04 ユウリは夜型人間だが、その日は妙な寝心地に、いつもならほとんど眠っている時間帯である午前7時に目を覚ました。 色のない白い日差しが、カーテンの隙間からベッドを照らしている。 ユウリはぼんやりと上半身を起こすが、「…うッ」刺すような頭痛が奔り、額を両手で押さえた。 ―――そうだ、私、昨日…。 二日酔いの頭痛とともに、徐々に記憶が蘇ってくる。 店でめちゃくちゃ飲まされて、ジョルノが家まで送ってくれて―――、と、そこまで思い出したところで、ハッとする。ベッドにあるもうひとつの体温。規則正しい小さな寝息。 「………ジョル、ノ…」 マジか、と思った。 ジョルノはユウリに背を向ける形で、薄手の毛布にくるまって眠っていた。毛布から出た肩は裸である。マジか、ともう一度思った。 ―――まさかヤッちゃったりしてないわよね!? ユウリは思わず、自身に掛かっていたブランケットをあわてて剥ぎ取り、自分の着衣を確認した。 寝乱れてはいるが、昨晩と同じシャツにスカート、それに下着もちゃんと着けている。ユウリはホッと胸を撫で下ろした。いくらあれほど泥酔していたからといって、酔った勢いで未成年に手を出してしまったのでは、いい年の大人として面目が立たない。 ―――ビックリした…。ていうかジョルノ、あのまま帰らなかったんだ…。 『キスしてもいいですか』『ユウリを抱きしめて眠りたいな』 そう言った昨晩のジョルノを思い出すと、顔が急に熱くなる。酔いが醒めて一晩経った今でも、少年の素直な求愛は胸に刺さったままで、ひどく苦しい。口では断っているのに、曖昧な態度ばかりとってしまう自分にも嫌気がさす。 「……ん……」 ジョルノが寝返りをうって、眠ったままの顔をこちらに向けた。 朝日を受けて眠る彼の美貌は凄まじく、まるで彫刻のような造形美だった。まつ毛の落とす影から肌のキメまでもが繊細で、美しい。天使が存在するのなら、こういう姿をしているのかもしれない。 白く、ちいさな額をそっと撫でる。中途半端な態度で接しているせいで、きっと何度も傷つけただろう。 ―――お礼をしなくちゃね。 気持ちに応えられなくても、まずは些細なことでも、自分にできることをしよう。 ユウリは立ち上がろうと、腰を持ち上げた。しかし、 「……?」 ぐ、と。眠ったままのジョルノが、腕を掴んで離さない。 寝ぼけているのか、大した力ではなかったが、振り払うのがなんとなくためらわれた。小さく寝息をたてていた唇が、かすかに動く。 「………行かないで」 「!」 曖昧な寝言だったが、その一言はユウリを金縛りにした。 ユウリが動けないままでいると、やがてジョルノの腕は脱力し、ユウリを解放した。ジョルノはふたたびすやすやと穏やかに眠りはじめ、ユウリは今度こそベッドから抜け出した。 ―――今のって………。 そういえば、ジョルノの私生活や過去について聞いたことはなかった。あれこれ詮索するのもイヤだったし、この組織の王である、彼の抱えるものの片鱗を、自分なんかが覗いていいのかと思ってもいた。 ―――けれど。 行かないで、と腕を掴んでくるジョルノはまぎれもなく、ただの少年だった。あの瞬間の彼は見た目以上に幼く見えた。 あんなに切なげで、―――そう、まるで、母に縋るような声で。 「…ジョルノ」 胸の奥が、切なく疼いた。 あんな姿は、下手に直球でアプローチされるよりも効果がある。 ユウリはジョルノに毛布をかけ直してやると、音を立てないよう、そっと寝室を後にした。 ・ ・ ・ シャワーを浴びて、フェイスパックで肌を整えながら、髪を乾かした。 化粧をし終わる頃には、二日酔いの頭痛はすっかり軽くなっていた。もともと酒にはめっぽう強く、二日酔いもあまりしない方だった。 ペイズリー柄のエプロンを巻き、キッチンに立つ。 溶き卵をフライパンに落として軽くかき混ぜ、適度に火を通す。カリカリに焼いたベーコンとサラダのプレートにスクランブルエッグを盛り付けて、トースターから焼けたクロワッサンを取り出した。 「…ユウリ」 「あ、ジョルノ。起きたのね」 朝食の匂いにつられてか、上半身裸のまま、寝ぼけまなこのジョルノがやって来る。のろのろとキッチンに足を踏み入れ、おはようございます、とユウリの腰を抱いた。ひゃ、と皿を持つユウリの手が揺れる。 「…お、おはよう、ジョルノ。…あの、離して…」 「イヤです。僕が寝てる間にいなくなるなんて、ひどいです、ユウリ」 「…えっと、あの…」 そもそも私は同衾を断ったはずだ。