02.追いかける(ギアッチョ)

 ―――なんでも良いからキッカケが欲しかった。

 ギアッチョは間違ってオーダーしたクソ甘いカフェオレを啜った。
 甘すぎんだよクソッと悪態を吐きながら、窓際の席を見やる。パンツスーツ姿の若い女が、ノートパソコンをタイプしながら座っていた。

 ―――らしくない、と自分でも思う。

 なにしろ、ギアッチョはその女がなんという名前で、どこに住んでいるのかも知らないのだ。

 お前そんなキャラだっけ? もっとグイグイいけよな! と、メローネやプロシュートにはそれをネタにいじられる日々だ。
 今まで付き合ってきた女たちはどうやって引っかけていたっけ?
 もはやそれすら曖昧だ。なぜだか彼女を前にすると、ギアッチョはなにも言い出せなくなってしまう。

 凛とした雰囲気の横顔は美しく、近寄りがたい。ギアッチョは眼鏡越しにそのツンと高い鼻筋を見つめた。

(チクショ〜〜〜、イイ女だなァクソ〜〜〜ッ)

 半ギレでコーヒーカップを握りしめる。
 と、窓際の彼女は姿勢よく立ち上がってノートパソコンを片付けはじめた。どうやら退店するらしい。
 まさかとは思うが、舐めるように眺めていたのがバレたのだろうか。

(あ〜クソ、いいケツしてんじゃあねーかッ)

 彼女が歩くたびに、パンツスーツが腰や尻、太もものラインを拾ってなんとも煽情的だ。店内の男たちがみな振り返っている。

(クソ野郎ども、見せもんじゃあねェぞ!!)

 ギアッチョが男たちを威嚇しているなどとは露ほども知らず、その女はカフェの出口へ向かう。
 ああ、また今日も声を掛けられなかった―――

 クソッなさけねェ、と思っていると、
「オァッ!?」
 後頭部に強い衝撃があった。

「きゃっ!? ごめんなさい!」

 振り返れば、なんと彼女ではないか。ギアッチョの後頭部にぶつかった拍子で、カバンを落として中身をぶちまけていた。

「マジか!!??」
「えっ?」

 ギアッチョからしてみれば願ってもないアクシデントだ。
 ぶつけた頭は痛かったが、すぐに椅子から飛び退いて荷物を拾うのを手伝った。
「あら」女は意外そうな顔をした。

「優しいのね。いつも怖い顔してたから、意外だわ」
「ンだとォ!?」
「あはは! そうそう、そういうイメージ」

(わ、笑った!! かッ、かわッ、かわ…!!!)

 ギアッチョの顔じゅうに熱が集まる。耳まで熱くて、ギアッチョは眼鏡のブリッジを上げるふりをして、さりげなく顔を隠した。

 そうこうしているうちに女は荷物をすべて拾い、どうも失礼しました、と可愛らしく言って店を出た。

 ―――なんだかんだ言って、今日も結局、名前すら聞けなかった。
 ギアッチョはチッと舌打ちしてテーブルに突っ伏した。

(クソッ…)

 しかし、ふと、床に落ちているハンカチに気づく。
 紺色の生地に、レモン色の花柄。あの女の物だと瞬時に悟った。

 ぬるくなった甘いカフェオレを一気に飲み干して、ギアッチョは立ち上がった。きっと彼女はまだそう遠くへ行っていないはず。

 ―――これは、やっと巡ってきたチャンスだ。
 ギアッチョは急いで店を出ると、きょろきょろと往来を見回した。焦がれた小さな背中が遠くに見える。走ればまだ間に合う距離だ。

 ―――クソがァ、絶対ェ俺の女にしてやっからな。

 ギアッチョが走り出した数十メートル先で、スーツの女は上機嫌に歩く。



(…さて、カレは追いかけてきてくれるかしら?)

 彼女の打算など、ギアッチョは知る由もない。




2019.05.06

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