ほとんど朧げになっている前世の記憶の中で、想い出を切り捨ててただ白ひげ海賊団に関わるところだけを海馬に焼き付けた。
前世を捨てて未来を想った自分が間違っていたとは思わない。
イゾウはそう遠くない未来に家族になってくれるだろう彼らを出会う前から愛していたし、大切だと思っていた。

** **
イゾウとて、古株で長く一緒に船に乗っていたティーチにほんの少しの情ぐらいはあった。前世の知識通りにならないんじゃないかという希望も少なからずあった。
けれど、サッチが手に入れた悪魔の実を――ヤミヤミの実を見たティーチの瞳にちらりと覗いた隠しきれない野心に、あぁやっぱりダメなのか、と覚悟を決めて。

その日の晩。新月の、真っ暗な晩だった。
イゾウは一番成功率が高いと考えてサッチとティーチの二人しかいない厨房に飛び込んだ。
抜かれていたティーチの剣を取り出した短剣で止める。
「サッチ、逃げろ!」
そうイゾウが叫んでも、サッチは親友だと信じていた家族が自分に斬りかかり殺そうとした衝撃からか、現状を把握できずに呆然とするだけ。
――それでも隊長か!?
叫ぶ暇さえなく、必死にティーチの剣を止め続ける。
突然イゾウが入って来て動揺しているはずなのに、ティーチには隙がない。
銃を抜く暇のない剣さばきに思わず舌打ちをする。
苛立ちで、思わず一瞬剣先がぶれた。

――まずい。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
なんとも言えない音が後ろから、――サッチの体から、発せられる。
低く苦悶の声を上げて、どさり、とサッチが倒れた。
あぁ、どうしよう。どうすればいい。
このままだと、"原作"が変わらない。
エースも、オヤジも、他の家族たちも、死ぬ。

ぎゅっと歯を食いしばってサッチの手に入れた実に手を伸ばす。
今度はティーチが、サッチを殺した事に油断していた。
ヤミヤミの実――シンクに置かれていたそれをイゾウは口にした。

濃淡も大小も関係なく、影が滲む。不気味な闇が膨れ上がった。
一瞬発生した濃い闇に、何が起きたかを察したティーチが激昴して斬りかかる。
短剣を片手に、ようやく懐から銃を取り出せたイゾウがティーチの額を打ち抜こうとしたその時、ドアが壊れるほどに激しく開いた。
そして飛び込んできたのはマルコを始めとした隊長格の面々で。ぴたり、と二人の動きが止まる。
サッチを見ると誰も彼もが目を見開いて、マルコが真っ先に駆け寄る。
その光景を視界の片隅にいれながら今度こそとティーチに向かって引き金を引こうとすると、その的は隊長達が集まる出入口の方向へ動いた。

「マルコ、イゾウが…イゾウの奴がサッチを――!!アイツ、短剣を隠し持っていやがった…!!」
確かに、イゾウの手の中には血に濡れた短剣。――ただし、その血はティーチのものだ。
(コイツらが、お前みたいな下衆の言う事を信じるわけねェだろ?)
イゾウはそう信じて疑わなかった。

しかし現実はどうだろうか。
「イゾウ、テメェ…!!!」
凪いだ海のようにうつくしいマルコの瞳が怒りでギラついている。
マルコの周りには殺気を漲らせた家族が並ぶ。
怒りは全て、イゾウただ1人に向けられていた。
イゾウの大事な家族の憎しみの篭った視線は全て、彼自身に向いていた。
医務室へと運ばれていくサッチとは対照的に、イゾウは隊長数人がかりで縛られ甲板へと引きずられて行った。

* *

甲板には、モビーにいる家族の少なくとも半分以上が集まっていた。
密集した家族達の中、いつの間にかイゾウを縛る縄の先を持つのはマルコに代わっている。
全身に感じる、疑いの視線。困惑した視線。――憤りを宿した瞳。そして、憎しみ。
最前列にはイゾウとサッチを除いた14の隊長に加えティーチがいた。
家族のほとんどが怒りや憎しみを顕にする中、ティーチは嘲りを浮かべる。ハルタの瞳の中で哀しみが揺れているような気がした。
長男役なマルコが冷静さを欠き、怒りに震えている現状。
仲がいいと思っていたハルタさえ、イゾウを庇うことはない。

