「…どうしよう」

目の前に高く高くそびえる土の壁を見つめて、綾部喜八郎はぼそりと呟いた。
自分の身長をゆうに超える深い穴。
上級生ならば簡単に出られるのだろうけど最近入学してきたばかりの喜八郎には正直難しい。
次の授業に向かうため急いでいたとはいえ、
忍術学園にはいたるところに罠がかけられているということをすっかり忘れていた自分に呆れるほかなかった。
いつまでここに居ればいいんだろう。
もうすぐ始業の鐘も鳴ってしまうのに、もし誰も気付いてくれなかったらずっとこの中から出られないんだろうか。
じめじめした穴の中にいるとそんな不吉な考えばかり浮かんできて、次第に不安になってくる。
じわりと目頭に浮かんだ涙をぬぐって、どうにか上れないかと無駄だと分かっていても土の壁に手をかけたとき、

「やば…、誰かかかってる!?」

という声が頭上から聞こえた。

「って、1年生じゃん。大丈夫ー!?」

ひょっこりと顔を出したのは桃色の忍装束に身を包んだ、一人のくのたまだった。

「ちょっと待っててね、今縄梯子降ろすからー」

そう言って一度顔が引っ込み、代わりに縄梯子が降りてくる。
それを使ってようやく外に出れば太陽の光が目に眩しかった。

「本当にごめんね。目印置くのすっかり忘れてて」

明るいところに出て見ると、顔の前で両手を合わせて頭を下げているくのたまの顔は見知っているもので、
喜八郎自身に面識は無いけれど、3年や2年のにんたまとよく一緒にいる珍しいくのたまだと記憶していた。

「大丈夫? まさか、怪我とかして…?」
「いえ、大丈夫です」
「ほんと? …まぁ見たところ怪我は無いみたいだけど……」

上から下まで、喜八郎の身体を見回してからくのたまはにこりと笑う。

「私は苗字名前、くの一教室の5年生。貴方は?」
「…1年い組、綾部喜八郎です」
「そう、喜八郎君ね。よろしく」

差し出された手を握り返すと、笑顔はより優しいものに変わって、
先輩達がこの人といつも一緒にいる理由をなんとなく知った喜八郎だった。



(この笑顔を見るために)



「先輩、これ、落とし穴ですか?」
「違うよー。一人用の塹壕。実習の一環で掘ったの」
「塹壕?」
「そ、いわゆる蛸壺ってやつね。…まぁ、落とし穴みたいなもんだけど」
「へぇ……」

(そしてこれがきっかけなわけで)