2話
「・・・・・・はぁ」
四月といっても、朝の空気はまだまだ冷たい。それも日が昇ってすぐだから、余計に寒く感じる。
昨日の話を思い出しながら、私は後悔していた。あの時遠慮をしていたら、何か変わっていただろうか。
学校の事務員さんの前を通り、いつも通り挨拶すると「三年になっても早いねー」と声を掛けられる。
朝早く学校に来ることは、私の日課だった。早起きに強いこともあるし、宿題などをするのに効率が良いのだ。中学生の頃に身につけた日課を、私は高校でも続けることにした。
教室に着いたら、窓を開けて空気を入れ換えよう。そして明日のホームルームの進行について考えなくては。
私は一人きりの教室に入り、思い付いた通り換気をする。冷たい風が、空気のこもった教室に吹き渡った。
時計を見ると、ちょうど6時30分。朝のホームルームは8時30分からだから、時間はあまりある。
「よし」
私は意を決してルーズリーフを取り出した。
まずは黒板に各委員会名を書いていって、やりたい委員に挙手してもらおう。満を持した感じで、クラス委員長などは最後に決めた方が良いかもしれない。
思い付いたことを、つらつらと書き並べていく。
たくさん手が上がったところはどうしよう。じゃんけんで決めるのは安易過ぎるかな。決意表明をしてもらって・・・・・・いや、やり過ぎも良くないよね。
乱雑に文字の書かれたルーズリーフを脇に置き、私は机に突っ伏した。
こんなことしたって、どうせうまくいきっこない。なら、今どんなに考えたって同じじゃない。
話合いはもつれ、私はじっと下を見つめるだけに違いない。慌てた先生が仕切直して、席に座ることもできずに立ち尽くす私。
わかってる。そうなることくらいわかってる。
眠くはなかったけれど、目を閉じた。涙が一滴流れたのは、あくびのせいだと思いたい。
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人の気配がしてはっとした。教室で寝たのは初めてだ。
私が急いで顔をあげると、窓を閉めている男子の後ろ姿が見えた。
「あ、ごめん起こした? まだ寒いのに開けっ放しまずいかなって。おはよ、メガネダさん。一番乗りのつもりが先越されてたとはっ」
私をこんな風に呼ぶのは一人しかいない。
「おはよう、岸田君。岸田君も早い登校だね」
時計を見ると、7時を過ぎたところ。意外と寝てしまっていたことに気付く。
「せっかくだから道場に朝練に。でも、誰もいないし寒いしで早々に切り上げた。せっかく温みに来たのに、教室は窓全開で冷え冷えだし」
笑いながら、岸田君は言った。
「ごめんね、私も休むつもりなかったんだけど」
「これ、明日の準備?」
岸田君は私に近づくと、机からルーズリーフをひらりと手にした。
「う・・・・・・一応流れだけでもって、思って」
岸田君だったら、きっとこんなもの要らない。小心者、なんて言われたらどうしよう。馬鹿じゃないの? こんなのに頼ってるからダメなんだよ、なんて言われたら。
「良いじゃん」
自分への呪いの声に掻き消されながら、でも確かに聞こえた言葉。
「え」
「メガネダさん、一生懸命クラスを考えてるじゃん。適当にやっても怒られないのに、わざわざ朝早く来て準備してるじゃん。なんか、いいねこういうの」
岸田君は、ルーズリーフを眺めながら臆面もなく言った。
「でも、笑っちゃうけどな。子どもみたい」
カンペがないと、何もできない。発表なんて嫌い。人の前に立つなんて嫌い。なのに、私を選ぶ先生が嫌い。委員長っぽい眼鏡を掛けさせた親が嫌い。コンタクトに合わない目が嫌い。目が悪くなったのは何でだっけ?
「発表のときとか、人はカボチャと思えとか言うけど、人はやっぱり人だし、むしろカボチャ被った人のが怖くて緊張するじゃん? メガネダさん、自分の苦手をわかってる。わかった上で向き合ってる。上出来じゃん」
「そう・・・・・・かな」
本当にそう、思っているのだろうか。でも、不思議と気持ちが落ち着いてくるのがわかる。
「メガネダさんがクラス委員長になったらいいのに」
何度も言われてきた言葉だけど、不思議と嫌に感じなかった。
「ダメだよ、私は合ってない」
私は照れ隠しに笑って言う。岸田君の方が合ってる、と言いたかった。でも、岸田君の言葉を否定したくなくて、言えなかった。私を認めてくれた言葉を否定したくなかった。
「うっし、まだみんな来るまで時間あるし、明日からの授業の予習してみっかなー」
「あ、ちゃんとやるんだ」
「何その意外そうな顔」
失礼な私に、岸田君が笑いかける。それから私たちはそれぞれの席に座り、黙って予習に取り掛かった。
その空気の居心地のよさが、たまらなく愛おしく思えてならなかった。
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