.今日も一日頑張ったと自負をしながらゆっくりシャワーを浴びて、さて恒例の風呂上がりプリンでも食べるかと髪をタオルでかきながら冷蔵庫の前に立ったそのとき。無機質な電子音が狭苦しい部屋に響き渡った。これから至福のプリンタイムだというのに、この夜中に一体どこのどいつからの電話だ。片手に持っていたプリンに一度別れを告げ再び冷蔵庫の棚に泣く泣く戻し、ベッドに沈んでいる携帯電話を乱暴にひっつかむ。
「……あ゛?」
開いたディスプレイに浮かぶ文字は確かに折原臨也という形を造っていた。その名に一瞬ためらったが、まぁ仮にも恋人なので出てやることにする。
「……なんだ」
通話ボタンを押して端末を耳に当てるが何も聞こえない。イタズラ電話かあの野郎殺すぞ。
『……は、ぁ…、しず、ちゃ』
殺意はすぐに消え失せた。
耳を澄ますと携帯ごしに微かに聞こえてくる臨也の声が、何かおかしかった。声音がない上に不自然な喋り方、否、喋れてさえいない。息苦しそうなトーンでさらにいえばひっきりなしに呼吸をしているような。
あー、何かやばい。
「手前、今どこにいる」
適当にスウェットを身に付けて即座に玄関に出る。さみぃ。
『ひ、はっ…ぃけ、ぶく…っ』
池袋か、好都合だ。
「すぐ行くからそこにいろ」
そう告げて電話を切ったのと走り出したのはほぼ同時だった。細かい場所を聞かずともアイツの居場所なら嫌という程に分かってしまう。ましてや、俺の主なテリトリーである池袋にいるなら尚更であった。
未だに何が何だかさっぱり分からないが、これ以上臨也を一人にさせてはいけない。
俺の本能がそう告げていた。
徐々にアイツの匂いが強くなっていくのを覚えながら、夜を迎えてさらに賑やかになった池袋の街を突き進んでいくと、賑わいを外れた人気の無い裏路地により一層臨也の気配を感じた。すぐに駆け寄ると、暗がりに同化しきった臨也がうずくまって肩を震わせていた。
「臨也!!」
荒々しくなった息のまま名前を呼ぶ。声に顔を上げた臨也だがやはり様子がおかしかった。
「……っ、は、……ぁ!」
吸って、吸って吸って。
臨也は息を吐いていなかった。すっかり血の気が引いた紙のように白い顔で苦しそうにうめいている。過呼吸……?
「……ンの、馬鹿!」
症状が分かった途端、ひたすら酸素だけを体内に取り入れている臨也の唇に噛み付いた。暴れる四肢を壁にしっかりと縫い付けて二酸化炭素を確実に送り込む。臨也の長い下睫毛に雫が溜まる。しっかり飲み込め馬鹿。
「…―――っ!!」
どれくらい経ったのだろうか。俺が紙袋でも持ってくればよかったと後悔し始めた頃に臨也の暴れる力がついに無くなった。くたりと脱力した臨也の痩躯をしっかりと抱き止め唇を放す。……別に名残惜しくなどない。
「………はっ、はぁ」
不規則に乱れた呼吸を、肩で大きく整えている臨也。その頬につたう涙をすくいとる。
「……急に呼び出しやがって」
「し…ずちゃ」
ぼろぼろと落ちていく涙がもう過呼吸の苦しさからきているものではないと気付いた。
何がそんなに不安なんだよ。
俺が、いるじゃねぇか。
「しずちゃん、しずちゃん」
あだ名を連呼してしがみついてくる臨也はとても弱く脆い。
俺の恋人は、俺がいなきゃ呼吸さえできないらしい。
(君がいなきゃ死んでしまう)
(それでいいよ)
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