至 近 距 離 恋 愛


冬の静かな図書室での事である。

授業を終え、ジュンコ達ももうすっかり降り積もった雪の下にて春までの眠りに就いてしまい、何をする気も起きない午後だった。
だがそうと言って自室で一人でいるのも何やら寂しい。何か暇潰しでもできないかとつらつら考え、思い至ったのが図書室だった。
本を読むことも、図書室独特の静かな空気に触れることも孫兵は割合好きだ。
入り口で本日の当番らしい図書委員長の中在家に会釈し、適当に選んだ本を手に取った。
陽当たりのいい場所に腰を降ろす。そこだけだとまるで春の様に暖かく、何となく切なくなった。
さて、と表紙を捲る。
文字を目で追っているうちに、いつのまにか時間を忘れ没頭していたらしい。
暫くしてふと我に返ると至近距離に人の気配を感じ、孫兵はびくりと顔を上げた。
「あ、気づいた」
「…次屋」
気配はろ組の次屋三之助だった。こんな至近距離なのに気づかなかった自分に胸中にて舌打ちする。
「次屋も本、読みに来たのか」
「あー、違う」
ひらりと片手を振って次屋は首を傾げた。
「厠から部屋に戻ろうとしたら何故かここに辿り着いたんだ。んで、孫兵がいたから」
何で部屋に行けないんだろうなーと言うその表情は常の如く飄々としたもので、孫兵は富松はいつも大変だなあとろ組の保護者(と本人に言えば烈火の如く怒るのだが)を脳裏に思い浮かべてちらりと同情する。この無自覚だけではなくもう一人、決断力方向音痴を合わせて手綱を取るのはさぞかし難儀な事だろう。
──それはともかく。
「…近いんだけど」
「え、そうか?」
いい加減に耐え兼ねぼそりと呟くと、思いも寄らぬ事を言われたとでも言いたげな顔をされてため息をつきたくなった。
先程気配に気付いて僅かに距離をとった筈なのに、何故か距離はまた縮んでいる。どれくらいかと言えば互いの息の温度さえしっかり伝わるくらいだ。
近すぎる。
昔から孫兵は、ジュンコを初めとする毒虫達が傍らにいたからか、他人と触れあうことは少なかった。
だからか、今でも他人に触れるのも触れられるのも得意ではない。
ジュンコが傍らにいない今時期は特に、近くに人の気配があるだけで落ち着かない。
つまりこの状況は非常に落ち着かない。
「何でそんなに寄ってくるんだよ…」
居心地悪くじりじりと距離を取るも、次屋は離れた分だけ寄ってくる。埒が明かない。
「いや、何かさ」
じい、と見つめられるのも落ち着かない。まるで心の奥底まで見透かされるような気分になる。しかもその目はやけに真っ直ぐなものだから反らすことも出来ない。
「…何」
「孫兵って、」
瞬きが出来ない。何故こいつとこんなじっくり見つめ合っているんだと頭の片隅で呆れたような声がした。けれど目を反らせずに、知らず小さく息を呑み込む。
(そんなの、僕にだってわからない)
こいつが目を反らさないのが悪い、と若干八つ当たりにも似た思いが沸いた。
冬の日差しによる淡い影が次屋の顔に浮かぶ。
次屋がふ、と息を吐いた。
「お前、ほんとに綺麗だなあ」
「………は?」
突然言われた言葉に反応できず、我ながら間抜けな声が出た。次屋は心底感心したようにまじまじとこちらを眺めている。
「光で睫がきらきらしてる。すげー」
誉められているのだろうか。だが男が男に綺麗と言われても。
(どうも、とでも言えばいいんだろうか)
わからない、と頭を悩ます孫兵を他所に、ひょいと次屋が前触れもなしに頬に手を触れた。
「!?」
若干過剰な程に肩が揺れ、ぐっと眉間に皺が寄った。
「何、」
「いや、あんまり白いから冷たいのかと思った」
「…何だよそれ」
「うん、あったかかった」
よかった、とにこりと笑われてどうしたらいいかわからなくなる。触れている手を振りほどくのも何だか感じ悪いだろう。
(変な奴)
この飄々としたペースにあっさり呑み込まれてしまったようで、どうにも調子が出ない。普段であればはね除けてでも去っているというのに。
(…変な僕)
何より触れた先から伝わる熱が心地よくて、孫兵は更にどうしたらいいかわからなくなった。





title:ニーチェの鼻歌
この後中在家さんに図書室内でいちゃつくなと追い出されるでしょうね^^