何の滞りもなく最終トレインが運行を終え、あとはもう日報を書いてしまえば一日の業務も完了となりました。
いつもならばこのような事務作業が滅法苦手なクダリが「書類かくのやだ」だの「ノボリ代わりに書いて」だのといった戯言をぐちぐちと呟きながら日報を仕上げるまで監視するのがわたくしの仕事なのですが、今日はそんなクダリが何一つ愚痴を吐くことなく脅威のスピードで日報を書き終え「ノボリ、ぼく先に帰るね!ばいばい!」というが早いかわたくしの返事も聞かず走り去ってしまいました。そのときわたくしの勘が告げたのです、これは何かあると。
褒められた行為ではないとわかってはおりましたが、わたくしどうしても気になってしまい、こっそりとクダリの後を尾行することにいたしました。
帰るねと言ったわりに、クダリが向かったのは自宅とは正反対の方向。まるで時間に追われているかのように、早足いえむしろ小走りで急ぐ先は、規模としてはR9には劣りますが、ここライモンの中でも一番大きなショッピングモール。
中へ入るとすぐに、きょろきょろとあたりを見回すクダリ。どなたかと待ち合わせでもしているのでしょう。
どちらさまかは存じませんが、もしクダリが逢引をされているのであれば、それを出歯亀する趣味などございません。
馬鹿なことをしてしまったと反省し、家に帰ろうとしたその時でございます、クダリのほうへ走り寄ってきた人物に、わたくしは我が目を疑いました。
なぜならそれは、わたくしの愛する名前様だったのです。
愛すると言っても、決してわたくしの独りよがりな恋情ではございません。
つい先日のことではありますが、わたくしは名前様へ思いを告げ、名前様もそれに応えてくださいました。つまりわたくしたちは、晴れて恋人同士となったのです。
それがどうしたことでしょう。なぜ名前様がクダリと一緒に居るのでしょうか。
わけもわからず混乱するわたくしを置いて、二人は仲睦まじい様子で歩き出します。わたくしもそれにつられるように、ふらふらと二人の後を追いました。
服飾店を見て回り、雑貨屋では小物を手に取って何事かを話し合う。
それが通常状態であるクダリはともかくとして、名前様も終始それはそれは楽しそうな笑顔を見せておられます。
まだ長い時間を共に過ごしたわけではございませんが、今まで名前様がわたくしにそのような笑顔をおみせになったことがあったでしょうか。
記憶を掘り返してみてもわたくしには一向に思い出せませんでした。
にこにこと笑いあいながら、ショッピングを楽しむ二人はわたくしから見てもデートを楽しむお似合いの二人に見えました。
いいえ、わたくしが知らなかっただけで、今日のこれは二人にとってはデートなのでしょう。ただわたくしが愚かだっただけのこと、至極簡単な話でございます。
今日は真実が知れてよかった。あのとき、自分の勘を信じてよかったと心の底から思いました。
足元ががらがらと崩れていくような感覚を覚えながら、わたくしは今度こそその場を後にいたしました。これ以上、あの二人を見ていることができなかったのでございます。
しかしながら、夜道を一人とぼとぼと歩いているうちにわたくしの胸の内にふつふつと湧き立ってきたものは、紛れもなく怒り、憎しみ、そういった感情でございました。
それは何も知らず名前様の恋人になれたことに浮足立っていたわたくし自身に対する怒りであり、わたくしを騙していた名前様に対する憎しみでもありました。
騙す、自分で言って初めてその事実が深くわたくしの心を抉ります。そう、わたくしは騙されていたのです。こんなにも深く純粋にあなたのことを愛していたわたくしを、名前様、あなたは内心で馬鹿な男だと嘲っていたのでございましょう。
これほど許しがたい罪が他にあるでしょうか。愛というこの世で最も尊い感情を、あなたさまは弄んだのでございます。
罪を犯したというのであれば、罰を与えなければなりません。他の誰でもない、このわたくしが。
自慢ではありませんがわたくし、こうと思い立ってからの行動は大変早いと自負しております。
すぐさま、以前教えていただいた名前様のご自宅へと向かい、物陰へ姿を隠しました。
正直わたくし、今日ほど自分の服のセンスに感謝したことはございません。わたくしのトレードカラーともいえる黒い服は、わたくしの姿を周囲に溶け込ませてくれました。
クダリのように白い服でしたら、こうはいかなかったでしょう。
闇夜に紛れ、息を殺すこと数10分。
何も知らずに帰ってきた名前様は上機嫌なご様子で、またしてもわたくしは腸が煮えくり返るかのような怒りを覚えました。可愛さあまって憎さ百倍とはまさしくこのことでございましょう。
今となってはどうして自分がこの方に惹かれていたのか、それすらも分かりませんでした。
玄関の鍵を開けるため手元に意識が向いている名前様の背後へ忍び寄り、「名前様」と声をかけると振り返った彼女の目は面白いほどに開かれておりました。

