※イナクロ三話






本当に、構わないのか。


目の前にいる人物は俺にそう問い掛ける。もう何度も同じような質問をされ、その度に同じことを考え、ひとつの決断に到達するのだった。構わないよ、そう言って俺はわらう。
迷いも何もない。こうすることが、最善なのだから。



俺の人生は順風満帆だった。大好きなサッカーを思い切りやって、頼れる仲間や先輩や後輩、周囲の人間には恵まれて、進学だってサッカーのおかげで良いように決まっていた。俺は毎日に満足し、心配することなど何もなかった。ただひとつ、京介のことを除いては。
俺のこの人生がこんなにも充実し楽しいものになっているのは、あの時京介が俺にサッカー留学を譲ってくれたからだ。京介が俺と同じに、いや、もしかしたら俺以上にサッカーを好いていたことは、兄である自分が誰よりもわかっていた筈だったのに、幼かった俺は目の前のチャンスを手にしたいという欲に負けて、弟からサッカーを奪ったのだ。
今思えば最低な兄だったと思うが、京介はそんな俺のサッカー留学を心から祝し、俺の活躍をずっと見守ってくれた。嬉しかった半面、俺はずっと思っていたのだ。これで良かったのか、俺だけがこんなに上手くいって良かったのかって。京介を犠牲にしてるみたいな生き方で、本当に俺は良かったのか、って。


そんな俺の前に、この人は現れた。
この人は俺に、信じられないようなことを次々と告げた。ここではない別の、いや、本当の世界なら俺は、木から落ちそうになった京介を助けて足が動かなくなったこと。サッカーが出来ていないこと。京介が、俺の分もサッカーを頑張ってくれていること。そんな彼の周りにはたくさんの仲間がいること。京介が、わらっていること。
それは今の俺の人生と比べると何倍もつらく苦しい世界だと思った。けれど、何故だか俺は、これが正しい道だと、これが一番良い未来なんだと、はっきりと悟ったような、そんな気がしたんだ。
俺は頼んだ。貴方が言ったような本来の世界にはどうやったら戻ることが出来るのか、そのために俺は何が出来るのか。出来ることなら何だってやらせてほしいと。
それに対して返された言葉が、これだった。


『本当に、それで良いのか?』
『この世界に戻れば、お前はサッカーが出来なくなる。本当にお前は、それで良いのか?』


そう、確かにその世界に変わってしまえば。俺が今まで経験した人生は全て消え去ってしまうだろう。周囲にいる仲間も、これから広がる明るい未来も、全てが消えて無くなってしまう。サッカーをすることは勿論、足が動かないということは、日々の生活だって満足には出来ない、そんな人生───────



でも、それでも良い。今こうやって、京介の幸せを奪って生きているより、その方がずっと、俺は俺らしく胸を張って、京介の兄ちゃんとして生きていける。
だから。だから、




「構わないよ」


俺は自分自身に言い聞かすように再度そう言い放った。腕に嵌められたリングを、確かめるようにぎゅ、と掴む。
きっと俺がこうしたことを知れば京介は怒るだろう。どうしてこのまま幸せな道を進まなかったのかと、罵倒するかもしれない。でも、これで良い。これで、良いんだ。


(ごめんな、京介)
(やっぱり、京介の幸せが、俺の幸せだから)





(今まで俺を、幸せにしてくれてありがとう。)






時空が歪む。始まりの瞬間に、俺は目を閉じた。



【貴方のおかげで幸せでした】

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剣城兄弟に涙が止まりません