ライブキャスターを前にひとまず深呼吸。あとは通話ボタンを押せば、電波は可愛い名前の元へ、ジョウトとカントー間を結ぶというリニアモーターカーよりも早く飛んでいくのだ。
イメージトレーニングは既に完璧。
問題があるとすれば、それはこちらの予想を超える名前の言動だったり、もしくはこんなときだけ上手く回らない自分の舌だったり、はたまたなぜかタイミング良く(いや悪く?)乱入してくる妹の存在だったり、こうして数え上げてみると思いの他多い。
しかし妹がお風呂に入っている今なら、少なくとも最後の問題だけはクリアーしている。いまがひとつのチャンスであることは言うまでもなく、だからこそこうしてライブキャスターを前にして緊張のひと時を強いられているのだが、どうしても最後の一歩が踏み出せない。

「なにを緊張することがあるのですノボリ、たかだかボタンをひとつ押すではありませんか!」

自分に言い聞かせるように、独り言にしては少々大きすぎる声でそう口に出してみても、空しく響くだけだ。
そうこうしている間にも時間は無情にも過ぎていく。がたがた、とバスルームが騒がしくなって、クダリはもうすぐ出てくるだろう。
もう今しかないと反射的にボタンを押してしまって、数コールの後画面に映った名前の顔に身体が跳ねた。

「もしもし、ノボリ?どうしたの?」
「あ、あああああのっ、以前名前が見たいと仰っていた映画のチケットを手に入れたのですが、名前さえよければ、その、わたくしと一緒に、見に行、」
「ほんとに!?行く行く!」

ノボリが言い終わるのを遮って、話に食いついてきた予想通りの名前の様子に安堵の息を吐く。

「わたくし次の日曜日に休みをいただけそうなのですが、名前は大丈夫ですか?」
「うん、私もその日は空いてる!」
「それはよかった。では、今日は遅いですし、詳しい時間などはまた後ほどメールいたします」
「分かった、待ってるね!それじゃお休み!」
「ええ、お休みなさいまし」

眩しいほどの笑顔を残し、ブツッと切れた通信。
たった数分の通話時間でさえも、その顔を見れたこと、その声を聴けたことに幸せを感じるのだからもうどうしようもない。

「出たよー…って、ノボリなに一人でにやにやしてるの」

お風呂から上がったクダリから白い目で見られたことも全く気にならなかった。


見に行ったのは話題の俳優で売っているような、言ってしまえばありがちな恋愛映画で、ノボリだけならば決して見ることはなかっただろう。
ただ一言、名前が「これ見てみたいんだよね」と零したから、わざわざチケットを二人分手に入れて、少々無理をして休日の休みも取って、けれどそんな苦労も名前が笑ってくれればそれだけで満足できる。
映画の後で一息つこうとカフェに入り、話題に上るのは勿論今の今まで見ていた映画の話。

「私もあんな素敵な恋愛がしたい!」

注文したコーヒーセットが届くなり開口一番名前はそう口にした。映画を思い返し、ほう、と息を吐くその瞳はまさしく夢見る少女のそれだ。

「名前ならばあの映画にも負けぬ素敵な恋愛が出来ますでしょうに」
「そもそも相手が居ないんだもの」

うって変わって、むっと口を尖らしコーヒーを啜った名前は憮然とした顔でそう返す。ころころと変わるその表情が面白くてノボリが笑いを漏らすと、小さく睨まれた。

「ノボリこそ、人気あるのに全然そういう噂聞かないよね?誰か気になる人とかいないの?」

気になる人と尋ねられれば浮かぶのは勿論、目前に座っている名前のみ。けれどそれを本人に言うわけにもいかず、ノボリは曖昧に言葉を濁した。

「いえ、わたくしは…今は仕事が充実しておりますので」
「もー、そんなこと言って気づいたら私が知らないうちにすっごい素敵な彼氏が出来てるとかそういうパターンなんでしょー!」

ノボリみたいな綺麗な人周りが放っておくわけないって私は知ってるんだからね!と詰め寄られ、余程自分の方がそれを言いたいとノボリは内心で声を上げる。
抑々男など興味がないためにアプローチなどもさらりと流しているノボリと違い、名前はいつか彼氏を作ってしまうだろう。そうすれば、ただの友達どまりの自分など見向きもしなくなるだろうと、そんな未来を想像しては一人不安に駆られているというのに。
そんなノボリの心情など与り知らぬ名前は未だ拗ねたように頬杖をついていて、ノボリは慌ててフォローを入れた。

「まさかそんな、断言いたしますがわたくしが名前に内緒で彼氏を作るなどと、そのようなことありえません!」
「む、それほんと?」
「ええ。それに、わたくしは男性と一緒にいるよりも名前とこうしてゆっくり話をしている方が何倍も楽しいですし」
「あー、まあね。私もまだまだそんな感じかな」

うんうん、と頷いて、セットについていたケーキをつつく名前の姿を見て、どうやら機嫌は治ったようだと、安心してノボリは自らも運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
その様子を眺めていた名前が、ふと思いついたように口を開いた。

「ね、もしノボリに彼氏ができちゃったとしてもたまにはこんな風に私と遊んだりしてよ?」
「それは勿論でございます!というよりも、むしろわたくしとしては、名前の方が彼氏が出来たらわたくしなど忘れてしまうのではと…心配で気が気ではありません」
「やっだ、そんなわけないじゃん!ノボリは大事な友達だもん、彼氏が出来ようがなにしようが、ノボリのこと忘れたりしないよ!」

ノボリからすれば心底深刻な悩みだったが、それをけらけらと笑い飛ばし、軽い調子で名前はそれを否定する。
その言葉が今は本心であったとしても、将来どうなるかはわからない。ただ、それが、嘘にならなければ良いとノボリは心からそう願った。



(綺麗すぎるものは時に優しく嘘をつく)