ピピピピッ!と耳元でけたたましく鳴る目覚まし時計を手探りで探し当て、スイッチを切った。とたんに静かになった室内で、もそもそと布団から這い出す。
時間を確認すればいつもの起床時間で、キッチンからは朝ごはんの良い匂い。
くあ、と欠伸を漏らして、空腹を刺激する匂いにつられるように眠い目を擦りながらキッチンに入ると、エプロンをつけて朝ごはんの準備をしてくれているノボリ兄さんの背中に挨拶をした。

「おはよー、ノボリにい、さ、………ん?」

くるり、振り返ったノボリ兄さんの姿に激しい違和感。あれ、私の気のせいだろうか。エプロンに隠されてはいるものの、ノボリ兄さんに胸があるみたいに、なんかうっすら胸元が膨らんで見えるんだけど……えっ?

「ああ、起きたのですね。申し訳ありませんがクダリを起こしてきていただけますか」
「え、あ、うん…わかった」

あまりにも普段通りのノボリ兄さんに促され、いまだ状況を飲み込めないままクダリ兄さんの部屋へと向かう。
ぺたぺたと冷たいフローリングを歩くうちに頭も段々醒めてきて、あれは寝ぼけて幻覚でも見たんだろうと冷静になってきたあたりで目的地に到着した。
とりあえず無駄だとわかっていてもノックを一つ。

「クダリにいさーん。起きてー」

1呼吸置いて、反応を見る。勿論何も返ってこないことは承知済みで、私は「入るよー」とだけいうと遠慮なくドアを開けた。
ずかずかと室内に踏み入り、カーテンを全開にする。
「起きて―!」と私は情け容赦なくクダリ兄さんの布団をべりりと剥ぎ取って、

「…え、」

そこに見えたものに、絶句するしかなかった。

「んー…もう朝?……むにゃ」

あともう5分ー、なんてことをもごもごと呟いて寝返りをうったクダリ兄さんの、豪快に肌蹴たシャツから覗く豊満な膨らみに視線が釘付けになる。
ちょっと待ってよ昨日までそんなものなかったじゃない、普通の胸板がそこにあるだけだったじゃない、なにがおきてるのさっぱり理解できないよ兄さん!
想定外の事態にぐるぐると頭が混乱する。
どう反応していいのかわからず固まってしまった私の前で、ゆっくりと起き上がったクダリ兄さんは私を見てへらりと笑うと「おはよー」と言ってぎゅうっと私を抱きしめて、その、少な目に見積もってもEはあろうかという胸が私の顔に押し付けられて。
もういろいろとパニックになってしまった結果、私に出来たのはとてもシンプルな行動だけだった。

「ぎゃああああああああ!!」
「えぇ!?」
「ど、どうしたのですか!?」

突然叫びだした私に、クダリ兄さんが驚いてぱっと身体を離す。
キッチンの方からバタバタと騒がしい足音が聞こえて、部屋に顔を出したノボリ兄さんの胸にも、やっぱり、クダリ兄さんよりは控えめなそれがあった(見間違いじゃなかったんだ…!)。

「クダリ、あなた何をしたんですか!」
「な、なにもしてない!ただぎゅってして朝の挨拶しただけ!」
「何もしてなければなぜ悲鳴があがるのです!」
「ほんとのほんと!何もしてない!ね、ぼく何もしてないよね、っていうかどうしたの名前!?」

ノボリ兄さんに責められて、わたわたと慌てたクダリ兄さんに顔を覗き込まれ、真正面から直視したその顔の造りが女らしくなっていることに気づいて更に驚愕する。

「それは私のセリフよ!に、兄さんたちこそどうしたのその胸!?」
「「へ?」」

まさしくぽかーん、という擬音が相応しい表情で、兄さんたちは互いに目を見合わせた。

「兄さん…?何を言っているのですか、名前」
「もしかして名前…まだ寝ぼけてる?」
「寝ぼけてない!だ、だって兄さんたちは兄さんたちだったじゃない!なのになんか今日起きたら胸があるし!もう、本当に、意味が分からないんだけど!!」

支離滅裂かつ意味不明なことを喋っている自覚はあっても、この状況を簡潔に説明できる言葉なんてもの、残念な私の頭では考え付くはずもなく。
朝から近所迷惑なんじゃないかという勢いで喚く私に困った顔をしつつも、二人は私を宥め始める。

「少し落ち着いてくださいまし」
「そうそう。ゆーっくり、深呼吸して?」

言われるがままに、深呼吸を数回繰り返した。
すう、はあ、と呼吸を重ねるごとに、少しずつ冷静になっていく。けれど私が冷静になったとしても、目の前の疑問が解消されるわけじゃない。

