1話
金田かずねは、後悔していた。
事の発端は高校三年生の四月、始業式の日の放課後のことである。新クラスの担任に、職員室に来るように言われたのだ。
「お前に、新クラスの委員会決めの会議の議長をやってもらいたいんだが」
のこのこと職員室に来た私に椅子を勧め、担任は単刀直入に切り出した。あるであろう話ではあったが、こんな切り出し方は初めてだ。
これまでの担任は、言い訳がましい言葉を並べた後、「済まないがやってもらえないか? 一回だけでいいから」なんて下からものを言ってきた。
そして結果私がうまく会議を回せないことが分かると、担任が慌てて出て来て無駄な時間がかかる羽目になる。
だったら最初から私なんかに頼まなきゃいいのに、『生徒の自主性を重んじる為』らしい。
私は答えに窮しながら、担任の顔を見た。
彼はかつて数回だけ授業を受けたことがある先生だ。どっしりとした中年で、清潔感はあるがどこか生徒と距離を感じる先生だった。
こうして面と向かって話をしてみると、にこやかだが威圧も感じられ、内側を見透かされている気さえする。
私は眼鏡を掛けているせいか、委員長っぽいとよく言われてきた。小学生の頃から眼鏡をしているから、もはや私の一部のようなものだ。
『眼鏡=がり勉』なんて図式、今や過去の産物なはずなのに、小学校、中学、高校の事あるごとに『委員長』やそれに類する雑務を押し付けられてきた。
押し付けてきたのは相手なのに、いつだって「所詮この程度だったか」と失望される。
この教師も同じ、形だけ見て選んだ私が失敗すれば「委員長っぽかったんだけどなぁ。向いてなかったのか」と失笑するにちがいない。
「私、でよかったら・・・・・・」
なのに、断り切れない。何とか出した声が、弱々しくて寂しかった。どうせ失敗しても失望されるだけ。失うものは何もない。そう思っている自分が、悲しかった。
職員室を出て、廊下でため息をつく。たいしたことはない、会議の数時間堪えればいいだけ。何より選んで貰ったことに感謝しなきゃ。
「よっ、メガネダさん! 今帰り? 遅くね? 始業式終わってから、結構経ってね?」
突然振り掛けられた声にはっとなる。そこにいたのは、同じクラスの岸田君だった。彼とは一年生のときに同じクラスだったが、たいした接点もないまま、ろくに声もかけなかった。
私は矢継ぎ早の質問以上に、彼の服装に目を奪われた。
「岸田君、柔道部、なの?」
彼が身につけているのは、白くピシっとした道着と黒々とした袴だ。袴には立派な刺繍で『岸田』とあった。
「あ、俺の言葉全無視して質問返し? 意外とやるなぁ」
苦笑しながら、岸田君は晴々とした表情で言う。
「これね、弓道部。ここにちっさな的形ピンバッチあるでしょ。この度主将に選ばれましたー」
事もなげに言う岸田君の口調に流されそうになったが、『主将』なんてそうそうなれるものではないはずだ。体育系の部を引っ張るなんて、結構大変なんじゃないだろうか。
「弓道部だったなんだ、凄いんだね。私、部活入ってないからそういうの羨ましいや」
「メガネダさんも部活やればいいのに。まぁ、もう三年だし難しいかもだけどさ。あ、うちの部のマネージャーはいつでも募集中だから」
気が向いたらよろしく、なんて笑う岸田君は、クラスの中心にいそうなタイプなのに、あまり目立ちたがるところがない。掴みどころがない上に、うまく立ち回るタイプなんだと思う。担任も、彼みたいな人に頼めば良いのに。
「で? メガネダさんは早速呼び出し?」
「今度のホームルームでやる委員会決めの議長に選ばれちゃって」
拗ねた気持ちを隠し、ちょっと自慢げに言ってみた。岸田君はそんな私を見て、少し眉をひそめる。そして、私に断りを入れると職員室の扉を開けた。
「セっちん・・・・・・じゃなかった、三瀬先生ー」
岸田君は、クラスメイトをあだ名で呼ぶことをモットーにしている。私は眼鏡の金田で『メガネダさん』。いい響きじゃないけれど、クラスの一員になれた気がして嬉しくもある。そして、担任の三瀬先生は、ミツセの『セっちん』と呼ぶことにしたらしい。なんとも失礼な呼び名である。
「おぉ、岸田か。三年なのに部活に精を出してるか。まったく、そんな格好でうろつくな」
担任は顔をしかめて言った。そんな担任に臆することなく、岸田君は道着のままズカズカと職員室に入る。
「いやー、金田さんとたまたま立ち話してたんスけどね、今度の委員決めを金田さんに任すらしいっスね」
「ああ、そうだ。金田からも今さっき了承を得た」
「まだそこに金田さんいるんスけど、本当に彼女はOKなんスかね?」
「私で良ければ、と言っていた。嫌なら止めるが、どうなんだ金田」
私に、話が振られた。余計な事を、と思いつつも、今なら断れるかも、と思った。
「私には荷が重過ぎます。別の人にしてください。岸田君なんて良いんじゃないですか?」という言葉が、喉元まで出かかった。
しかし、私の喉から飛び出たのは、「頑張ります」の一言。断る事で、失望されたくなかった。
岸田君は一層眉をひそめたが、それ以上何も言わなかった。
「そっか。じゃ、失礼しやしたー 」と職員室から去っていく。どうやら校内にある弓道場に向うようだ。
私は一体何を求めているのだろう。何を求められているのだろう。
ただ一つ分かることは、彼は私違うということ。言いたい事を言える岸田君は強いと思った。
それと同時に、私の本心を知ってか知らずか見抜いた岸田君が、怖いと思った。
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