Main静臨 | ナノ




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「あ、星」

全身傷だらけの臨也が俺の後ろを指さしたかと思うと、唐突にそんなことを呟いた。

「あ゛ぁ?」

よくこんな状況でそんな呑気なことが言えるな、と心底呆れた。1時間程前に俺がこいつを見つけてからほぼずっと走りっぱなしで、ようやく捕まえて路地裏にぶん投げたのがつい何十秒か前のこと。そして今まさにトドメをさそうと、へたりこんでいる臨也の前に指の骨を鳴らしながら仁王立ちになった矢先の出来事である。

「ほら、一番星」

こいつは、全くおかしな奴だ。

「手前、自分がどういう立場に居んのか分かってねぇみたいだな?」

胸ぐらを乱暴に掴んで無理に立たせるが、臨也の視線は依然として俺の背後に広がっているであろうビルに囲まれた夕空へと向けられている。赤い瞳が丸く見開かれていて、なんだか意外なその様子に少したじろいだ。

「きれい……」

臨也は、ただ純粋に感想を溢した。それは、心から言ってる、と何故か確信を持ってしまうくらいの濁りのない声色で。
俺は思わず振り向いてしまった。
薄暗くなり始めた夜にひとつだけ頼りなさげに光る星。それは本当に小さいもので、「きれい」という感想をまず持つ者は、余程純粋な人間を除くと少ないだろう。しかし、臨也は確かにきれいだと言った。あの折原臨也が。

「宇宙っていいよねぇ」

続けてこんなことを言い出すものだからさすがに度肝を抜かれた。普段のあの憎たらしい笑みではなく、穏やかで優しく、それでいて自然に弧を描いている唇。胸ぐらを掴まれているのに余裕があるところはいつもと変わらないが。

「わくわくしない?宇宙ってきくと」
「………別にしねぇ」

えー、感受性ないなぁ、と困ったように苦笑いを浮かべる臨也は息が苦しいのか小さな咳を溢した。少しだけ胸ぐらを掴む手の力を緩める。

「だってさ、果てがないんだよ?しかもまだ膨張し続けてるって、なんか感動しない?」

そう俺に投げかけ爛々と瞳を輝かせる。

「俺はすごいと思うけどなぁ」
「…………」

今の臨也は非常に不利な状況に立たされているにも関わらず、馬鹿みたいに油断している。普段なら到底ありえない話だ。そして俺が臨也とこんなに近くに居るのに、さっきから殴りかかる気が起きないのもまた、ありえない話。

「南西の方角、午後6時40分」

いつの間にか携帯を開いていた臨也がそう呟いたかと思うと、

「俺、シズちゃんと見たこの星、忘れないから」

こんなことを、言った。

「………は?」
「じゃあねっ!また今度!」

軽く絶句している俺を良いことに、奴はその間にするりと俺の手から抜け出し一目散に駆け出していった。な、

「ンだアイツ……ッ!!!」

普段から憎たらしい程に逃げ足が速い臨也は既に姿が見えなくなっていた。追いかける気力もない。ただ、俺の心に何かもやもやした苛立ちを残していった。

「っざけんなよ…!」

がん、と路地裏の壁に拳を突き立てるとピシリと亀裂が出来た。ああ、イライラする。言い逃げしてんじゃねぇよ。
振り向くと先刻より暗くなった空には既にいくつも星が浮かんでいて。

どれが臨也と見た星なのか分からなくなってしまっていた。それが、こんなにも悔しいだなんて。


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