※捏造






砂を払って座れば、古びたブランコの鎖は耳障りな音を立てる。サッカーボールを抱え込み、音楽プレイヤーに繋いだわけでもない形だけのヘッドホンを耳に押し当てた。それだけで周囲の音が大分遮断されて気分が良い。
父が与えてくれたヘッドホンは何年も使っていたせいでコードが駄目になってしまったけれど、何故だか捨てられずにいた。フォルムは確かに気に入っていたが使い物にならないものを残していても仕方がない、のに。他のヘッドホンを買うことも出来ないまま、音の流れないそれを使い続けていた。


まだ狩屋に"家"があった数日前、父と母は何度か言い争いをしていた。互いの罵声が混じるそれはとても不快で嫌いで、そんな時このヘッドホンは唯一の救いとなった。今まで聞いたことのないような両親の醜い声を遮断してくれた。両手で耳を覆うより、それはずっと効果があったのだ。狩屋の世界を、精神を、守ってくれるたったひとつ。それがこの古びた機械だった。


夕日も沈み辺りが暗くなっていく。冬の日暮れは早い。そろそろ帰らなければ、そう思って立ち上がると周囲の子供が母親の手を引いているのが目に入った。何を話しているのかは聞こえないが楽しそうにわらっている。狩屋はぐしゃり、顔を歪ませ再度ブランコに座った。膝の上のボールを右手で抱え、左手は強く耳を塞いだ。そんなことをしても音楽は流れず、ただヘッドホン越しにがさがさと乱雑な音が聞こえた。
今思えば、父と母は自分を手放すか否かを争っていたのかもしれない。そうだとしたら、自分はあの話を聞いていた方が良かったのではないか?そうしたら、話を聞いていれば、置いていかないでと縋っていれば、何か、何かが、変わっていたのではないだろうか?そうすれば、そうすれば、そうすれば?


「マサキ」


ぱちり、目を開けた。いつの間に時間は過ぎていたらしく、辺り一面の薄暗い藍の中、似つかわしくない赤が其処にあった。皺の寄ったスーツ、冬にも関わらず滴る汗、呼吸の度に肩は上下している。
狩屋はぼんやりとその人物を見上げた。覚えのある赤だったが、名前を思い出すことが出来ない。
彼はゆっくりと手を差し出し、狩屋に向けてわらった。

「マサキ、帰ろう?」


「………どこに?」


ぽろり、咄嗟に口から漏れた言葉と共に雫が零れる。それはじわじわと狩屋の胸中に溜まっていたなにかの集大成のようで、胸の内に押し込め忘れようとした現実を思い出させる。そうだもう、家はないのだ。
ある限りの記憶と知識を引きずり出し辿り着いた家には名がなかった。置いていかれた狩屋にはもう、帰る場所なんて何処にもない。狩屋マサキが存在した証はなくなってしまった。父も母も家も物も何もかも。
ヘッドホンだけは狩屋の過去を証明する唯一だったが、それは狩屋の喪失感に蓋をしてはくれなかった。狩屋は、空っぽだった。音のない世界で、塞がれた世界で、何もない中で、一人きりで。

「マサキ、」
「…俺、…俺………」

外灯は電気が切れかかっているのかちかちかと点滅を繰り返し消えてしまいそうだった。だがぷつり、灯りが途切れた瞬間、闇夜の中でも深紅は消えることなく、狩屋をゆっくりと腕の中へ抱き入れた。暗い暗い世界の中、彼の話す声が、ヘッドホン越しでもはっきりと聞こえる。


「帰ろう、マサキ。俺と一緒に」


ヘッドホンが外れる。風のなびく音、木の揺れる音、遠くで聞こえる車の走行音、そして彼の心音。
世界に音が溢れて騒々しい。それなのにまた耳を塞ぐ気は起きず、狩屋の瞳からは後から後から涙が溢れて止まらなかった。ブランコの耳障りな軋みですらたまらなく愛しくてたまらなかった。音にまみれた闇の中で、緋色は温かく狩屋を包み光っていた。



【闇夜に輝く一等星】

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ト.リノ/コシ.ティっぽいなぁと書いてから気付きましたわーお
一応ヒロトと狩屋のつもりです
書きたいもの詰め込みすぎていっぱいいっぱいになった気はしますが物凄い達成感と満足感でいっぱい