March in Nightmare
――悪夢なんて言いたくないけど、あれはわたしにとっての非日常だった・・・・・・。
散歩を終えた三月ウサギは、現在アリスの暮らしている自分の家に向かうことにした。途中、新しい木の実を見つけたと喜ぶ眠りネズミに会い、試食しないかと問われたが丁重に断った。どうやら、眠りネズミ自身試食する気はないらしい。
しばらく歩いて、自分の家の前に立つ。自分の管理下時代よりも手入れされた庭など、要所要所に女の子らしさが見え、三月ウサギは静かに微笑んだ。
「アーリスちゃん! 遊っびましょー」
ふざけた気分でどんどんと扉を叩くと、不機嫌顔のアリスが顔を出した。
「いまどきその誘い方は古いんじゃない? というか、恥ずかしいんだけど!」
「良いじゃん、周りにヒトいないんだから。さっさと出発の用意してよ、昼食の準備しにいこっ」
不機嫌そうなアリスの背を押し、強引に家の中に入る。
「勝手に自分仕様に使っちゃっているのを、家の持ち主に見られるのってなんかいたたまれないんだけど」
「良いじゃん、当のわたしが気にしないんだから。そろそろ眠りネズミも木の実の選定をして帰る頃だろうし、帽子屋がお腹空かしてると思うよ」
三月ウサギが、勝手知ったる他人仕様の我が家の棚を荒らし、クッキーの入った缶を見つけつまみ食いしながら言う。
アリスは、掃除の道具を仕舞い、エプロンを外して「準備OK」と合図をした。三月ウサギは缶を元あった場所に戻すと、玄関を思いきり跳び抜けた。
「三月っ!! 大変なんだっ!!!」
帽子屋邸に駆け込んで来たのは、眠りネズミだった。
生き生きと帰った三月ウサギとアリスだったが、半時過ぎても眠りネズミは戻らず、帽子屋は次第に無口になり紅茶をすすってはため息をつく。そんな気まずい空気の中の叫び声だった。
「本当に眠りネズミは空気の読めないヒトランキング、No.1ですね」
「眠りネズミー、あまりの空腹に帽子屋がご機嫌斜めだよ」
「眠りネズミがご飯作らないから、みんな空腹で動けなかったじゃない」
「イヤイヤイヤ、空腹だからこそご飯を作るんじゃねーのか!? ってそうじゃなくて!」
「なんだ、騒がしいぞ眠りネズミ。紳士たるもの、淑女の前では静々とするものだ」
そこに現れたヒトに、三月ウサギは思わず跳びはねた。
「白兎、なんでここに!?」
眠りネズミは、バツの悪そうに下を向き、帽子屋を盗み見た。しかし帽子屋は、さすがにその視線の意図が分からず首を傾げる。
「おお、三月」
ああ、いつもの口上が始まる。誰もが――三月までもが思った。しかし。
「淑女たるもの、何故そんなズボンを履いているのだ! ここにいるアリス嬢を見ろ、かわいらしいワンピースを着ているではないか。お前も少しはアリス嬢を見習い、淑女らしく振る舞うのが女性としての嗜みではないのか!」
「は・・・・・・?」
誰もが、なにも言えなかった。眠りネズミが今にも泣きそうな顔で、叫ぶ。
「だから大変だって言っただろ! 白兎がおかしくなっちまった!!」
***********
「新しい木の実見つけたんだけど三月に試食を断られて、しばらくどうしようか迷ってたときに来たのがこいつだったんだ」
『おお、眠りネズミではないか』
『私は三月の散歩道を追っているところだよ。お前はなにをしてるのだ?』
『何々? 木の実の大試食会中?』
『この木の実を三月が食した? しかも、満面の笑みで大絶賛!? それは食べんことには始まらん! どれっ』
「そうして、木の実を一口かじって・・・・・・」
「白兎がああなっちゃったのね」
大テーブルの末席に座らせた白兎を無視し、上座に座った帽子屋を囲んで、三月ウサギ、アリスは眠りネズミの話を聞いた。
「なぁ帽子屋。この実に見覚えねぇかな?」
眠りネズミが取り出したのは、真っ黒な皮をつやつやと輝かせた掌サイズの実である。
「・・・・・・見覚えはありませんが、色が毒々しいですね。三月、『C-15930』の本を持って来て」
帽子屋の書棚番号を聞いた三月ウサギは、「ほいほいっ」と言いながら書斎に向かった。5分もせず、三月ウサギは多少埃を被りながら戻って来る。
それは、いかにも持ち運びに向かない、分厚く大きな本だった。表紙も背表紙も題名が掠れていて読めない。
「・・・・・・ありました」
帽子屋の声に、一堂が屈み込んだ。
