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灰色のコンクリートに囲まれた狭い階段を上がり、屋上へと続く古びた扉を軽く押すとあまりにもあっさり開いた。おかしい。首をかしげながらドアノブを前へ押し出すと春の夜風が臨也に絡み付いた。

「……シズちゃん」

見慣れたバーテン服の背中がフェンスの金網越しに居た。こちらを振り向かない静雄に近付き、臨也がフェンスを軽やかに乗り越えた。眼下に広がる池袋の明るすぎる夜景を見ながら、座って煙草をふかす静雄の隣に臨也がしゃがみ込んだ。静雄を見れば足を宙に投げ出している。

「危ないよ」
「電話」

臨也の忠告の言葉をまるで無視して静雄が呟いた。あ、と声を上げた臨也が自身のコートのポケットから黒い携帯を取り出してぱかりと開いて苦笑いを溢す。

「……ごめん、電源切ってた」
「…………」

ちょっとでも踏み外せば落ちる狭さに座る二人の距離は、手を伸ばさなくても届くほど。闇に浮遊する紫煙を視界に捉えながら臨也は次の台詞を模索した。

「ここ、俺のお気に入り」
「知ってる」

臨也が眼を丸くする。静雄はまだこちらを見ない。

「だから来た」

臨也が隣の横顔をじっと見つめる。続く言葉を待つかのように。

「電話出ねえからここに居れば来ると思った」
「俺が来なかったらどうするつもりだったの?」

軽く破顔した臨也が冗談混じりで尋ねた素朴な質問に対して、返ってきたのはあまりにも真剣な声色。

「手前は来る」

そこでやっと静雄の目線が臨也のそれと交わった。臨也の携えていた笑顔が掻き消える。

「ここに、俺の所に絶対来る」

一度息を詰めた臨也の視線は、右へ左へ泳いでから最後に真下の夜景に落ち着いた。

「随分と自信をお持ちで」
「別に自信なんかねぇよ」

普段より幾分か歯切れの悪い臨也の声に反比例して、静雄の声は真っ直ぐ辺りに響く。いつもは微かな喧騒だけが聞こえるはずのこの屋上で今、臨也にはそれが全く耳に入ってきていなかった。ただ静雄の声だけがやけにストンと鼓膜に落ちていく。

「自分だって分かってんだろ、結局俺の所に来ることくらい」

自信なんてないと言うくせに。

「…バカじゃないの」

意味もなく指先をいじりながら唇を尖らせる臨也。その細腕を唐突に静雄が力任せに引っ張った。バランスを崩した臨也を抱え込むようにして持ち上げた後に、自分の足の間に座らせる。逃げられないよう背中に腕を回せば臨也はもう身動きができなくなる。

「ちょ、なに、」
「まぁ俺の帰る場所もここなんだけどな」

静雄が胸に閉じ込めた黒髪に呟きを落とすとぴたりと抵抗が止んだ。見下ろすと黒髪の隙間から覗く耳が朱に染まっている。

「大人しくなったな」
「なってない。しね」
「怒んなよ」
「怒ってない」
「照れんなよ」
「照れて、ない」
「こっち見ろって」

有無を言わさない手つきで強引にこちらを向かせると、臨也は困っているような怒っているような微妙な表情を浮かべていた。静雄の口角がいやらしく持ち上がる。

「その顔すげー好き」
「…変態」
「たまんねぇ」
「…ほんと手に負えないよね君って」

吐いた溜め息は心なしかどこか甘い。臨也自身も不本意ながら自覚はしていた。

「おめでとな」

それは、五月四日の夜の出来事。


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