(俺は、お前らに信じられてなかったんだな…)
心の中で、自嘲した。
イゾウが幼い頃から愛し、大切だと思い、守った家族はしかし自身を愛してなどいなかったのだと、信じてさえいなかったのだと心底実感した。
けれどその時はまだ、オヤジならと、きっと偉大なあの人ならと思っていた。
少し経ち、重そうな足音を立てて白ひげは船内から出てきた。
白ひげはマルコが話している間も、ティーチが話している間も、何も―――何も言わなかった。

マルコが話していく内に、ティーチが言葉を継ぎ足す度に。
イゾウへの憎しみの視線が増える。
16番隊の隊員までもがイゾウに憎しみを向けていた。
白ひげは目を瞑ったまま何も言わない。
現場に来なかった隊長達は少しの困惑を宿しながらも、やはりその瞳に色濃く映るのは憎しみで。
ハルタさえ、哀しそうに目を伏せるだけだった。

(俺は、なんて馬鹿だったんだ)
そう思わずにはいられなかった。
信じてもらえていると勝手に思い込み、現実はイゾウの話なんて尋ねてさえもらえず。
ティーチの話を無条件に信じ、イゾウの話など聞いてももらえない。
「あァ…そうかい……」

呟いた声に反応して、向けられる視線。
俺がいつ、家族にこんな目を向けられる事をしたというのだろう。
胸が痛かった。目が熱かった。自分が馬鹿らしくて仕方なかった。
「そうか…」
もう、何もかもどうでもいい。
そう思っても尚イゾウの中心は家族で、どうしようもなく馬鹿な自分に思わず乾いた笑いが零れた。

「ふ、はっ!は、ッはははははっ!」
笑い声を殺気が囲む。
顔を両腕で覆い隠し、空虚に笑い続けるイゾウに近付く者は一人としていない。
10秒ほど経って、だらん、と両腕を下ろしたイゾウの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。

――一瞬。
ほんの一瞬、瞬きの間すらない刹那。
闇でティーチを引き寄せ、懐から取り出した短剣で、纏った闇で、イゾウがティーチの首を切り離す。落ちようとするそれは白ひげに向かって投げつけられた。
白ひげの鍛えられた固い体にぶつかったティーチの頭が跳ね返されててんてんと転がって行く。
それと同時に首を無くしたティーチの体が倒れる重い音。
その音が響くまで、誰一人としてその場を動くことは出来なかった。
(あぁ、汚ェ)
無表情に、数秒前までティーチだった物体を見下ろす。
垂れ流される血が、それを流す体も、異様なほど穢らわしく思えた。
足元に流れてきた血を避けるように甲板の手すりの上に飛び乗る。

「ティーチ!!!」
「イゾウ、テメェ…!!」
「お前ェ…サッチの実を食いやがったな!?」
後ろから聞こえる海の音と、目の前に広がる光景。
悲しみ、憎しみ、憤り、恨み、様々な感情を浮かべた家族の顔を見渡す。
憎いと思われていようと、イゾウの家族を大事だと思う気持ちは変わらなかった。
それを、本当に馬鹿らしいと思った。
この一時間程で、どれだけ自分を馬鹿だと思ったことか。
(信じてもらえなかったのに、俺は家族を諦められない。エースにもオヤジにも、幸せになって欲しかった。
サッチにだって、生きていて欲しかった)

サッチは、どうなったんだろう。生きていてくれたらいい。
元凶は殺したから、エースがモビーを飛び出すことも、エースが捕まることもない。
頂上戦争だって、起こらないだろう。
(そう考えれば、俺は、頑張れたのかね…)
ビスタの足元近くで止まったティーチの頭を見て、どうしようもない疲れを感じた。

何故だか、いつかに酔った勢いでハルタと家族について話したのを思い出した。
「ねぇ、イゾウ!僕達に会えて、良かった?」
明るい声のハルタの問いに、イゾウが返した言葉。
――家族のいない世界に、生きる意味はないんだ。
そう言った過去を肯定するように、イゾウはそのまま後ろに倒れて――海の中へと消えた。
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