『チエノミ:その味は蜜の味。ヒトは食べずにはいられない。この実を食べると想いビトと結ばれる。想いビトの理想は、一体どんなヒト?』
「・・・・・・」
誰もが口をつぐむ。そしてアリスと眠りネズミは三月ウサギを見た。
「いやいやいやいや、ないないないない」
三月ウサギは、必死に手と首を横に振る。すると、しびれを切らしたのか白兎が声をあげた。
「三月! 客を待たせて茶も出さんとはどういうことだ! 眠りネズミはクッキーを出してくれたのだぞ。お前に客をもてなす心はないのか! せめて落ち着いて席に着くくらいせんか」
三月は面食らってしまい、アリスが「お茶はあたしがやるわ」といそいそ動いた。仕方なしに、三月はどかっと椅子に座る。しかし、次第に居心地が悪くなって、突然立ち上がった。それと一緒に、白兎も立ち上がる。
「なにっ?」
「なにって、レディが立ち上がったときに男も立ち上がるのが礼儀だろう。お前もレディの端くれなのだから、そんな品のない立ち振る舞いをするな」
「・・・・・・」
「それから、ずっとそんな埃まみれでいる気か? 淑女はきちんと身だしなみを整えなさい。どれ、このハンカチで拭くがいい」
「・・・・・・・・・・・・」
そんな二人の会話を聞きながら、アリスと眠りネズミはコソコソと語り合う。
「なんだよ、あの貴族兎・・・・・・どん引きだぜ」
「そう? まあ、貴族兎っていうより紳士兎っぽいわね。三月もまんざらじゃなさそうよ」
「はぁ? ありえねぇだろっ」
「あの本にもあったように、あれが三月の理想なのかも。だったら、このままの白兎だったら、三月も心安らかでいいんじゃない?」
「でもさ」
「ん?」
「例えば三月がよくったって、あれは『貴族兎』じゃねぇ。だったらアレは、誰なんだ?」
「白兎をこのまま帰すわけにはいかない」という眠りネズミの罪悪感から、白兎を帽子屋邸に泊まらせることになった。帽子屋は三月ウサギに客間の片付けをさせると、そのまま寝室に入ってしまう。アリスも「あたしがこのまま帰るわけ無いじゃない!」と三月の部屋に泊まることになった。
結局、その白兎の暴走は、翌日の午後まで続いた。
「三月、客間の片付けがあんなにもおろそかではいかん!」
「眠りネズミ、テーブルの拭き方は下にゴミを落とさんようにきちんと!」
「アリス嬢、あまり夜更かしをするもんではないぞ! それに、なんだそのクマは! 淑女としてそんなことではいかん!」
「帽子屋、ホストがこんなに寝坊とはどういうことだ! しかもこんにちはの挨拶もないとは!」
夜が明けてから動き出したアリス、眠りネズミ、帽子屋、三月ウサギはしかし、全く眠ることはできなかったようで、皆目の下にクマをつくってやつれている。
「ごめん眠りネズミ。さすがにあたしもうざくなってきた・・・・・・」
「オレは昨日からうざいってーの! 眠りネズミの名が聞いて呆れるぜ」
「私は家に貴方を招待したことは一度もありません」
「わたしも昨日全然眠れなかったぁ・・・・・・。こんなの紳士って言うより・・・・・・ただの姑かよっ!!!」
カチッ
白兎がチエノミを食べてから、ちょうど24時間が経った。白兎がバタリと倒れて、三月ウサギがワタワタと駆け寄る。再び白兎が目を開いたとき、抱き起こす形になった三月ウサギの顔が白兎の眼前にあった。
「なんと・・・・・・私は夢を見てるのか? 愛しの三月の顔が目の前にあるぞ? しあわせな夢だ」
「ああそうだよ、全て夢物語だよ。白兎がもっと静かになったらいいと思ったけど、ベクトルが違うだけでやっぱり煩いよ。だから、早く戻れ」
「もう一眠りするから、少しまっとれ・・・・・・」
************
――悪夢なんて言いたくないけど、あれはわたしにとっての非日常だった。・・・・・・いや、やっぱりただの悪夢だったのかも。
あれからしばらくして起き上がった白兎はいつもの通りで、わたしはまたいつもの逃避を始めるんだけど、まあ、つまりはわたしの日常が戻って来たわけで。
今日は、どの道からアリスの住む家に行こうか。あっちと見せかけてこっちと考えてるだろうからそっちかな。あれ、蜃気楼の向こうに誰かいる・・・・・・あのシルエットは間違いないああああああくうぅるうぅなあああぁあああ!!!
End.
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