「え、ノボリさん…?」

ぐいっとその腕を引きその勢いのまま地面に押し倒しました。
そのまま馬乗りになり、その細い首へわたくしの両手をかけるとようやく状況を理解したのか、名前様がばたばたと暴れ始めます。
ここで騒ぎになるのは、わたくしとしても困りますので、わたくしは彼女が叫び声も挙げられないほどにぐっと両手に体重をかけ力を込めました。
歪んだ表情でもがく彼女の姿に、背中にぞくぞくした快感が走りました。
苦しいでしょう?けれどわたくしは、あなたとクダリの姿を見たときあなたのそれより何倍も何十倍も苦しかったのですよ。ご理解いただけますか、名前様。
それは数秒だったのか、はたまた数分だったのか、時間の感覚が曖昧になっていたわたくしには判断することができませんが、やがて、彼女の動きは緩慢になっていき、完全に動かなくなりました。
しかし念には念をいれ、その後も暫くそのままでいましたが、そろそろ良いだろうと判断し、彼女の上からどいた時にはすでに彼女は事切れておりました。
目的は果たし終わりましたが、この死体をそのままにしておくわけにはいきません。
とりあえず、家の中に隠しておくことにして、処分方法についてはおいおい考えることにいたしましょう。
一仕事終えた充実感に包まれながら彼女の家を後にしようとしたわたくしは、ここへ来た時にはなかったものに気が付き、足を止めました。
なにかの拍子に零れ落ちたのか、可愛らしくラッピングをされた箱が地面に落ちておりました。
わたくしが居なくなってからクダリにでもプレゼントされたのでしょうか。そしてそれを、彼女は笑顔で受け取ったのでしょう。ああ憎らしい。
わたくしはそれに向かって何度も足を踏み下ろしました。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
ついつい夢中になってしまい、気が付いた時にはわたくしの足の下には土に塗れた汚らしい物体しか残っておりませんでした。ざまぁみろ、でございます。

「シャンデラ、オーバーヒート」

モンスターボールから出てきたシャンデラは、命令通りそれを跡形もなく燃やし尽くしてくれました。
これでなにもかもきれいさっぱり、わたくしの心もいっそ清々しいほどに澄みわたっております。
このように晴れ晴れしい気分もいつぶりでしょうか。わたくしの柄ではありませんが鼻歌でも歌いたいような気分で、わたくしは自宅へ歩き出しました。


翌日、ギアステーションへと赴いたわたくしを迎えたのは、普段から無駄に吊り上った口を更に吊り上らせたクダリでございました。

「ノボリ!ねえねえ今日名前と会うんでしょ?ぼく昨日みたいに仕事頑張るからノボリ先帰ってもいいんだよ?」
「落ち着いてくださいましクダリ、いったい何を仰っているのですか?」
「…あれ、ノボリ昨日名前から連絡きてない?」

昨日、言われてあの光景が脳裏にフラッシュバックいたしました。

「昨日…、でございますか。いいえ、何もありませんでしたが」
「えー、それっておかしい。変」
「なぜでございますか?」
「だってぼく、昨日名前と会ってた」

ああ、そういえばそうでございました。
名前様のことしか頭にありませんでしたのでわたくしすっかり忘れておりましたが、名前様とわたくしのことを知っていながら名前様とお会いしていたクダリもまた同罪でございます。
とはいえ、クダリは名前様よりよほど手ごわい相手。どのように罪を思い知らせてやろうかと思案しているわたくしの耳に、信じがたい言葉が飛び込んでまいりました。

「あのね、名前、いつも仕事頑張ってるノボリになにかプレゼントしたいっていうから、昨日ぼくが付き合って一緒に選んだ。今日渡すから、帰ったらすぐ連絡してあう約束するって言ってたのに、連絡きてないのおかしい」

クダリはいったいなにを言っているのでしょう。プレゼント。昨日わたくしが踏みつぶしたあの箱。あれは、わたくしに…?
一気に体中の血がざあっと下へと落ちていきました。足元がぐらぐらと揺れております。いえ、これはわたくしが揺れているのかもしれません。わかりません。もうなにも考えたくありません。

「名前、渡すのすっごく楽しみにしてたから忘れるわけない。……もしかしたら、なにかあったのかも。ノボリ、名前に連絡して……って、ノボリ?聞いてる?」

いつのまにか目の前に名前様が立っておりました。
濁った眼で、わたくしをじっと見つめて、ああ、首に残るあの跡はわたくしがあの時――あ、ああぁぁああああああああああああああぁあぁぁあああああああぁあああああ!!



(純粋すぎた感情の末路)