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六年前のあの約束を、シズちゃんは覚えているだろうか。桜がうるさいくらいに舞っていた中庭での出来事を。




「……やあ、シズちゃん」

卒業式が終わった後の中庭は、生徒は帰宅してしまったため誰もいなかった。桜の木が並んでいるそこで、俺は中でも一番高い木の枝上にいた。なんとなく、すぐに帰る気にならなくて木によじ登ったのが確か30分前くらい。
あー、あったかい。眠気に襲われていた時、「おい」と低い声が真下から聞こえた。
……一気に覚めた。

「なんでまだ残ってんだよ」
「シズちゃんこそ」

あ、なんかシズちゃんをこうやって見下すのって初めてかも。急速に気分が良くなった俺はこの時とばかりに上目遣いのシズちゃんを堪能した。ニヤニヤしているのがバレたのかシズちゃんが途端に不機嫌な表情になって舌打ちしてきた。

「下降りてこいよ」

嫌だと言いたいところだけど、いつもだったら俺に会ったら速攻キレるのに、今みたいに大人しいシズちゃんを見るのは珍しくて。
なんか、話したいな、なんて。俺はバカみたいなことを考えながら、枝に手をかける。

「ちゃんと受け止めてね!」
「はぁ?」

怪訝な顔をしたシズちゃんを無視して、俺は体を支えていた両腕を枝から放した。一瞬の浮遊感のあとに、すぐに体が落ちていく感覚。
不安はまぁ、少しだけあった。シズちゃんならあっさり見捨てて、地面に叩きつけられた俺を見て笑うかもしれない、君は俺を嫌っているからね。シズちゃんなら、しっかり受け止めてくれるかもしれない、君は優しいからね。
二つの結末が頭の中にあった。可能性は、半々くらいかな。



ぼすっ

でも、予想してた衝撃はあまりにも弱いものだった。

「……ッてめ、危ねぇだろうが!!」

このお人好し。

「信じてたよ」

無意識に口角が吊り上がってしまった。シズちゃんは受け止めてくれた上に、俺の予想を越えてお姫さまだっこまでしてくれた。力強い腕の感触が背中を支えていた。その体勢のままシズちゃんの金髪に手を伸ばす。金に絡まっていた淡い桃色をした小さな花弁をつまんで見せるとシズちゃんが眉を寄せた。

「俺が受け止めないっていう考えはなかったのかよ」
「あったあった」

からからと笑うと彼の機嫌はさらに急降下。
背中にある腕が今にも放されそうだ。

「早く降りろよ」
「じゃあ降ろしてよ」

ワガママを言い過ぎたようだ。シズちゃんの全身に殺気が沸き立つ。頭突きでもされては敵わないので、すぐに大人しく降りた。ちょっとお姫さま抱っこが心地よかった、なんてね。意外と体温が温かかった気がするが、まぁ春の陽気のせいだということにした。
体を翻して青い芝生の上に腰を降ろすと、一連の動作を見ていたシズちゃんも俺の隣にあぐらをかいた。ちょっと、何この微妙な距離。

「……………」

長く穏やかな沈黙。春特有の麗らかな雰囲気が俺たちを包んで、目の前をせわしなく横切っていく花弁を眺めていると、時が経つのも忘れていくような。
あー、高校生活も今日でおしまいか。この三年間、シズちゃんとの喧嘩しか思い出がないような気がする。あっという間に走りぬけた青春(と呼ぶには弾けすぎだが)はあまりにも印象が強すぎて。

「もう卒業だねぇ」

無意識の内に独り言をこぼしてしまっていた。シズちゃんが驚いたようにこちらを見たが、すぐに目を伏せた。

「……そうだな」

そしてしみじみと相づちを返してくれた。どこか遠くを映す瞳をした彼は桜の木を仰ぎ見た。俺もつられて顔を上げると一面桃色で少しだけみとれる。

「シズちゃんの壊した校舎ともお別れだね」
「誰のせいだ誰の」

こうやってまとも(?)な会話をするのは本当に久しぶりで、なんだか名残惜しくなった。三年ってこんなにも短いものだったかなぁ。

「三年後も俺たちは喧嘩してるのかな」

最初から答えなんか求めちゃいなかったけれど。

「してるだろうな」

シズちゃんのその言葉に何故だかすごく安心した。まるでそれが当たり前のように、自信と確信をたっぷりと含んだ声色。

「三年なんて甘ぇな」

苦笑まじりにシズちゃんはそう言う。見たことのない穏やかな表情だった。だから俺も作り笑いなんかしてないよ。今、シズちゃんの口からそういう言葉が聞けて本当に嬉しいんだ。

「じゃあ、二倍くらい?六年後も喧嘩してるかな?」

六年後っていったらもうとっくに成人してるや。それでもまだいがみ合ってたら奇跡だね。

「約束しようよ」

シズちゃんはいきなりなんだ、という視線を俺に向けた。
構わず続ける。

「六年後の今日にさ、まだ喧嘩してたら会おうよ」

バカみたいな約束だった。ただ会って何をするという訳でもない。それに先の見えないことを考えるのは少しだけ怖かった。シズちゃんが俺の下らない約束に了承してくれたのかは覚えていない。だけど六年間、俺はその約束に縛り付けられていた。
それは事実だ。





俺はシズちゃんに会いに行こうか迷っている。彼は六年前の今日を覚えているのだろうか。単細胞だから、あっさり忘れてしまっているかもしれない。そしたら俺だけが六年間ずっと気にしてたってことじゃないか。そんなの恥ずかしいだけだ。
そんなことを色々と考えながらなんとか駅まで来たが、池袋行きの電車に乗る勇気までは振り絞ることができず、結局俺は新宿に戻ることになった。逃げるような足取りで路地裏に駆け込む。危ない危ない。会って真正面から、そんな約束知らないと言われたらもしかしたら俺は泣いてしまうかもしれなかった。そんな恥ずかしい思いはしたくはない。
今日何度目かの溜め息を吐く。




「おい」

膝の間に顔を埋めて体育座りをしていると、鼻をつくタバコの匂いがした。知ってる匂いだ。まさかと思って顔を上げると、六年前に俺と意味不明な約束を交わした人物が立っていた。
体が硬直する。

「シ、」
「手前、そっちから約束したくせになんで来ねぇんだよ」

呆れるように言って彼は煙を吐いた。頭がパンク寸前だ。

「……ここ新宿だよ」
「んなこと知ってるっつーの」

なんでなんでなんで。
予想外の出来事に頭が回ってくれないし。
冷や汗がだらだらと流れた。

「六年間も待たせやがって……もう言うぞ」

心臓が一際大きく収縮したのとシズちゃんが言葉を発したのは同時で。

「好きだ」

あまりにも歯切れ良く発せられたのでちゃんと一字一句聞き取れてしまったことに後悔した。
絶句。

「覚えてるの」

間抜けな声が出た。裏返りやがってちくしょう、しっかりしろ俺の声帯。

「残念ながらな」

シズちゃんはにんまりと意地悪な笑い方をした。すごくすごくかっこよくてあの時から何一つ変わっていなかった。

「俺たちも変わんねぇよなホント」

紫煙を溜め息と一緒に吐き出したシズちゃんはそのまましゃがみこんできて俺と目線を合わせた。ばくばくと心臓が早鐘みたいに鳴っててやかましい。
顔があつい。
手が震える。
あぁ、



「で、返事は?」



泣きそう、だ。


幸せの絶頂臨也
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