にこにことした笑みを絶やさず、彼は今日も私に愛を告げる。
ここは、病院の一角の、私に割り当てられた個室だ。ベッドの上で碌に動くことも儘ならない私の世話を、毎日甲斐甲斐しく焼いてくれる彼が日課としているのがこの行為で、それは決まって彼が仕事のためにこの病室を去らなければならなくなった時に行われる。
だから私にはなんとなくそれが、彼がここを去る合図のようにも感じられて、なにせ、この病室には彼とあとはこの病院の職員ぐらいしか訪れないものだから、少々寂しくもあるのだった。
とはいえ、それを彼に告げればいらぬ気を持たせてしまうことは簡単に予測できるので、口にすることは一生ありえないのだろうけれど。

「ねぇ名前、ぼくね、名前のことすっごく、すっごーく!愛してるの!」

ほら、また。
それまで他愛もない話をしていた彼は、壁にかかってある時計に目を向けたあとで、何の脈絡もなくそう口にした。
追われて私も時計を見れば、普段よりもいくらか早い時間で、仕事が立て込んでいるのだろうか、と他人事ながら心配になる。

「今日はいつもより早いんですね…、忙しいんですか?」
「え? …うん、まあ、ちょっとは」

彼に負けず劣らず会話の流れを無視した質問に答えるその口調はどことなく歯切れが悪い。
よくよく顔色を窺ってみれば、どことなく疲労の色が滲んでいるようにも見えた。

「…別に、看護師の方々もよくしてくれますし、無理してお見舞いに来なくてもいいんですよ?」
「ううん、ぼく名前に会いたいし、それに無理もしてないから! っていうか今はぼくが話してるの!」

私の気遣いはそんな言葉で流されて、ついでとばかりに変えようとしていた話題も元に戻される。

「はあ、そうですか」
「む…、なにその反応!もしかしてぼくの言ってること信じてない?」
「いえ、そんなことはないですけど」
「じゃあ、嬉しい?」
「まあ、人に好かれて嫌がる人は少ないと思いますよ」

一般論ではあるけれど、私だってその例に漏れるというわけではない。好意を示されれば、少なからず良い気分にはなるものだ。
ただ、私の場合はそれを受け入れることが出来ないというだけで。彼が私の愛する人の兄弟でさえなければ、私だってその言葉に笑顔で返すことが出来ただろうに。

「名前も?」
「いえ、私は別に」

そんなことを考えながら口を開いたら、自分でもそっけなさすぎると思うぐらい冷たい声が出た。それに一瞬だけ傷ついた顔をした彼に、良心がちくりと痛む。
私のそんな感傷に気づいているのかいないのか、彼はすぐさまぱっと表情を変え、私に詰め寄った。

「なんで!?ここは嬉しいですっていうところだよ!!」
「でも、事実ですから」
「名前そっけない!ぼく、いま、すっごい傷ついたんだからね!」
「…それは、すみませんでした」

痛い所をつかれて、自然と申し訳なさそうな声がでる。
彼はそれに少しだけ笑みを深くして、俯いてしまった私の顔を覗き込んだ。

「じゃあさ、ちょっとでも悪いなって思ってるなら、ぼくのお願い、聞いて?」
「お願い、ですか?」
「うん。あのね、冗談で良いから、ぼくのこと、好きって言って?」
「一度で良いから!ね、お願い!」と可愛らしく小首を傾げて、上目遣いで私を見つめる。
あからさまにあざとさを隠そうともしないその姿も、見る人が見れば可愛らしく映るのだろう、きっと。生憎ながら、私にその感性は理解することができないけれど。
なにせ弱みに付け込むような言動をしているのは彼の方なのだから。
伏せていた視線をそっと上げると想像以上に真剣に私の目をじっと見ている彼に気づいて、その迫力に気圧され私から視線を逸らした。彼の顔を直視できないまま、私は口を開く。

「すみません、やっぱりそれは言えないです」
「もう!なんで言ってくれないの!?」
「だって私が愛してるのはクダリさんだけで、決してあなたではないですから」

そう告げると真白い装束に身を包みまるで弟のように振る舞っていた彼は、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
どんなに偽っても彼は彼でしかありえないのに。それでも彼は飽きることなく、明日もまた、クダリさんの真似をして私の元へ訪れるのだろう。
ああ、クダリさんに会いたい。



