16.ときめく(ブチャラティ/花鳥風月)

 退院後、行くあてのなかった私は、そのままブチャラティの家に転がり込んだ。
 料理や洗濯、掃除…家事全般をこなしながら彼の帰りを待つ日々はとても幸せだった。

 くつくつと煮込んだシチューをかき混ぜていると、ガチャ、と玄関のドアが開く音がした。私は火を止めて、玄関へ向かう。

「おかえりなさい」
「ああ」

 ブチャラティはいつも私の姿を見て、どこかホッとしたような顔をする。きっと他の人にはわからないであろうその一瞬の隙が、私はとても好きだった。
 今日はどこに出掛けたとか昼に何を食べたとか、他愛もない話をしながらリビングへ向かう。彼はソファに座り込むと、私の腰を抱いて膝の上に導いた。

「どうしたの? ゴハンまだ食べなくていいの?」
「…いや、もらおう。だが今日、仲間達とお前の話をしてた。そしたら」
 私は顔がにやけるのを堪えきれなかった。
「ふぅん。私に会いたくなったんだ」
「ああそうだ。どうかしてるだろ、お前は毎日この家にいるってのに」
「いいんじゃない、そういうのすごいスキ」

 視線が絡み合って、キスをする。
 普段の彼はまるで壊れ物のように私を繊細に扱うけれど、こういう時の彼はけっこう強引で、それがまたたまらなかった。

「んっ…、ふ…、ブチャラティ…っ」

 逃げ道を奪うみたいに首の後ろをがっちりと掴んで、舌を絡めてくる。ブチャラティの舌の動きに応えると、彼はまた興奮したのか、私の髪をくしゃっと掻き乱した。

「んッ…、はぁ…」
「…なぁ、………」
「どうしたの?」

 お互いの頬を両手で挟んで、見つめ合う。「なんだったかな…」とブチャラティは言葉をひとつひとつ拾い集めるみたいに言った。

「………“ア”…」
「?」
「 ア イ シ テ ル」

 それはまるで2歳児が覚えたての言葉を話すみたいな発音だった。
 けれどその五文字の言葉は弓矢となって私の胸に深く刺さった。
 アイシテル。愛してる―――。
 ブチャラティは確かにそう言った。―――私の母国の言葉で!

 反応のない私に、ブチャラティは「間違ってたか?」と額をくっつけてきた。そのままの状態で首を振って、ちゅっと小さくキスをする。

「…合ってるわよ! びっくりしたのと嬉しいのとで固まってたの。ねえ、もう一回言って」
「合ってたか。別に良いが、妙な感じだな」

 そう言って苦笑をこぼすブチャラティに、私は「ねえ早く」と駄々っ子のように強請る。ブチャラティがフッと脱力したように笑う。

「何度でも言ってやる、………“愛してる”」

 耳元で囁かれる、子どもみたいな呂律が愛しかった。



終 2019.06.01

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