夏は過ぎたといえ昼間はまだ暑い。
だというのに、この屋敷は全体的に薄暗くひんやりとした雰囲気をまとっていた。
まるで、この屋敷の主の心境を表したようだ。
侍女に部屋へと通されながら、清正はそんなことを考える。
この前までよく整備されていた庭も今では荒れ果てて見る影も無い。
「こちらでございます」
侍女が示した部屋の中央で、名前は俯いて座っていた。
「それでは」と言って侍女が障子を閉める。
清正が対面するように座っても、名前は顔をあげようとしない。
数刻の間互いに何も言わずにいたが、とうとうその空気に耐えられなくなったのか清正は重い口を開いた。
「…久しぶりやな」
「…………そうだね」
長い沈黙の後に返されたのは蚊の泣くような細い声。
「顔上げぇ」
その言葉に名前の頭が揺れた。
そして、ゆるゆるとあげられた顔には生気は無く、泣き腫らしたのであろう、目は赤くなっている。
今まで見たことも無いその姿に、清正は心臓を握りつぶされたかのような痛みを覚えた。
「何しにきたの、清正」
先ほどより少しだけおおきくなった声。
その声音の中に含まれた様々な感情。
「……おねね様から、頼まれたんじゃ。最近おまえからの便りがないんで心配しとったぞ」
「…うん、分かった。……用件、それだけ?」
言外に、帰れと言われる。
吸い込まれそうなほどの深い闇色の目の奥に見えるものは、深い憎悪。
その視線に射抜かれて、清正は一瞬怯む。
けれども、一度目を瞑り呼吸を整えてから覚悟を決めて再び口を開いた。
「アイツはもうおらんのじゃ。追うんはやめろ」
名前の瞳がぐらりとゆれた。
しかしそれは一瞬のことで、強い視線で睨まれる。
「…殺したのは、清正たちじゃない。直接ては下して無くても、結局はそういうことでしょ」
「それは否定せん」
予想通りの言葉に、予定通りの返答を返す。
名前の視線が一層険しくなった。
「否定しない? 当たり前じゃないほんとのことだもの。
清正が正則を止めてくれてたら、家康を止めてくれてたら、あんなことにはならなかったのかも知れないのに。
それをしなかったのは清正でしょ!」
「もしわしが動いとったとしても、いつか家康は挙兵しとったはずじゃ」
「そんなの! 分からないじゃない。秀吉様に受けたご恩を忘れて、あんな狸に尻尾振るなんて。
そのせいでっ、三成も、吉継も、左近も、みんな…死んじゃった………!」
言っている間に感情が昂ぶったのか、名前の目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「秀吉様は、こんなのっ、望んでなんかなかったのにっ!
私だってっ…こんなのっ……。私は、ただ、皆で一緒にいられたらそれでよかったのにっ……!
なんで分かってくれなかったのよ。なんでこんな……!三成が、死んで……私、何も言ってないのに……。
これからどうしろっていうの? ぜんぶぜんぶ、虎兄のせいなんだからっ!」
手近にあった座布団を掴んで、名前は力いっぱいそれを投げつけた。
かわすこともなく、清正はそれを受け入れる。
「虎兄のばかっ! もう出てって、こないでよっ!」
駄々っ子のように泣き喚き、名前はまた座布団を投げた。
投げられた座布団の軌道は逸れて、障子にあたって床に落ちる
「どうなさったので……! 名前様、落ち着いてください!」
騒ぎを聞きつけた侍女が部屋の惨状に一瞬呆然としたものの、すぐさま名前に駆け寄りその肩を抱く。
名前の背中をあやすように叩きながら、「申し訳ありませんが、今日はもう…」と清正に告げる。
「……邪魔したわ」
ぽつりと呟き部屋の外へと出て障子を閉めた。
今しがた出てきた部屋からは名前の嗚咽とそれをなだめる侍女の声が漏れ聞こえる。
その声を背中に聞きながら、清正は天を仰いで唇をかみ締めた。
(もう一生手に入らない宝物)