ぐるぐると今にも鳴りそうなお腹を必死で押さえる。
数学の授業中、教室に響くのは先生が黒板に数式を書き込む音だけだ。
こんな中でお腹の音が鳴り響いたりなんかした暁には私は確実に恥ずかしさで憤死するだろう。
朝、時間が無かったからってご飯抜いてくるんじゃなかった。
もし時間が巻き戻せるとしたら、朝の自分を叱り付けたい。いや、むしろ夜更かしした昨日の自分を殴ってでも寝かしつけたい。
そんなことを考えても時間が巻き戻るなんて訳はなくて、私は歯を食いしばりつつお腹に当てた手に力をいれた。
時折教室の時計をチラ見して、残りの授業時間をカウントする。
この授業さえ乗り切れば購買が開くからパンか何か買って食べれる…!
それだけを心の支えに、静かに、それでいて激しく繰り広げられていた私のお腹との戦いは、突然隣から密やかにかけられた声で一時中断された。

「大丈夫?」
「…え?」

見ると、獏良君がとても心配そうな顔でこちらを見ていた。

「もしかしてお腹痛いの?」
「えっ、なんで?」
「さっきからずっとお腹押さえてるみたいだったから。もしそうなら先生に言って…」
「あ、や、違うから。大丈夫気にしないで」

今にも手を挙げそうなそぶりを見せた獏良君を慌てて止める。
こんなことで授業を中断させるなんて真面目に勉強している皆に申し訳ない。

「でも、辛そうだったし…我慢しなくたっていいんだよ?」
「いやいや、ほんと大丈夫だから。そんなんじゃないから!」

小声ながらもしっかりと否定したにも関らず、獏良君は疑わしげな目で私を見ている。
どうやら獏良君を心配させまいと大丈夫と嘘を吐いているとでも思われているみたいだけど、私はそんなに気遣いのある女の子じゃないんだよ獏良君!
とはいえ口で言ってるだけでは信じてもらえそうな雰囲気でもなく、私は仕方なく本当の理由を話すことにした。

「あの、心配してもらってるところ悪いんだけど、私腹痛とかじゃなくてただ単にちょっとお腹すいてるだけなの」
「へ?」
「あー、その、今日の朝ちょっとごたごたしててご飯食べられなかったんだよね。あはは…」

乾いた笑いを漏らす私に、きょとんとしていた獏良君が突然「ぷっ…」という声と共に自分の手を口元に当てた。
さすがに授業中なので必死に我慢しているのだろうけど、ぴくぴくと動く肩と時折もれる小さな声は完全に笑っているときのそれで。

「わ、笑うなんてひどくない!?」
「だって、すっごく辛い顔してたから……まさかそんな理由だと思わなくて」
「っ、」

自分でも馬鹿らしい理由だとは思っているけれど、人からそう指摘されるとさすがに恥ずかしい。
すっかり赤くなってしまった私の顔をみて更にくすくすと笑いながらも、獏良君はポケットからカラフルな包みを取り出した。

「ごめんごめん。そうだ、お詫びにこれあげる」
「え…これ飴?」
「うん。これなら食べてても先生にはばれないし、お腹もちょっとは落ち着くんじゃないかな」
「あ、ありがと」
「ううん、僕こそ笑っちゃってごめんね」
「いや、まぁたぶん私でも笑ってたと思うから、気にしないで」

獏良君に軽く手をふって、早速貰った飴を口に入れる。
途端に口の中に決して甘すぎない上品な苺味が広がった。
なにこれこの飴超美味しい…!
慌てて包み紙を良く見てみると、最近CMで話題のちょっとお高め(少なくとも私は買うのを躊躇するぐらい)な飴の名前が書いていて愕然とする。
これは何かお返しをしなければ…後で獏良君の好きなものでもこっそりリサーチしよう。
そう心に決めながら、残りの授業を乗り切るために私は気合を入れなおした。



(複雑なおんなごころ)

(だけどあんな笑われた後だしあんまりこの話蒸し返したくないかも)(でもお礼はきちんとしないとなぁ…)



「と、いうわけで。先日は大変お世話になりました」

そういって恭しく私が差し出したものを見て、獏良君の目が輝いた。

「わー、シュークリームだ。貰って良いの?」
「うん。ほんと助かった上にあの飴美味しかったし。これはお礼の気持ちということで」
「じゃあ遠慮なく。ありがとう!」
「いえいえこちらこそ」

登校前にコンビニで買ってきたものだけれども、そんなに喜んでもらえると私としても嬉しい。
幸せそうにシュークリームを頬張る獏良君を微笑ましい気分で眺めているとふいに騒がしい声が飛び込んできた。

「獏良お前美味そうな物食ってんじゃん」
「あ、城之内君。これ、苗字さんに貰ったんだ」
「苗字に?なんで」
「この前…「ああ゛ー!獏良君言っちゃ駄目!」

城之内の質問に獏良君が口を開くより早く、私は大声をあげてそれを遮る。

「なんで?」
「なんででも!絶対言っちゃ駄目だから!」

これ以上恥を他人に晒してたまるか、と必死に押しとどめる私をしばし見つめた後、獏良君はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、二人だけの秘密だね!」
「っそ、そうだね!うん、二人だけの秘密!」
「なんだよお前ら怪しーな」
「城之内は黙ってて…!」

しつこく聞き出そうとする城之内を制しながらも、さっきの獏良君の笑顔を思い出す。
その笑顔と発言にうっかりときめいてしまっただなんて、まさかそんな…ね。