「ねー、隆文ー」
朝からほとんど休むことなく合唱を続けるセミたちに賞賛半分、うんざり半分な気持ちで、木製のローテーブルを挟んで目の前に座る人物に話しかけた。暑い。
「なんだよ?」
「クーラー入れ、」
「却下」
「なんで」
「そりゃあれだ。夏は暑いものだからな」
「いやいやいやいや。確かに夏は暑いよ。暑いけどね?さすがにこんなに暑いと蒸発しちゃうよ、あたし」
「おー、しろしろ。できるもんならしてみ」
「うっわ何それ、隆文のくせに生意気。幼稚園からずっと一緒の幼なじみに優しくしようとか労ってやろうって気持ちはないわけ?」
「俺は地球に優しいんだよ」
「ああなるほど。髪の毛緑色だもんね」
「るせー」
会話が一段落したところで再びセミの大合唱が始まる。といっても、あたしたちが喋っている最中も続いてはいたのだけど。
文字通りうだるような暑さと、外で反響する鳴き声に若干意識が遠のきかけたあたしは、手にしていたシャーペンを置き、一言断ってから寝転んだ。畳の匂いと冷たさが心地よい。
毎年、夏休みになると、あたしと隆文はどちらかの家に入り浸る毎日になる。大量の課題を手分けして片付けたり、徹夜でゲームをしたり。時にはご飯をごちそうになったり、したりすることもある。家がお隣さんであるとか、お互いの両親が学生時代来の友人であるなどが深い交流の所以なのだろう。
そして今日は朝から隆文が課題を手に、あたしの家に転がり込んでいた。学科が同じなので、それぞれがそれぞれの得意科目を担当している。あたしは英語を、隆文は数学をという風に。しかし朝の涼しい時間帯から取り組んでいるというのに、なかなかどうして量は減らなかった。
「うー…あっつぃー」
仰向けのまま右手だけをテーブルに伸ばしてノートの隙間から下敷きを引きずり出し、申し訳程度の風を生み出す。あまり涼は得られなかったが、それでも何もしないよりはましだった。
「つーかさ、」
「うーん……?何、」
私の唇が声を発さずに“よ”の形を作ったまま固まる。目の前に広がるのは、とてもよく見慣れた――緑色のあたま。天井どこいった。いや、そこにあるけどさ。
「たか、」
「お前さ、もう少し警戒しろよな。いくら気の置けない“幼なじみ”の前だからって、キャミソールに短パンってどうなのよ?」
「…え、だって、隆文は隆文だし…これは部屋着…だし……、」
だってだってと口ごもる。だって、そうなのだ。隆文は隆文なのだ。それ以外のなにものでもない。
きらり、隆文の眼鏡が反射し、あたしは思わず固く目を瞑った。
「へえ?…でもそんなこと言ってっと、
俺に食われちゃうぜ?」
耳元で囁かれ、戸惑ったあたしは全身を強ばらせる。どくどくとこめかみが脈を打ちうるさい。心臓が早鐘のようだった。
「……っ」
それからどのくらいの時間が流れたのだろう。数秒か数分か、あるいは数十分か。それはとても長いように感じた。セミの鳴き声が耳に痛い。
沈黙に耐えかねておそるおそる目を開けると、盛大に噴き出された。
「…ぷっ。あはははは!なーんてな!」
「……え?」
隆文が体を起こしあたしから離れていく。その時僅かながら温い風が二人の隙間に生まれた。
「今のは“優しい幼なじみ”の俺からの忠告だ。お前、元男子校に通ってるってこともう少し自覚した方がいいぜ」
「え、」
「つーわけで、ちょっくらアイス買って来るわ」
隆文はお腹を抱えて笑いながらあたしの頭をめちゃくちゃに撫で、その後、やけに爽やかな笑顔を残して部屋を出て行った。
しばらく呆気にとられていると、窓の外からあたしの自転車のベル音が聴こえた。
「…あんにゃろう、また勝手にあたしの自転車を!」
床から起き上がり窓から下を覗くと、赤い自転車を立ちこぎする緑あたまが見えた。
窓から怒鳴ってやろうかとも思ったが、近所迷惑になるし、何よりそんな気力は今のあたしにはなかった。ぽすんと力なくベッドに座る。汗で額に張り付く髪がうっとうしかった。
ああそうだ。
「…………とりあえずクーラーを入れよう」
そうしよう。きっと今頭の中がぐちゃぐちゃなのは暑さのせいだ。きっと今何も考えられないのはセミたちの合唱のせいだ。そうなのだ。
無理やり納得させたあたしは、ベッドサイドに置いてあったエアコンのリモコンを取りスイッチを入れた。
君が異性に変わってゆく
このどきどきは、きっと、暑さのせい
■あとがき
「詩の中の物語」様に提出。
鈍感な幼なじみ夢主にやきもきする犬飼を目指したのですが…や、やきもきしているのか…?
犬飼は、普段おちゃらけているくせにどこかで急にスイッチが切り替わり、でもそれでも相手になかなか気づいてもらえずにやはり悶々とする…とかだと嬉しいです。個人的に。
早く犬飼が報われることを祈るばかりです。
梨乃様。
この度は素敵な企画に参加させていただき、本当にありがとうございました!
みかん
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