夜に、蝉の声よりコオロギの声が目立つようになった。
吹く風も少し肌寒くなってきた。
真昼はまだ暑くても、暦の上ではもう秋だ。

「そう、もう秋なのよ……」
「そうだな」

顔を上げて、開け放された障子から空を見上げた。
沈み行く夕日を背に鳥の群れが山に向かって羽ばたいていくのを眺め、風情があるなぁ…なんて感傷にひたる。

「だからね、夏休みの宿題なんてもうどうでもいいと思うの」
「どうでも良い訳があるかバカタレ!」

遠い目をしながら言った名前に文次郎の拳骨がとんだ。


「大体、就職活動やらなんやらで忙しい6年生にあんなに大量に宿題を出すほうがおかしいと思わない?」
「そういうお前は就職活動してたのか?」
「いや、してないけど。私家業の手伝いするつもりだし」
「だとは思ったけどよ…」

即答する名前と脱力する文次郎。
忍術学園広しと言えど、いつでもギンギンな鬼の会計委員長にこんな表情をさせられるくのたまは名前だけだろう。
すっかり飽きてしまったのか、腕を投げ出し机にべったりと身体をつけた名前を見て、文次郎はため息をつく。

「おい、さっさと終わらせろ」
「めーんーどーいー」
「あのなぁ…お前が終わらせねぇと俺が帰れないんだよ」
「なんで? 別に帰ればいいでしょ」
「仕方ねぇだろ。先生に頼まれたんだ」

文次郎の脳裏を「潮江君、悪いけど苗字さんの宿題を手伝ってあげてくれない?」と笑顔で言った山本先生がよぎった。
字面だけ見れば頼んでいるようだが、その有無を言わせぬ雰囲気に流され思わず頷いてしまったことが今はただ悔やまれる。

「幼なじみって大変よねぇ…」
「それが分かってるならもう少し俺に迷惑をかけない生き方をしてくれ」
「それは私がどうこう出来る問題じゃないしー…」
「とにかく、解け!」

腕を掴んで無理やり筆を握らせた。
名前は「ええー…」なんて言いつつ、全くテキストを見ようともしない。

「お前なぁ…、今日中にこれ終わらせないと卒業危ういんじゃねぇか?」
「…だったら留年してもいいや。5年生可愛いし、不破君の笑顔なんてもう癒しよ癒し」

やる気なさそうに呟かれたセリフに何故だか無性にいらぁっ、とした。
別に名前が留年しようがどうしようが俺には関係ないはずだろ!
と胸の中で自問自答してみるもののこの感情の理由なんて全く思いつかない。
そのことがさらに文次郎をいらつかせる。

「いいから、さっさとやりやがれ!」
「な、なんでいきなりキレてんの…!?
だから、あれだったら帰ってもいいよ山本先生には私が上手く言っとくし」
「俺が帰ったらこの宿題やらねぇだろ」
「やる気になったらやるかも知れないけどね」
「それじゃ駄目なんだよ」
「えー、もういいじゃん卒業とか留年とかどうだって…」

自分のことだというのに、いつまで経っても無気力な名前にとうとう文次郎の頭の中でプツリと音がした。

「だから! さっさと! 筆を持て!! 解け!!」
「だからなんでキレるのかが意味不明なんですけど!B 所詮私の事なんだから文次郎がそこまでムキにならなくたっていいじゃない!」
「俺はお前と一緒に卒業したいんだよ!!」
「へ…?」

ぽかん、とした名前の表情を見て、文次郎は自分が今なんと言ったのかを思い出す。
途端に、身体中の血液が顔に集まってきたかのような感覚に陥った。

「……文次郎、今のは…」
「っ、わ、忘れろ!!」
「…いやそれはちょっと無理な相談で………。いや、うん、文次郎の気持ちは良く分かったよ」

気を使われている感が余計空しい。
くそ、なんて悪態をついていたら名前の表情がへらりと緩んだ。

「笑うな」
「いやいや、笑ってないよー」

そう言って顔を引き締めても、目が笑っているのだから説得力は無い。

「えへへー、ちょっとやる気でた」
「あ?」
「文次郎と一緒に卒業できるように私頑張るねー」
「……バカタレ」

やけに『文次郎と一緒に卒業』を強調して言う辺りおちょくられてるとしか思えないが、
それでも名前の言葉が嬉しいと感じる自分が一番のバカタレか。
やけににやにやしながらテキストに取り組む名前を視界に入れながら、文次郎は気付かれないようにそう一人ごちた。



(零れ落ちるは)



「なにか言った?」
「なんでもねぇよ」