「……もしも、さ」


目の前で、漫画を読みふけっている棗くんに、突然話を振った。
もちろん漫画から顔も上げず、返事もしない。
それを知っていたのちで、話を続けた。


「もしも、私が任務で記憶を無くしたら…」


どうする?と言葉を繋げた。
棗くんはやっと顔を上げて、私を見たまま何も言わない。
私は、そんな棗くんに小さく笑って、棗くんの部屋から見える外の景色に視線を移した。

大空に向かって、羽を広げて自由に飛び回る鳥を見て、羨ましいと思った。
私もあんな風に自由だったら…。そんな事を、何万回思っただろう。


「…お前は、そんなヘマはしねぇよ」

「そう思う?」


首を傾げて棗くんを見ると、私の目を真っ直ぐ見て、ああと答えるとまた視線を漫画に戻した。
それからまた黙った棗くんに呼びかけると、今度はちゃんと一回で私の目を見てくれた。
私ね、そう言った時の声は震えていて、視界も揺れて、それから後の言葉がなかなか出てこない。

認めるのが怖い。そう考えてしまう自分が怖い。出来ることなら、今すぐ逃げてしまいたい。任務で記憶がなくなる可能性なんて、認めたくも、考えたくもない。
なのに、頭のなかで巡るのは、大切な人たちとの記憶。死ぬ間際に、よく走馬灯のように…なんて言うけれど、本当にそんな気分だった。
失いたくない。この記憶全て。
だけど、一秒ごとに時間は近づいていってしまって……。


「私ね、あともう少しで……任務、行くんだ」


そう言い終わる前に、棗くんの温もりが、私の体を包み込んでいた。
バサリと、スローモーションのように漫画の落ちる音。
チクタクと、秒針音が頭の中に響き渡る。
目を閉じれば、一粒の涙が零れ落ちた。


涙に願いをのせて
お前が忘れても俺は忘れねぇし、思い出させてやる。と彼は言った。



20110611