(目隠しの世界)



それは、本当に突然の出来事でございました。
夜遅くに、わたくしの元へと届けられた一方は、弟とその恋人が自動車に撥ねられ病院に搬送されたという衝撃的なものでした。
直ぐさま病院へと駆けつけたわたくしを迎えたのは点灯した真っ赤なランプ。
その下でわたくしを待っていらしたジョーイさまに詳しくお話を窺ったところ、二人は、たまたま普段とは違うルートで帰宅しており、信号待ちをしていたときに暴走してきた自動車にぶつかられたということでした。しかも運がわるいことに、後ろが壁だったために逃げ場がなく、通常よりも重症になってしまったというのです。
もし、二人がいつもと同じルートで帰宅していたら。もし、その信号に引っかからなければ。もし、後ろが壁でさえなければ。
そんな『もし』をいくら並べたとしても、現実は変わりません。しかし、考えずにはいられないのです。
偶然が幾重にも重なりあったとしか思えないこの悪夢を、運命とでも呼ぶのでしょうか。もしそうだとするのなら、わたくしは、その運命を一生恨むことでしょう。
わたくしはこの事故により、血を分けた弟を喪い、同時にひそかに慕っていた女性をも、失ってしまったのですから。
クダリの死を告げたとき、名前様は取り乱すこともなければ一滴の涙も流すことはありませんでした。
ただ淡々と「そうですか」とだけ答え、あとはずっと何も言わず外を眺めていらっしゃいました。
思えばその時、わたくしはその異変に気づくべきだったのです。あれほどまでにクダリのことを愛していらっしゃった名前様の、その反応に。
事故の後遺症でベッドから動くことのできない名前様は葬儀には参加できませんでした。ですからわたくしは、クダリの遺骨と遺影を、名前様にお見せするために一度病室へと寄ることにいたしました。
わたくしの訪問に驚いた様子だった名前様は、わたくしの持ってきたそれらを見て、きょとん、と目を丸くなさっておりました。
わたくしがクダリのものだと告げると、困ったように首を傾げ、「…何を言ってるんですか?」と一言仰ったのです。

「そんな、お葬式だなんて…、こんなものまで用意して。ノボリさん、冗談にしてもちょっと性質が悪すぎますよ」

顰め面でそう零す名前様を見て、わたくしは初めて、名前様の中で『クダリが死んだ』というその事実が無かったことにされていると気づきました。
わたくしや、お医者様方がどれほど懇切丁寧に説明しても名前様はそれを認めようとはいたしませんでした。
ただひたすら、クダリは仕事が忙しくて来られないのだと、そう言い張りました。そして、夜毎昼毎、クダリに会いたいと、寂しいと、涙を零すのです。
わたくしは、心を病むほどに名前様に愛されているクダリを心底羨ましいと思いました。
それと同時に、このままでは名前様が、壊れて、クダリと同じように居なくなってしなうのではないかと、恐怖を覚えるようになりました。
これ以上、大切な人を喪いたくはない。どうすればいいのか、それだけを考え続け、わたくしが最後に至ったのは、わたくしがクダリになれば良いという答えでした。
名前様の前だけでも、クダリに、成り済ませばいい。幸いにもわたくしたちは一卵性双生児、態度や口調にさえ気を付ければ、成り替わることは容易。
それが空しい行為だと知ってはいても、わたくしは、名前様の悲しみを癒してさしあげたかった。ひと時だけであっても、わたくしを必要として欲しかった。
嗚呼、しかし、やはり、名前様はそんなわたくしの魂胆など、お見通しなのです。
何から何まで瓜二つなわたくしたちを見抜く、それは愛の為せる技なのか。
見破られるとしっているこの行為を続けることが、どれほど愚かしく滑稽なのかはわたくしも重々承知しております。
それでも、わたくしが部屋を訪れたときに、名前様が一瞬だけ見せる安堵したような表情に、わたくしのこの愚行も救われるような気がして。
わたくしはきっと、これからも道化を演じ続けるのでしょう。