「ただいま、名前」

花嫁探しの長い旅を終え久々に城へと帰ってきた兄の表情は暗く、その顔を見ただけで今回の旅の結果は察することができた。

「おかえりなさい、お兄様。誰か良い人は見つかりましたか?……って、聞くまでもないみたいですね」
「また駄目だったよ。…お前達はもう良いぞ、下がっていろ」

ひどく疲れた顔の従者達を下がらせて、兄はメイドの淹れた紅茶を一口含んだ。そして疲労の色が滲む溜息をひとつ。

「今回はずいぶんお疲れのようですけど、なにかあったのですか?」
「街で知り合った女性に付け回されてね…撒くのに苦労したよ」

「これだから、若くてそこそこ美しいだけの女性は駄目だ」と呟く兄に苦笑を返して、私はお茶菓子へ手を伸ばす。

「そんなことが…、それは大変でしたね。お兄様」
「本当にね。こっちは変わりは?」
「いいえ、何も。あまりにもお兄様の帰りが遅いので、お父様が嘆いていましたけど」
「それもいつものことだろう。何もないようで良かった」

自分のせいだというのに、父の苦悩はさらりと流して、兄もお茶菓子を取った。
サクサクとしたクッキーを美味しそうに頬張る兄の緊張感の無さに頭痛を覚えながら、私は父のために一応口を出しておく。

「そろそろ無駄な努力はやめて、お父様が決められた方とご一緒になったらいかがですか?」
「やめてくれ、考えるだけで気が滅入りそうだ」

うんざりだよ、とでも言いたげに首を振って、またひとつクッキーを口へと放り込む。
元々強く説得するつもりもなかったので、兄の態度は別に構わない。
ただ、個人的にどうしても許容できない部分だけは忠告することにした。

「とにかく、今度はもっと普通な方を連れて来て下さいね。私、お母様より年上の方とか私より年下の方をお義姉様なんて呼びたくないですよ」

そういいながら、今まで義姉候補となった様々な人たちを思い出す。
東西南北老若問わず、ありとあらゆる女性が兄のために集められ、そしてその誰もが兄の眼鏡に適うことなく城を去っていった。
一体この兄はどういう人を好きになるんだろうか。なんて、本人にすらわかっていないことを私が分かるわけもないのに、そんなことを考えてしまう。
ぼんやりとしていた私の意識を、兄の声がぐっと現実に引き戻した。

「そういうお前はどうなんだ?もう良い年齢だし、見合いの手紙もたくさん届いているだろうに」
「私はもう心に決めた方が居ますから。後はお父様に認めて頂くだけです」

そういうと、兄は少し考えてから、なにかに思い当った風に「あぁ」と頷いた。

「お前の部屋のアレのことかい?」
「アレだなんて…そんな呼び方をしないで下さい。いくらお兄様でも許しませんよ」
「それはすまなかったね。ただ、…『彼』は流石に父上が許してくれないと思うんだが」
「ですから、私はお兄様にいつも言っているでしょう。早く結婚して下さいって」

私の言葉を頭の中で咀嚼して、兄はむっとした表情で私を見る。

「それは、私が結婚すればお前への要求が減るから…と、そういうことでいいのか?」
「そう受け取っても構いません」
「全く…ここは、『私がなんとかするからお兄様は運命の人と幸せになってください!』というところだろうに」
「とはいっても、王位継承権はお兄様にありますし…。私も、これだけは譲れませんから。お兄様だってそうでしょう?」

きっぱりと言い切ると、兄も「まぁ…それもそうか」と納得してくれる。
ぷつりと会話が途切れた。けれど、それは決して嫌な空気ではない。
私はゆっくりとティーカップを傾けて、ふと、好きな人のことを頭に思い浮かべた。
滑らかな白磁の肌、光を受けて輝く硝子玉の瞳、やわらかな金糸の髪、話すことのない口、動くことのないその身体。私の部屋で、静かに私の帰りを待ち続ける美しい姿。
妹の私がこうなのだから、もしかしたら兄も普通の人を好きになることが出来ないのかもしれない。
だとしたら、兄の旅は本当に無意味なものだ。
どんな女性を探しても、求めているものが根本から間違っているのならば、理想の花嫁など見つかるわけがない。
きっと兄の運命の人は生きている人間ではない、私の運命の人が物言わぬ人形であるのと同様に。
兄妹揃ってこんな趣味だなんて、父は本当に可哀想な人だ。そんなことを考えて、思わずふふっと笑いが漏れた。

「どうした?突然笑ったりして」
「いいえ、なんでも」

不思議そうな兄の質問には答えずに、私は兄の顔を見つめた。
性別は違っても、私と同じ瞳の色、髪の色、どこか似ている面影に、同じ血が流れているのだと今まで以上に実感する。

「ねぇ、お兄様」
「?」
「次こそはお兄様の運命の相手が見つかると良いですね」

兄の運命の相手が見つかったら、みんなでこんな風にお茶会をしてみるのも楽しいかもしれない。
生きている者と、生きていないもの、4人のまるでままごとのような光景は、とても素晴らしいものになると思った。



(倒錯的兄妹の午後)



「そうだね、次は東の王国の方へ向かってみようと思っているんだ」
「あの、近くに深い森のある? …間違っても迷ったりしないで下さいね、付き合わされる従者たちが可哀想ですから」
「ははっ、私がそんなヘマをするわけないだろう」
「はぁ……心配です」