とは、とても言えない。 「…いい匂いがする。朝食、作ってくれたんですね」 「そんな大層なものじゃあないけど。食べる?」 「食べる」 名残惜しそうにユウリの腰をひと撫でし、ジョルノは木製のダイニングチェアに着席した。 比較的大きめな長袖Tシャツをユウリから受け取ると、頭からかぶって着替える。ユウリの香水ではなく、落ち着いた柔軟剤の匂いがした。 ジョルノはサラダとスクランブルエッグのプレート、クロワッサン、オレンジジュースの置かれたテーブルを、キラキラした瞳で見ている。お世辞にも手の込んだ朝食とはいえないが、それでもジョルノは嬉しかった。 こうして誰かがきちんと朝食を用意してくれるなんてことは、ここ数年、記憶にない。ましてや義理の父親に冷たく硬いパンを投げて寄越されていたことに比べれば、ユウリとの食卓は天国のようなものだ。 「いただきます」 「どうぞ」 食事を前に、律儀に手を合わせるジョルノ。そんな彼を見て、そういえばジョルノは半分日本人の血が入っているのだと思い出す。いつか彼が言っていた。さて、あとの半分は、どこの国だったか。 ジョルノは上品にクロワッサンをちぎって口へ運びながら、ユウリに視線を送った。 「昨日はすごく良く眠れました。ユウリを抱きしめて寝たおかげかな」 「…ちょっとそれ、よそで絶対言わないでよ」 ふふふと曖昧に微笑み、ジョルノはクロワッサンを飲み込んだ。 「おいしい。パン、もっと貰ってもいいですか」 「もちろん」 ユウリ自身、朝食はあまりしっかり摂る方ではなく、どれくらいの量を用意したらよいのかわからなかった。幸い、クロワッサンは沢山ある。近所の美味しいパン屋のものだ。 トースターで焼いたクロワッサンをジョルノの皿に移し、空になったグラスにデキャンタのオレンジジュースを注いでやる。職業病もあり、つい甲斐甲斐しく世話を焼いてしまう。 「なんだか新婚みたいですね」 「ぶっ!」 ジョルノが突然そんなことを言ったので、ユウリはオレンジジュースを吹き出しそうになった。ゲホゲホと噎せながら、なに言ってるのよ、と胸元を押さえる。 「すみません、つい。…でも嬉しいです。もっと怒られるかと思ったから」 「怒るって…?」 「ほとんど無理やり家に押し掛けましたし、帰れって言われたのに、そのまま寝ちゃいましたし」 フォークで炒り卵をつつきながら、ジョルノは所在なさげに俯いた。 ユウリの胸がまた、キュンと疼いた。本当に、この少年のこういう表情に弱いのだ。 朝目が覚めて、隣で彼が寝ていたときには確かに「マジか」と思ったが、元はといえば原因はあれだけ酔いつぶれていた自分にある。ジョルノはそんなユウリを介抱して、家まで送り届けてくれたのだ。ユウリにジョルノを責める権利などない。 ユウリは眉を下げて微笑むと、いいのよ、と言った。 「怒るわけないでしょう。ジョルノは私を助けてくれたじゃない」 「…でも」 それは下心もあったので、とは、さすがのジョルノも言えない。 「まさかジョルノが泊まってるとは思わなかったから、びっくりしたけど。それでもこんなところまで送ってくれて、助かったわ。なにかお礼をしなくちゃね」 「お礼」 ぴく、とジョルノの耳が一瞬、反応した。先ほどまでのしおらしい表情から一変して、なにか期待するようにキラキラと目を輝かせる。 急に目つきの変わったジョルノに、ユウリはあわてて「付き合うとか結婚とか、そういうのはダメよ」と付け足す。 「ちっ」 「ちっ、じゃないわよ」 酔っ払いの介抱と送迎の見返りに婚姻を要求されてはたまらない。まったく、とため息をつき、ユウリはクロワッサンをちぎって食べた。 ややあって、思いついたようにジョルノが言った。 「じゃあ、ユウリ。僕とデートしてください」 「いいわよ」 即答するユウリに、ジョルノはおや、と目を瞬かせた。 「良いんですか?」 「デートくらい、いいわよ。これでも結構ジョルノのこと信用してるの。一晩同じベッドで寝てたのに、なんにもしてこなかったしね」 「そんな軽率なことしませんよ。そもそも僕、童貞ですし」 「ふふ、なに言ってんの」 あははと笑ってみせるユウリだったが、ジョルノが真剣な表情で「冗談なんかじゃあありませんけど」と首を傾げるので、えっ、と笑顔を貼り付けたまま固まった。 …童貞。それがイタリアンジョークではないと悟ったとき、ユウリは本日何度目かの「マジか」と思った。 続 2019.04.10 |