よく考えて見れば私はむこうのことは嫌いではないむしろ好きな方だし、離れなければならないと思うと今更ながらに哀しくなってくる。
これが恋愛の好きなのかどうかはまだ分からないけれど、それでも一緒に居られるのが楽しいならわからないままでもいいのかもしれない。
そう思って、私はその問いにひとつ頷いた。
私達の新しい始まりを祝福するかのように、遅咲きの梅の花が風に舞っていた。