人生というのは何があるか分からないものだ。
良いところまで来た女と必ず上手くいかないし、安月給に悩んでいた俺が急に王都から徴集がかかったり。良いことも悪いこともある。中には良いのか悪いのか分からない奇妙なものもある。

王都に来て一番はじめに俺を酒に誘ったのは同じ仕事をするランドではなく、上から数えた方が早いくらいこの国で何番目かに偉い宰相サマなのは、やっぱり何が起きてもおかしくない。

その日も俺は一日門番をしていた。いつもと違うことはなかった。強いて言えばよぼよぼのお婆さんが持ってきた、朝廷と王宮御用達の茶菓子を危うく全て廃棄物にしかけたが、ランドのおかげで何とかなったくらいだ。まあ普段の数倍疲れていたが、幸いにも明日はこの仕事はじめて初の休日だった。
もちろんこの朝廷は、国の政を行う場所だから門番は毎日必要になるのもあり、休みは基本的には不規則になってしまうらしいが、それでも地方の時より休みの日数は増えることになる。無理な仕事じゃないし肉体労働としても楽な方だ。王都というだけあって金回りも良いのだから働き場としてはこの上ない優良だった。

退屈なんて我が儘言うもんじゃ無いな。

明日は何しよう、と喜びが隠しきれずつい頬が緩むのを感じた。まだ荷ほどきは完璧じゃないし足りないものも多い、家具とか。でも遊ぶ時間もあるだろう。
そうして終業時刻間際になって裏門が突然開かれた。その瞬間既に嫌な予感が全身に奔り、出来ることならもう仕事は終了だろ、と背中を向けて走り出せば良かったと後に後悔する。

まさかこんな計ったような時間に来るとは思わず、ランドが頭を下げるのにかなり遅れて動くことになった。頭を下げるまでに相手の顔を見て、薄い色合いの髪の毛を見て、垂れる外套の刺繍を五個ほどは見てから、ようやくアーバーン宰相サマだと気付いたがあまりにも時間が掛かっていた。

「ほう。ついに頭すら下げなくなったか」

垂れた頭に強い叩きつけるような視線を感じ、腕が震えた。怒っているのだ。気に入らないと思われている。それが良く、分かった。
処罰。その言葉が瞬時に頭を過ぎって、膝をついて感じる小さな石の感触がみるみるうちに消えていった。

「貴族の姿を見れば、例えいかなることをしていようとも頭を垂れろ。痛みを感じようとも、背後が火の海でも、猛獣が迫っていようともだ。もしそれで死のうとも必ず俯せで死ねばよい。そうすれば頭を垂れたことになる」
「...は」
「そういう風に王都の民は学んできた。貴族はそうしなければその人間の愛する者たちを殺してきたからだ。おかしな習慣だ。生まれた時、人は何故か貴さが決まっている。食べるものも自分の服にかけられる金額もだ。理不尽この上ない、そう感じるのも当然だ。私は国民にそこまでして頭を垂れろと言う気は無い」

今言ったじゃ無いか、と口を閉じていなければ飛び出しそうになった。

「そうする貴族も居る。そうなれば無礼な奴らが順番に死ぬだけだ。だから私はお前に頭を垂れろと言った。勘違いするな」
「......ご忠告、ありがたく思います」
「心にも思ってないな」

ぎくり、としたがその動揺は頭を下げているおかげでバレないようだ。

つまりは自分はしないが非道な貴族に殺されたくなければさっさと頭を下げておけと言うことらしい。もうちょっと優しい言い方をして欲しいと思うのは、高望み過ぎるのだろうか。
でも例え無礼で貴族に見下されようとも、関係ないなと思った。

「俺には巻き込まれて死ぬような身内は一人として、いません」
「......親も、兄弟もか」
「はい」
「そうか。だとしても、お前だけが殺されるわけじゃ無いだろう。その時偶然にも近くに居た五人が選ばれるだけだ。それでも良いというのなら、お前は貴族より非道というだけだな」

流石に、と頭を上げた。そうすれば見上げた顔は、微かに、ほんの少し緩んだような気がした。

「冗談だ。今時そんな貴族はいない。陛下の力とその目が細部まで及んでいるからな。このご時世にそんなことをすれば国から爵位を奪われるだろう。
それよりお前...ウィラム、と言ったな。これから帰るところだろう。定刻きっかりとは、もう少しその身を国に捧げても良いだろうに」
「...宰相サマもお帰りになるのでしょう?」
「ああ。私はお前の何倍も働いているから当然だ。明日は休日か?」
「.........はい」
「ならば付き合え。ついでにその無礼も正してやるし、金を出してやらんことも無い。お前には不釣り合いだが美味い酒を出す店だ」

もはや命令形と来た。誘っているのでは無く、来る以外無いだろうと言わんばかりだった。

嫌な予感しかしない。何の用だ…?気に入らないから嫌がらせってことか?何も言い返せない俺に失礼なこと言って日頃の恨み辛みでも晴らす気か、こんにゃろ。
くそー、じっと睨むと鼻で笑われた。腹立つ!

いくら断りづらい立場とはいえ、嘘ついてでも本来なら断っていた。というか絶対に良いことはないしどれくらい付き合わせる気なのかもわからない。がみがみ言われ続けると思うと既に胃がむかむかしてきたくらいだ。

しかし気付けばゴクリと喉が鳴っていた。
街に出ればいくつかは見かける、一体何回分の給金を費やせば入れるのかも分からない高級店。高級店はそこらの店みたいに店の前で食事の値段を叫んだり、看板に記したりしないのだと知ったのはこの王都に来てからだ。
ちょっと遠くから眺めてるだけで、入り口に立つ警備の男から視線が飛んでくる始末だ。お前は入れないだろうと見下しているのが分かる。

ああいう警備の男を見下したい気持ちで一杯だった。それが出来そうなのはこの機会しかないのだ。しかも金を出してくれるときたら、それにあやかるしかない。偉くふんぞり返るだけでないのだと知れて、少しは優しさのやの字の一画目くらいの気持ちはあるのだと知れた。それは収穫だ。

是非行きましょう、と意気込んだら貧乏人めとツッコまれそうなのでしおらしく頷いといた。

「分かりました...本当にまだ給金をもらっていないのでお金は無いのですが」
「貧乏人め…承知の上だ」

しおらしくも無駄らしい。クソ野郎。

でも、後からやっぱりお前の分は払わないと言われても困る。言質は取ったからな!内心で拳を握る。天にでも掲げたい気持ちだ。
こんな嫌なヤツでも利用出来る、少し我慢すればの話しだが。少しというか、かなりだが…。

「間抜け面を引き締めろ。その店でのお前の評価が私にまでくっついてきたら厄介だ」

くそっ、本当に一言多い男だ。

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