手に持った、ただの紙切れ(けれど、精神的にダメージを与えるものだとすればそれは強力な武器になったりもする)を見て、私は重くため息を吐いた。
捨ててしまいたいのだけれども、家に帰って捨てる勇気は無い。
それならば、と、ふと思いついて私はその紙切れで紙飛行機を折り始めた。
随分と久しぶりに作ったのだけれど、見た目はなかなかにいい出来で、そんなしょうもないことに嬉しくなって、
私は出来上がった紙飛行機を茜色に染まった空に向けて飛ばす。
紙飛行機は風にあおられてふらふらと頼りなげに飛んでいく。
その姿をぼんやりと目で追っていくと、その先に見知った顔がいるのを発見して私は思わず悲鳴をあげそうになった。

「ブ…ブチャラティさんっ!」

私の視線の先で、ちょうど紙飛行機が彼の足元に着陸する。
それを拾い上げてから、彼はゆっくりと私の方に歩いてきた。
私に軽く挨拶をして、手に持った紙飛行機を見せる。

「これは名前のか?」
「あ、はい、私の、です」

何故だか彼といるととても緊張してしまう。
上擦りそうになる声を必死で抑えた。
私の返事を聞いた彼は、興味を持ったのか、紙飛行機を開こうとする。
「わ、ま、待ってください!」とは言ったものの、一足遅く、既に紙飛行機はもとの紙の状態に戻ってしまっていた。
彼は、それをみて一瞬目を丸くしたようだった。
それがとても恥ずかしくて、半ば引っ手繰るようにして私は紙を彼の手から奪い取る。

「それは、成績表、か?」
「……そ、そうです、けど」

私の手の中でくしゃくしゃになったそれ――成績表を指差して、彼は私に確認するように尋ねた。
私は顔を真っ赤にして、肯定する。

「い、いつもは、こんなに悪くないんです! 今回は、問題、難しくて…! えと、だからその、」

聞かれてもいないのに、弁解の言葉が勝手に口から零れ落ちた。
恥ずかしくて、顔が熱を持っているのがよく分かる。
ぽろぽろと、わけもわからず涙が溢れ出して、そんな顔を見られるのが嫌で私は俯いた。
ああ、きっと彼はいきなり泣かれてしまって、困惑した表情を私に向けているんだろう。
それがとても嫌で嫌で、情けなくなって、ますます涙が溢れてきた頃、突然私の頭に温かい手が置かれる。

「ブチャラティ、さん…?」

何がなんだか分からずに、目の前の彼を見上げると、彼は少し困ったように、だけれどもとても優しく笑っていた。

「俺は別に、名前を責めているわけじゃないんだ」
「…はい」
「それに、100点中60点だろう? 悪い点数とは思わないんだがな…」
「だ、だって、絶対80点以上取らなくちゃ、おかあさんに怒られ…」

私がぽつりとそう洩らすと一瞬だけ、彼の眉間に皺がよった。
それに慌てて、私はおかあさんの弁解をした

「あ、でも、おかあさんが悪いわけじゃないんです! 良い学校に入るには、良い成績をとらなくちゃいけないんです!
良い学校に入れたら、良い職業に就けるから、そしたら、私の将来が楽なんです! だからおかあさんは、」

おかあさんは私のために、と言おうとしたけれど、それは彼の手によってさえぎられてしまった。

「そうか、子供思いの良い母親なんだな」
「はいっ!」

彼が私のおかあさんについて理解してくれたことが、たまらずに嬉しくて、私は弾んだ声をあげる。

「だけど、今回の成績は見せたくないんだろう?」
「は、はい…」
「そうか…」
「……」
「それなら、これは俺と名前との秘密ということにしておこう」

私の言葉に彼は少し思案して、その後柔らかい笑みを浮かべてそう言った。

「ほ、本当ですか!?」
「ああ。その代わり、次のテストでは頑張るんだ」
「も、勿論です!」

思わぬ申し出に、自然と私の心は弾んできて、それが声にまで表れている。
「これは俺が預かろう」と、彼は私の成績表を綺麗に畳んでポケットの中へしまいこんだ。
そして、私に「もう帰った方が良い。最近は日が落ちるのが早いからな」と声をかける。
慌てて時計を見ると、既に6時を切っていて、茜色の空はもう群青色に近くなっていた。

「わわ、そうですね、もう帰ります」
「ああ」
「あの、ありがとうございました。さようなら!」

彼にそう挨拶をして、自分の荷物を掴むと家に向けて駆ける。
彼と秘密を共有出来たことが嬉しくて、思わずにやにやと笑いながら家に帰ったらおかあさんに不審がられてしまったけど、それでも今日はとても良い一日だった。



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