「大丈夫?落ち着いた?」
「…う、ん」
「それで、一体どうしたのですか?」

促されて、私は少なくとも昨晩まで私には双子の兄しかいなくて、兄さんたちはきちんと男だったことを話した。
黙ってそれを聞いていた二人は、やっぱり困ったように眉を下げたままで、こんな荒唐無稽な話俄かには信じられないんだろう。私だって信じられないし、いきなりこんなこと言い出されたら相手に頭の病院に罹ることを勧めるだろう。
それでも、しっかり最後まで話を聞いてくれた二人は私の知っている兄さん達の面影も残していて、性別は違っていても二人は私の家族なんだと、そんな些細な事に妙に安心してしまう。

「んー…でもぼくたち生まれたときからずっと女の子だよ?」

ねえノボリ、とクダリ兄さん(この場合は姉さんと呼ぶべきなのかもしれないけれど、しっくりこないのでやめた)がノボリ兄さんの方を振り返り、ノボリ兄さんもそれに頷いた。

「…夢でも見ていたのではありませんか?それがあまりに現実的だったために、少し混乱している…とは考えられないでしょうか」
「でも私小さいころのこともちゃんと覚えてるよ?一日で10数年分の夢を見たっていうの?」

難しい顔をして考え込んでしまった姉さんたちには悪いけれど、私は自分の中でずっと引っかかっていたことを聞いた。

「ねえほんとにただの悪戯とかじゃないよね?私としてはそっちの方が現実的なんだけど」

超自然的な事象が起きたと考えるより、よほどこう考えた方が自然で、更に言えば悪戯好きなクダリ兄さんならやりかねない…と思ってしまうレベルの話だ。疑惑に満ちた私の言葉に、クダリ兄さんがぱっと顔を上げる。

「あ!だったら触ってみる?」
「何を馬鹿なことを。冗談にしても笑えませんよ、クダリ」
「だって触ったら本物って分かる!」

こともなげにそう言い放ったクダリ兄さんが、私の両手首をがしりと掴んだ。

「え、いやいやいやいらない!そんな証明しなくていい!!」

何が楽しくて兄の胸(仮)を触らなければならないのか!そう思って全力で拒否する私に、遠慮しなくていいよーなんてクダリ兄さんは見当違いなセリフを吐いている。
助けて、ノボリ兄さん!そんな意思を込めてノボリ兄さんの方を見れば、「成程…一理ありますね」なんて納得していて更に絶望的な気分になった(さっき馬鹿なことをとか言ってたくせに!)

「いい!ほんとにいらないから!!」

抵抗むなしくぐぐぐ、とクダリ兄さんの胸へと私の手が近づいていく。そしてとうとう、ふに、と指先にやわらかい感触が微かに触れて、私は大声で怒鳴った。


「――っだからいらないってば!」

そこで、目が覚めた。ガバッと起き上がってみれば、私は自分の部屋のベッドの上に居て、ピピピピッ!という目覚ましの音が部屋中に響き渡っている。
とりあえずそれを止めてから、数秒考えたあと私はベッドを飛び出した。

「ノボリ兄さんっ!」
「おや、おはようございま、」
バタバタとキッチンに向かい、その背中に挨拶する。
驚いた顔で振り返ったノボリ兄さんが挨拶を終わらせる前に、こうそくいどうでもしたのかという勢いで近づいて、その胸に両手を伸ばした。ぺたり、触れたそこは固い。

「…ない」
「ど、どうしたのですか、名前」
「…良かったぁ…!」

あれは夢だったんだ、本当に良かった…!
困惑しているノボリ兄さんは無視して、安堵の溜息を吐く。ぺたぺたと何度も固い胸板を確認していると、横から更に困惑気味の声がかけられた。

「…えっと、……二人とも何してるの?」

珍しく自力で起きだしてきたらしいクダリ兄さんが、私達をみて何とも形容しがたい表情をしている。当たり前だけれど、その胸部に膨らみなんてものは存在していない!

「あ、あー…ぼく、もしかしてお邪魔虫?」
「ちっ、違います!何を言っているのですかクダリ!!」
「だって朝からなんかやってるし」
「これはわたくしではなく名前が…!というか、名前も何か言ってくださいまし!」

いきなり話を振られてしまった。どうしよう…兄さんたちが話していた知っているけれど、全く話を聞いていなかった。
何か、と言われたから何でもいいんだろう。そう判断して、私は今心の底から思っていることをそのまま口にした。

「兄さんたちが男で本当に良かった」
「………ノボリ、何したの」
「な、何もしておりません!」

ああ、夢の中でもこんなのみたなぁ…立場は逆だったけど。ぎゃいぎゃいと騒ぐ兄さんたちを眺めながら、どこか懐かしい光景に笑いが漏れた。



(或る騒がしい朝の話)