「エルフ、ただいま!」

学校から帰ってきたマスターは妙に上機嫌なようだった。
マスターの機嫌が良いことに関しては悪いことではない。
ただ、その眼がまるで悪戯をするかのようにきらきらと輝いていることと、家を出たときには持っていなかった大きな紙袋の存在がオレを無性に不安にさせた。

「随分機嫌が良いみたいだな、マスター」
「えへへ、ちょっとねー。それにしてもよく分かったねエルフ」
「いや、完全に顔に出てるぞ」

そう指摘すると、マスターは面白くなさそうな顔で「そこは嘘でも、マスターのことだったら何でも分かるとか言っとくところだよ?」と嘯いた。
そんな恥ずかしいこと言えるわけないだろう!と反論しそうになったものの、それを言うとまたからかわれてしまうだろう。
オレは喉まで出掛かったその台詞を飲み込み、話を逸らした。

「…で、なにがあったんだ?」
「あー、そうそう。これ見てよ!」

例の紙袋をガサガサと漁ってマスターがとりだしたのは、水色とピンクの妙にひらひらとした服だった。
いや、服というか…衣装とでも言ったほうが良いのかもしれない。オレの目に飛び込んできたそれは、完全にブラックマジシャンガールの着ているあれだ。
どう反応すればいいのか、困惑するオレをよそに、マスターは「よく出来てるよねぇーこれ」などと言いながらそれを眺め回している。

「ひとつ、確認していいか」
「なに?」
「それは、その…ブラックマジシャンガールの衣装で間違いないのか」
「そうだよー。それ以外何に見えるの」

出来れば間違いであって欲しいというオレの願いはマスターによって軽く打ち壊された。

「ど…どうしたんだ、それ」
「友達にこういうの作るの好きな子がいて、私も着てみたいって言ったら貸してくれたの」
「…そうか」
「最近M&Wのイベントとかでも着てる人いるでしょ? あれすっごく気になってたんだよね。あ、小道具もちゃんとあるんだよ」

マスターはまた紙袋を漁り、今度はあの帽子と杖を取り出す。
終始上機嫌なマスターとは裏腹に、オレのテンションは下がっていく一方だ。
いや、マスターのことだから本当にただ着てみたかっただけなんだろうが、オレにはマスターが越えてはいけない一線へ踏みだそうとしているようにしか見えない。
ここは止めるべきなんだろうか…、悩み始めたオレに向かってマスターは素晴らしく良い笑顔で「じゃあ着替えるから。エルフ出てってね」と言い放つと、無理やり部屋から追い出した。
バタン、と無情にも閉められてしまった扉を呆然と見つめる。
着るのか? マスターが? あれを? …そういえばブラックマジシャンガールの衣装はだいぶ際どくなかったか?
散らばる思考を必死にまとめあげ、やはり止めるべきだと結論づけたのと同時に、ガチャっと唐突に部屋の扉が開いた。

「エルフ、どう?」
「っ…!」

中から現れたのはもちろんマスターで、当然といえば当然なのだが着ているのはあの衣装で、何故か見てはいけない気がしてオレは思わず視線を僅かに逸らした。
流石に少し恥ずかしいのか、マスターはしきりにスカート丈や肩口を気にしている。

「…」
「いやーちょっとこれ露出激しいよね。外で着てる人は勇気あるなぁ…」
「……」
「エルフ、何か言ってもらわないと私すごく恥ずかしい人なんだけど…。感想は?」
「あ…あぁ、」

言われて、恐る恐る視線をマスターのほうへ移す。
見えやすいようにとの配慮なのか、くるりとマスターが一回転して、スカートのすそもひらりとゆれる。
似合っていないわけではない、いや、むしろなんというか…その、

「……かっ、わいい」
「へ?」
「んじゃないか衣装は!」
「衣装の感想!?」

ぽろりと零れた本音を慌てて取り繕う。

「ちょっと、私の感想はどこにいったの!?」
「…マスターは、まぁその…、おかしくはない、と思う」
「何その微妙な感想…なにこれなんか私恥かいただけじゃない」

オレの回答が気に入らなかったのか、マスターの機嫌が一気に下降した。

「もう着替えるから。もっかい出てって」

一度目とは真逆の声音でそう言って、再びマスターはオレを部屋から追い出す。
一人残された廊下で、オレはずるずると床に座り込んだ。
目を瞑ると脳裏にさっきのマスターの姿が鮮明に蘇り、鼓動が乱れ頬がかっと熱くなる。

「くそっ」

幾ら平常心だと言い聞かせても、一向に静まろうとしないそれと自分自身に対して小さく悪態を吐いた。
ああ、もしかしたら一線を踏み越えてしまったのはオレのほうなのかも知れない。



(狂わせる人)