仕方のないことがある。勉強をしたって点数が取れない時がある。折り畳み傘を忘れた時に限って雨が降る。バレーボールの試合には勝者と敗者がいること。。弱肉強食の世界で弱い生き物が強い生き物に食べられることも全部仕方のない。

今年のバレーボール部は優勝候補というくらい強く、圧倒的強さで決勝まで駒を進めてるという。
朝も夕方も夜も練習。ひたすら打ち込むその姿勢は俺も尊敬できるし、素直にすごいと思う。担任の先生もそれだけ練習している生徒が授業中居眠りしてても仕方ないと言わんばかりに首を振って見逃す。

だから、俺は出来れば隣の久ヶ原が寝ていてくれればいいと思ってしまう。誰よりも練習してチームをまとめる久ヶ原は居眠りしない。眠そうだけど、前みたいに眠ってることはない。

そしてたまに俺を見てる。気のせいだといいけど多分気のせいじゃない。

顔がもう、こっちを向いているのだ。
そのくせ何か用があるわけじゃないみたいで、ただ珍しい形の石を見ているみたいな、そんな感じだと思う。

でもいつもは話しかけてこないのに、今日は違った。短い休み時間に、一言、名雪と呼ばれた。久ヶ原の声だ、と思った瞬間頭が真っ白。ロボットみたいに不器用に首を曲げたら、焼けた肌のその奥の黒い瞳にじっと見つめられて、俺はどうしよう、と俯いた。

「今週の日曜、決勝なんだけど」
「うん…」
「見に来て欲しい」

バレー部にそういう風に誘われるのは初めてじゃない。その度にない理由を考えて断っている。理由があると落ち着いて断れるけど遊ぶ友達も予定もない。
でも断るのはいつものことだから、首を振ってごめん、と言うだけ。ごめん、って。

「頼む」

俺の逃げ道を塞ぐように言葉を重ねられて、気持ちが吹っ飛んで、気付いたら、わかったって頷いてた。見に行く友達もいないしボールは早くて目が追えない、多分俺は楽しめない時間を過ごすんだと思うけど。
断り続けた免罪符のようなものを感じたのかもしれない。

それ以上に久ヶ原の祈るような声に気圧された。

「ぜってー優勝するから」

その言葉に俺は終わった、と感じた。何かは分からないけど。

試合中の久ヶ原は獣みたいにしなやかだった。重力を感じさせないような跳躍力と宙に長い間停滞しているみたいで。凄まじい力で圧倒して行く姿に会場は熱気があがる。
遠くから見ても久ヶ原の存在感が圧倒的だった。

最後の一点を決めてゲームセット、うちの学校のバレー部の優勝が決まった途端観客席から歓喜に満ち溢れる声が次々に。
俺は1人、呆然として置いてかれたような気持ちになった。

久ヶ原はこれを見せてどうして欲しかったんだろう。

盛り上がり拍手の止まない会場からひっそり立ち上がって、出口の方に歩いて行く。

すごいと思うし格好いいと思う。あんな風に動けたらスポーツは楽しいんだとも思う。でもそれだけだった。
俺は多分ああ言う風には動けない。才能の差だと思う。それは仕方のないことだ。ある人とない人がいるのだから。

会場の歓声がどんどん遠のく。小さくなって消えて行く。
暑かった身体が急に冷やされていって、歓声より自分の足音が大きくなって、それから足音が1つ近づいてくる。

「名雪!」

歓声も足音も俺の気持ちも突風で傘吹き飛ばされた。なんで、と掠れた声が出た。

振り返ると久ヶ原がいて、額には汗が滲んで試合中に着ていたのにも汗が滲んでいる。

「お前…帰んのはえーよ」

呆れたように笑われて、どうしよう、って困った。帰るのは早すぎたかもしれない。誘ってくれた久ヶ原には失礼だったかもしれない。
でも、早く帰った方がいいのかもと思ってた。俺が読んだことのある小説のような展開があったら怖いと思ったから。

一歩近づいてきた久ヶ原は試合後で疲れてるように見えたけど、目は落ち着いている。その目で見られると俺は逃げたくなるのだ。

「逃げんなよ」

気付いたら久ヶ原の手が届く位置まで目の前に来ていた久ヶ原。

ずっと逃げて来た。久ヶ原は獣みたいだった。虎視眈々と獲物を狙っているみたいで、その獲物が何か俺は気付かないようにしていた。気づくことは怖いことだったから。

肩に置かれた手に引っ張られてあっさりふらついた俺を久ヶ原は抱きとめて、そのまま拘束した。久ヶ原の顔が俺の頭の上に伏せたことに、今にも食べられてしまうような気持ちになった。
俺は一瞬だけもがいた。怖かったし逃げたかったから。それをねじ伏せるように両腕が俺に巻きついてくる。温かい身体と鼓動を嫌なくらい感じる。

「もう逃げんな」

この早い鼓動は俺のじゃない。久ヶ原のだ。

「お前が好きだ」

俺が、久ヶ原から逃げられないのは多分仕方のないことなんだと思った。

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