時計の進む、音がした。





「────!」

瞬間、剣城優一は何かに弾かれるように瞬き目を開いた。
白い壁、天井。無地のシーツ。もう何年も過ごしている病室を、思い出すかのように優一は何度も見渡す。何故そのようにしてしまうのか、自分でもわからない。外から聞こえる鳥のさえずりや木々のざわめきも、いつも以上に大きく耳に響いた。まるで特別な何かであるように。はたまた、初めてそれに気付いたかのように。優一は余すことなくゆっくりと、五感の全てを使い感じ取った。
こんな物だっただろうか。脳裏を過る感覚を、けれどもすぐに振り払う。毎日毎日、いつ何時も共に存在した物に対してそんな感情を抱くなど不可解だ。優一は再度、瞼を閉じ眼を開く。何も変わらない。いつもの通り、だった。

「兄さん、入るよ」

その声と同時にコンコンと、申し訳程度に軽く聞こえたノック音に顔を上げれば来訪者は返事を待たず優一の部屋に足を踏み入れた。それを咎めることなどするわけもない。見知っていると言うのも馬鹿馬鹿しいほどよく知っている人物だ。

「おはよう兄さん」
「京介、…学校は?」
「これから行く。今日は朝練がないから寄ってみたんだ。具合はどう?今日もリハビリやるんだろ?」

言いながら彼は窓際に立ちカーテンを勢い良く開いた。まだてっぺんに昇りきっていない朝日が、それでも夏の力を借りて強く室内を照らす。背筋を伸ばし佇む弟が、いやに眩しく優一には映った。

ぽつり、胸に浮かんだ言葉が、何にも引っ掛かることなく口から零れ出る。

「………京介」
「? 何、兄さん」
「サッカーは、楽しいかい?」

問い掛けてからすぐに、それが酷く残酷な質問であることを思い出した。決まりきったことであると同時に、自分の足について京介に当て付けているようではないかと考えたのだ。
何故、こんなことを、今更。やっぱりいい、そう破棄しようとした優一だったが、口にする前にそれは阻まれた。穏やかな返答が、それを阻んだ。

「何だよそれ。────…楽しいに、決まってるよ」



(───……わらっ、た)

涙が溢れたのは、彼が帰ってからのこと。幾つも幾つも頬を伝うそれは止まることを知らず輪郭をなぞり落ちていく。ぽたぽたと零れてはシーツを濡らした。
赦されたような気がしたのだ。楽しいとわらった彼に、柔らかな世界に、自分の中の何かが認められた気がした。何が、などとはわからなかったけれど。これで良かったのだと。間違いではなかったのだと。


漏れる嗚咽を掻き消すように、窓の外で樹木が揺れた。



【トゥルー・ハッピー・エンド】

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たとえパラレルワールドが幸福な世界であったとしても、優一さんにとって真の運命はこれだったのでしょうね