「名前、ストップ!」
「はい?」

仕事も終わり、帰ろうとした私を呼び止めた声に反射的に振り向いて、すぐにそれを後悔した。
いつものようにニコニコ…いやむしろニタニタとしか形容しようのないクダリさんの表情に嫌な予感が駆け巡る。

「すみませんクダリさん大変申し訳ないんですけど私早急に帰らなければならない用事を思い出したのでお先に失礼させていただきますお疲れ様でした」
「お待ちくださいまし、名前様」

反論の間も与えないように一息で言い切って、踵を返そうとした私の肩を、後ろからノボリさんに掴まれた。
どうやらクダリさんが私を呼び止める隙に、私の背後へと回り込んでいたらしい。
なんなんだこの双子の無駄なコンビネーション。バトルのときには頼もしいが、日常にまで持ち込まないでほしい。
とはいえ、こうなってしまっては振り払って逃げることもできず、私は背後のノボリさんを見上げた。

「あの、ノボリさん。さっきも言った通り私今すぐ帰りたいんですけど今日は毎週見てるドラマがあるんですよ」
「はい、存じております。大丈夫です、お時間は取らせません」
「そうそう!名前が素直になってくれればすぐ終わる!」
「なんですかその不穏な発言は」

近づいてきたクダリさんから発せられた言葉に更に不安が募る。この人たち絶対ろくでもないことしようとしてるぞこれ。
どうにかこの場から逃げる算段を立て始めた私を宥めるように、ノボリさんは本人に出せるであろう最大限の優しい声をだした。

「どうかそのように警戒しないでくださいまし」
「僕たち、名前にプレゼント渡したいだけ」
「プレゼント、ですか?」
「ええ、毎日仕事へ励む名前様へ、わたくし達からささやかな贈り物でございます」

そう言ってノボリさんが差し出したのは、ラッピングされた黒い箱。クダリさんも、ポケットから白い箱を取り出す。

「こちら、きんのたまでございます」
「え、それって5千円で売れるあれですか」
「うん!そのきんのたま!」

ついでにマニアの人だともっと高く買ってくれるよ!というお得情報を頭の片隅にしっかりおさめながら、私は目の前の黒と白の箱を見つめる。
普通に売っても1つ5千円だから、2つで1万円…だと!?
給料日前には常にカツカツの生活を強いられている立場からすれば、1万円の収入は大きい。けれど、手放しで受け取るにはあまりにも怪しすぎる。
そもそも、社会人として上司からなんでもない日にそんな高価なプレゼントを受け取るわけにはいかないだろう常識的に考えて。

「あー、いやその、お気持ちはありがたいんですけど、そんな高価なものをいただくわけにはいかないので」
「そんな、遠慮などされずともよろしいのですよ」
「だって名前、給料日前はいっつももやしばっかり食べてる。そんな食生活だと身体壊しちゃいそうでぼくすごく心配」
「まぁ、確かに給料日前は基本もやし料理ですけど……ってなんでクダリさんがそんなこと知ってるんですか」
「それは内緒!」

えへっ、と可愛らしくクダリさんは笑ってみせるけど、そんな笑顔でごまかされれるわけにはいかない。
なおもクダリさんを問い詰めようとした私に向かって、ノボリさんがごほんと咳ばらいした。

「クダリの発言に関してはこの際置いておくとして、」
「いやいや置いておくわけにはいかないでしょうこれストーカーですよ」
「とにかく!このきんのたまをどうか受け取ってください。これは上司命令です」
「職権乱用!」

あまりにも強引すぎるその言葉に、開いた口がふさがらない。
しかし悲しいかな、私はただの受付嬢で、対する2人はサブウェイマスター。どこまでいっても私の地位は彼らより下で、結局その命令には従うしかないのである。

「…じゃあ、えっと、有難くいただきますね…?」
「ちょっと待って名前」
「今度はなんなんですか…」

2人から箱を受け取ろうとするとなぜか箱をひっこめられて、行き場をなくした手が彷徨う。
この人たちはいったいなにがしたいのだろうか。考えてみても一般人の私に、あらゆる意味で普通ではないこの双子の考えなんて分かるわけもなく。

「あのね、名前。ぼくたちこれあげるっていったけど、でもタダであげるわけじゃない」
「はぁ?」
「ええ、ひとつだけ、名前様にお願いがあります」
「お願い、ですか」

始めに聞いた、不穏な発言を思い出す。

「大丈夫、難しいことじゃないから!」
「名前様、このきんのたまが欲しければわたくしたちにおねだりしてくださいまし。わたくしとクダリのきんのたまをください、と」
「なっ…!?」

な ん て や つ ら だ !
今までの長いふりは結局これが言わせたかっただけかこの変態上司!と、思わず叫びそうになった台詞を飲み込む。
顔を真っ赤にさせた私をよそに、クダリさんはあのニヤニヤ笑いだし、ノボリさんもいつもの仏頂面に徹し切れていない。

「ちなみに言わなかったら減給する!」
「またしても職権乱用!?」

もう嫌だこんな上司。そうは思うもののこの状況、確実に言わないと帰してもらえない流れであり、助けを求めようにも今までのやり取りの間に他の従業員はあらかた帰ってしまったようで、誰も通りかからない。

「う、あ…」
「早く!」
「さあ、どうぞ名前様」

ぐいぐいと迫ってくる双子に気圧され、1歩後ずさる。整った顔が近くにあるというだけで緊張するのに、それが2倍となるとかなりの迫力だ。
パッと、右手をノボリさんに、左手をクダリさんに掴まれて身動きすら満足に取れない。
このままにしておけば、何をされるかわからない。今後起こりうる事態と、一時の恥ずかしさを天秤にかけた結果がどうなるか、そんなの言うまでもない。
意を決して、私は口を開いた。

「ノ…ノボリさんと、クダリさんの、きっ……きんの、たま、を、…ください……っ」
「っクダリ、録音は!?」
「勿論ばっちり!」
「はあああああ!?録音!?」

耳を疑うようなセリフの後に、クダリさんがポケットから取り出したのはボイスレコーダー。
慌ててそれを奪おうと手を伸ばしても、到底届かないような高さにひょいと挙げられてしまい、むなしくも空を切った。

「ちょ、何してるんですか!それ渡してください!」
「だめ!今日からこれエンドレスリピートでヘビロテする!」
「おはようからおやすみまで、いつでも名前様のおねだりを聞くことができるとは…!」
「う、うわあああ変態だ!」

上司の常軌を逸した変態っぷりを目の当たりにして、顔面を蒼白にさせる私。
けれどノボリさんもクダリさんも、今まで見たこともないような幸せそうな顔をしている。

「名前様、たいへんブラボーなセリフ、ありがとうございました。こちら、約束のきんのたまでございます」
「はい、ボクのも。ボクだと思って大事にしてね!」
「いや、もうきんのたまはいらないんで、そのボイスレコーダーを寄越せいや寄越してください」

私の言葉なんてまるで無視して、クダリさんがボイスレコーダーをまるで宝物でも扱うかのように慎重にポケットへなおした。

「それでは名前様、また明日」
「ばいばい、名前!」
「ちょ、待っ…!」

用は済んだとばかりに、止める間もなく2人はそろって出口の方へ歩き出す。
遠ざかる背中を茫然と見つめながらここを出たらすぐハローワークに駆け込もう、私は心の中で強く誓った。勿論ドラマには間に合わなかった。



(上司が変態すぎてついていけない)