14.別れる(わんこリゾット)
古いチャペルを改装した展望台。大きな黄金色のウエディングベルは地に降ろされ、その周りをぐるりと花壇が囲んでいる。花は1年を通して咲き乱れ、観光客を色とりどりに出迎える。
展望台の向こうには美しい地中海が広がり、よく晴れた今日みたいな日には、空と海との境界線すら曖昧だ。
何組ものカップルに紛れ、私とリゾットは国内でも有名な恋人岬と呼ばれる観光地に訪れていた。
「あー、見てリゾット! クレープ売ってる。食べよっかな」 「さっきジェラート食っただろう。太るぞ」 「胸から太る体質だからヘーキ」 「………だから余計にダメだ」
クレープ販売のワゴンへ向かおうとする身体をがっしりと抱き止められ、動けなくなる。大型の成犬は力が強くて、私はいつもいいようにされている。
「わかったわよ。じゃあ、あの柵のほう行こう。私も南京錠つけたいな」
恋人岬はその名の通り、恋愛成就のパワースポットだ。展望台からほど近くに設置された柵には、沢山の南京錠が掛けられている。南京錠に恋人同士で名前を書いたり、片思いの相手の名前を書いたりして、この柵に取り付けるのだ。この手の観光名所は世界中いたるところに存在する。
こんな場所に飼い犬と来るくらいだ、私に恋人はいないけれど、もしかしたら縁結びの神様が良い人と引き合わせてくれるかもしれない。南京錠は一種のおまじないというか、いい気休めだ。
「リゾット、ここで待ってて。南京錠買ってくる」 「おい待て」
強く腕を引かれ、背の高い飼い犬を振り返った。今度はどんな文句があるというのか。 リゾットは尻尾を垂らしたまま真面目な顔で言う。
「ここでは恋人同士で錠を掛けると別れる、というジンクスがあるそうだ」 「えぇー? なにそれ。初めて聞いた」 「先ほどあそこの女が話していた」
リゾットの視線の先にいるのは、クレープを食べる若いカップル。リゾットは耳が良い。少しくらい離れた場所での喋り声も、難なく聞き取ることができる。
恋人同士で南京錠を掛けると、そのカップルは別れる―――、それはこういう場所ではわりとよくあるジンクスだった。
「別にヘーキ。ていうかそもそも恋人同士で来てるわけじゃあないし、別れるも何もないわよ」 「…………何だと?」
途端、リゾットの耳と尻尾の毛がブワッと逆立った。やべっ、怒った?
「リ、リゾット? なんで怒って………ンっ!」
人目があるにも関わらず、リゾットは私を強く引き寄せると、噛み付くようなキスをした。鋭い犬歯で唇の裏を甘噛みして、じゅるっと音を立てて乱暴に唇を吸う。
「んっ、んぅぅ… リ、リゾッ、…!」 「…は…っ」 「…ひ、ひとが見てる…っ! ダメ…!」 「そんな理由か」
リゾットの低い声が、キスでとろけた頭にジンジン響く。やばい、この犬、いつの間にこんなエロくなったんだろう。しかも私のことを恋人だと思っているなんて。そういう線引きは教えてこなかった。私の落ち度だ。
「…お前はどういうつもりで俺をここへ連れてきたんだ」
ただの観光ですけど! とは言えない。 どうりで行き先を告げたとき、やけに尻尾を振っていると思った。 「えーっと…」リゾットの腕に抱きすくめられながら、私は現状を打開する一言を懸命に考える。しかし気の利いた言葉なんてひとつも思い浮かばない。
「ねえ見て、あそこのジャーマンシェパード、すごいイケメン」 「ほんとね! 体つきもヤバーい!」 「ご主人様もすごい綺麗。お似合いの2人よね」
リゾットの耳がピクッと反応した。私には不確かな騒めきにしか感じられなかったけれど、リゾットにしか聞き取れない何かがあったのだろうか。 なんにせよ、機嫌を直したらしいリゾットの尻尾がゆるゆると左右に動きだしたので、私はホッと胸を撫で下ろした。いるのかわからないけれど、とりあえず恋人岬の神様ありがとう。
終 2019.05.28
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